お人形と同じ部屋で寝起きしている私

お人形好きでけっこう沢山持ってます。専用ブログもあります。こっちでは家族と猫2匹と他の趣味や暮らしぶりなど語ります。

諸行無常

2010-04-30 20:27:54 | 日常生活
たとえば、「貴女の寿命はあと1ヶ月ですから」と言われたとする。「転移」で中島梓さんは主治医にそう言われて、そのとおりに亡くなって行った。つまり、そういう病気ってのは、医者にはもうある程度、患者の余命ってのが判ってしまってるのだ。それでなくちゃ医者やってる意味がないもんね。

数年前に義父が亡くなる時も、出勤した途端に主人に病院から電話が入り「親族の方を集めて下さい」とあったそうで、上司に事情を相談して、すぐ帰宅して、病院に駆けつけた。義父の入院は年中行事のようなもので、毎年一回はなんらかの理由で入院して、1週間くらいで退院してくるので、今度もそんなつもりでいたのだけれど、病院に駆けつけたら、そんな状態ではなくなっていて、義母と私達夫婦と次男、県外の大学に行ってる長男にも連絡をして、主人の弟一家と皆で義父を見守った。肺炎を起こしていて、もう回復の見込みは無かった。夕方になって病室を移されて、何故か家族が皆、いなくなってしまったときに義父は一人で逝ってしまった。医者に「危ないって言ったのに、なんで皆さんいらっしゃらなかったのですか?」と責められたが、本当に医者は寿命が判るのね。いや、5時ごろは義父の手足がひどく浮腫んでしまっていて、私は嫁らしいことも、看病もひとつもしてあげられなかったので、もうひたすら浮腫んだ手足を、義母と一緒に擦ることしかできなかった。
そのときに義父が「おかあさん!」と叫んだのだけれど、日頃義父は、私のことを「おかあさん」義母は「おばあさん」と呼んでいたのだが、義父が呼んだのは果たして私だったのか、それとも遙か昔に亡くなった義父のご母堂が迎えに来たのか、それはもうわからないことだ。

さて、なんでこんなことを書くのかというと、義父は83歳でなくなったのだが、大病を沢山していた割には、天寿をまっとう出来たのではと思う。

では、なんでこんなこと書くのかというと、今日、会社の訃報を見ていたら、現役の社員が亡くなっているのだ。昨日。電話で何回か仕事上でやりとりした方で、顔は知らないのだけれど、58歳。めんどうみの良さそうな、仕事をよく知ってるって感じの印象だったのだけれど・・・・・年齢からいっても当然かもしれないが、いや、うちの会社には歳だけ取ってても何も仕事知らないで平気なひともいるし、で、そういう人間は長生きするんだわ。できる人間にばかり仕事が回ってくるからね。そういう人は消耗してしまうんだわ。定年まであと2年。やりきれない・・・・・。今年に入って、現役社員が毎月のように亡くなってる。
やっぱり・・・やりきれない・・・・・合掌

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願えば叶う(お金も必要だが)

2010-04-29 23:16:51 | お人形一般
今日の出来事では無いんですけど、この火曜に「なんでも鑑定団」を観たら「作りかけの仏像@ラフカディオ・ハーン関係」に90万だかの値段が付いていたので、ほぇぇ~と感心した。資料的価値もあるらしいのですが。墨で印が文字で指示してあったりとか。を見て、「あれ?これと似たような人形がうちにもあるじゃん?」と。

それは中川多里さんの習作で、胴体と頭が別れてて、ウィッグが付いてなくて、横濱浪漫館さんの店長、坂本様からお譲りいただいたものなのですよ(代金は払ってますよ、勿論)。その日は中川多里さんの個展が行われてたのですが、当然もう全て売り切れてて、で、私は中川さんのサイン入り写真集と生写真だけ買って帰ろうとして、展示だけはじっくり拝見させていただきました。まじめな作品を作られる作家さんだと思ってたら、もぉなんというか~すっごぉいおかしな笑える作品も沢山あって、中川多里さんの懐の深さを実感させられた、良い展示会でした。
そのちいさな人形は頭に花を入れて、膝に乗せて小さな椅子に座らせて、なんちゃってマークライデンをうちでやらせたり遊ばせてもらってます。お顔にいろいろ印が付いてて、いかにも習作なのですが、いつかちゃんとした中川さんの作品が欲しいと思ってました。

で、テレビを観たあと、中川さんの写真文庫を出して、ながめていたんです。素晴らしい作品が沢山。それが火曜の夜。

その翌日、ですから昨日ですが、朝、携帯にメールが入りました。
3月の上旬に、銀座に見に行った画廊のスタッフさんからでした。あのときに中川さんの少年がとても気に入ってしまったのですが、赤札が無かったのでスタッフのSさんに訊いてみたら、HOLDになってて、その方の返事待ちになっていたこと。皆さんの評判は良いけど、このご時世、若干お高いので女子は売れたけど、少年はなかなか決まらないでいたこと。などをうかがって、私もあきらめきれなくて、もし中川さんにオーダーできるなら頼めないでしょうか?って言ったら、わざわざ電話をして下さって「残念ながら、スケジュール一杯で、オーダーを受けるのは無理」というご返事だったことを教えてくださり、直接中川先生とご連絡とれるように手配というかメールアドレスを教えていいか許可をとってくださったり、いろいろ手を尽くしてくださったのでした。
Sさん、その節はいろいろありがとうございました。結局チキンな私は、中川先生にメールを出す決心がつかなくて、ご縁があったらいいな~と日々を過していたわけですが・・・・・

そのメールは画廊のSさんからで「あの少年が戻ってきている」という連絡だったのです。で、私がたいそう気に入ってたことを憶えていて下さって「もし、気持ちが変わっていなければ、ご連絡ください」とのことで・・・・私は信じられませんでしたよ。
だって、昨日の今日ですよ~。ええ、私は、Sさんからいただいた名刺をずっとお財布の中に入れておりましたので、もうすぐに電話を入れました。電話をもらったSさんはてっきりメールで返事がくると思ってたようで、私から直接電話があったのに驚かれてましたが「頂戴した名刺を、私、いつも持ってたんです。こういうことに使う機会がこんなに早く来るとは思いませんでした」と言ったら、すいぶん喜んでいただけました。

少年はメンテの為に中川さんの所に戻してあり、こっち(東京)で買い手が見つからなかったら、北海道で探すということだったらしくて、「とんでもないです!私が迎えます!」(といいつつ金策を考えている私・・・・あ、そうだ6月ならボーナス出るし・・・・)なんか、買った方は、遠方の方で、サイトの写真を見てひとめぼれして、実物は一切見ずに、分割で購入して、支払いが終わって画廊から実物が届いたら「こんなはずじゃぁなかった~・・・・愛せない・・・」だったようで。私にはこんな結構な買い物を、実物も見ずに買おうって考えが理解できませんが・・・・私は実物を散々眺め尽くして、ああ、うちにこの子が来てくれたら・・・楽しいかも。とあれこれ考えていたものですから、HOLD→決定となったときにどれほど落胆させられたことか・・・・。

そんなこんなで、再来月にはうちにやってくる予定の多里さんの「少年」。ああ、やっぱ会社辞められないわ・・・(って結局そこに落ちつくんかい)、ちゃんちゃん♪
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転移読了

2010-04-27 20:11:27 | 日常生活、もしくは趣味
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去年の今日は存命して活動していた、その翌月には鬼籍に入ってしまった中島梓氏の絶筆癌闘病記です。復刊して長いこと放置してたのですが、来月中島氏の一周忌でもあり、読み出すと一気に読んでしまい、今更ながら、筆者のバイタリティに驚かされます。でも癌って本当に極限まで意識があるんですね。4月にはピアノのジャズライブをやって、持続する腹痛、背痛、脚の浮腫などと闘いつつ、家族の為に美味しい物を沢山作って食べさせて、自分は食べられなくて(抗がん剤の副作用か、病気のせいか)綺麗な着物を着て花見を楽しんで、友人たちとお茶をしたりして、その翌月には亡くなっていらっしゃる。この闘病記の他にも小説を書いたりしてらっしゃるのだから、本当に凄い人だとしか言えない。でも彼女は自分を鬱で買い物依存症だったし拒食症でとか卑下してらっしゃるが、自己評価が決して低かったわけでも無さそうなのだけれど、とにかく書くことが大好きだった人だった。

彼女が日記で、その日拵えたおかずのメニューを読むだけで、涎が出てきそうになる。それを彼女は口にすることが出来ない。美味しい物をもっと沢山家族に食べさせてやりたかったと記述がある。「中島梓のおいしいおかず」として一冊本が出せそうなほどだ。

11月頃の日記に珠玉の(私にとって)ことばがあって線を引きたかった。

5月17日の日記「ま・・・・・・」で終わっている。このあと昏睡状態になり意識が戻らぬまま10日ほどで亡くなっている。
「ま」の続きは何だったのだろう。
まだ書きたいことが沢山ある。
まだまだ生きていたい。やることがまだ残っている。
まだ今日も命がある。
また今日も目を覚ますことができた。・・・・それは今更判りようもないけれど。

大変なこともあったでしょうけれど、それを自力で乗り越えてきた、そう彼女が最初に乳癌に罹って右の乳房を摘出した時に己を「闘う為に自ら乳房を切り落とした女戦士アマゾネス」と例えたように。

グィンサーガは未完のまま1年を迎える。

ありがとう中島さん。この本を読んで私は少し元気を分けてもらえた気がする。
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猫の聖域その2

2010-04-25 11:34:49 | ペット
もう一匹、シャムネコ風のメス猫についてです。この子は長男が大学にいた時に仲良しになった、アパートの近所の野良猫です。仔猫の頃からの付き合いでしたが、沢山いた兄弟が一匹、また一匹と消えていき、とうとう彼女だけになってしまいました。小さい頃の写真を見せてもらうと本当にシャムネコなんです。今は・・・シャムネコもどきというか、パチもんのシャムネコですが。

長男は栃木の大学に入ってたのですが、アパートは勿論ペット禁止。なので、猫好きの息子は、近所の野良猫にえさをやって、他の餌やりおばさんたちと仲良しになってたらしいです。この子(猫)はとてもフレンドリーな性格で、息子もこっそり部屋に入れたりしてたそうですが、ある日、異変に気づいて、餌やりおばさんに獣医さんを紹介してもらいました。かなり遠い場所にあるらしい獣医さんでしたが、往診もしてくれてすごくいい獣医さんだったらしいのです。あ、病気は「子宮蓄膿症」息子が学生だったので学割で手術して子宮摘出してくれたそうです。

卒業間近に大家さんに猫と遊んでいるのを目撃されてしまったのですが、あまりの仲の良さに「もうじき卒業だし、その子飼っちゃえば?」と許可が降りて晴れて堂々と飼ったいきさつがあります。大家さんも猫が好きで、お金持ちの割には、やはり拾った猫を3匹ほど飼ってらっしゃって。良い方でした。

で、卒業時に連れて来たのですが・・・・先住猫と猛烈に相性が悪くて、顔合わせたらお互いに「シャーシャー」「フーッフーッ」とやられまして。3ヶ月ほど彼女は私の部屋で隔離生活を送りました。襖が破けてるのはその時にやられたものです。
その間に、元野良猫なのでいろいろ検査をしましたら・・・・なんと~!!猫エイズと猫白血病キャリアであることが発覚したのでした!話には聞いてたんですよ。野良猫のほとんどは猫エイズだから、長生きできないって。
こんなにかわいいのに。こんなにフレンドリーで人懐っこくて、甘ったれで、べたべたかわいいのに。毛がふわふわしてきれいな青い眼をしてて美猫なのに・・・・。目の前が真っ暗になりました。先生、長生きさせるにはどうしたらいいんでしょう?と訊いたら「ストレスの無い気ままな生活」と言われました。それでもどんなに大切に可愛がっても2~3年で発病して死んでいくのだとも。何故かこういうかわいい猫がよく罹患してるんだよね~とも言ってました。

病院から連れて帰ってくるとき泣けて仕方ありませんでした。猫はどうしたって人間より早く逝ってしまうのは理解できるけど何の罪があって、こんな業病があるんだろう。しかもエイズと白血病のコンボなんて悲し過ぎます。

あ~彼女の名前ですね。長男と初めて病院に連れて行ったとき「栃木じゃなんて呼んでたの?」「え?シャムニャンコって呼んでた」「・・・・そのまんまじゃん・・・センス無え~」「じゃなんて付けるんだよ」「耳が黒いからみみでいいよ」「あ、そ」じゃあカルテはミミでお願いしますで「ミミ」にしました。いや、流石にシャムネコの血が入ってるせいか仕草がけっこうエレガントなんです。野良とは思えないときもあって、なので心の中ではジョセフィーヌとかマドレーヌとかジェヌビェーブとかマリーテレーズとかマカロンとかエリザベートとかコンスタンスとかデルフィーユとか(何故かフランス。雄はドイツ系がかっこよいが)考えたりしたのですが、家には老人もおりますし、すっきりと「ミミ!」

ミミも昨年大病をしまして、なんか左乳首にころころしたものがあるな~と思って病院に連れて行ったのですが、なんと!左太腿にチビと同じ悪性腫瘍が見つかりました。結果は左一列乳房全摘出、左太腿の腫瘍も一緒に摘出と言う大手術になりました。
でも、メスネコって強いです。エリザベスカラーを嫌がらず、手術の為に毛を刈られて寒いと思いまして、私の布団に一緒に寝ました。片乳切り落とすなんてアマゾネスみたいですね。でも泣き言も言わず、チビのように大暴れもせず、じっと痛みに耐えて治癒を待ってる様子が健気でした。

この手術は彼女にとってかなりストレスだったと思うのですが、今は元気で気ままに生活してます。時たま脱走しても3時間くらい遊んでちゃんと帰ってきます。なるべく出したくないんですけどね。野良猫もいるし。

それにしても・・・・猫2匹いると・・・確かに医療費が・・・保険利きませんからね・・・・会社辞められません・・・結局そうなりますね。
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猫の聖域その1

2010-04-25 08:38:30 | ペット
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我が家の二匹の珍しいツーショット。ホントはあまり仲良しではないようだ。でも脱走する時だけは協力するんだよね~。
それにしても、寒いです。もう今週からGWが始まると言うのに、まあ、昔からGWの頃って、けっこう寒くて、長男なんかもよく風邪引いたり、熱出したり、オタフク風邪になって顔腫らしたり・・・・ってろくなもんじゃないくらい病弱でしたっけ。それが中学高校と皆勤賞でしたからまあ、子供も大きくなると丈夫にはなるんですね。

え~と猫ですが、寝てるデブ猫は今年の6月頃に8歳になるオス猫で名前は通称「チビ」、いや、もう「デブ」と改名したいけど、保護した時は体重320gでがりがりに痩せてて、本当はしちゃいけなかったのかもですが、こんなきちゃない猫うちに入れられんと、シャンプードレッサーでお湯を出して、洗面器にお湯を張って、人間用シャンプーで洗濯したら、お湯が真っ黒になりましたし、1000匹以上も蚤が湧き出してきました(いや実際はわからんのですが、まるでハムナプトラみたいでしたわ、思い出してもぞわぞわ~)、幼猫だった彼は無抵抗で、温泉に浸かってる様な、恍惚とした表情を浮かべてました・・・・。
乾かしたあと小さな籠にタオルを敷いてそこに乗せたら、もうこんこんと眠り続け・・・・「どうしよう・・・この子、死んじゃうかな・・・」「やっぱ医者に診せたほうがいいよね・・・・」当時高校3年の息子と獣医さんに連れて行きまして「あの~この猫、助かりますでしょうか・・・・」とおそるおそる訊いたら「大丈夫ですよ~。でも回復してもちゃんと飼ってやってくださいね~」と言われてしまって、げげげ・・・回復したら親猫(野良猫)に戻すつもりが・・・うちで引き取ることに・・・。猫なんてもう何十年も飼ってないし、室内飼いして下さいって蚤捕り薬出してもらって、息子に手伝ってもらってぶっかけたら、あ~らまだこんなにいたの?ってくらい蚤がぞわぞわ・・・。で、カルテ作るのに「名前」が必要になって、心の準備は出来てなかったし・・・「次までに決めておきます」

ど~する名前?いや、ペット飼うならかっこいい名前付けたかったし、う~ん、レオパルド?「戦車かよ?」ほんじゃパンター?「また戦車かよ?かーちゃんは軍事オタか?」「イ-400よりゃいいでしょ」「今度は日本軍の潜水艦かよ」「あんたも相当軍事オタ、じゃぁあれだ、ルードヴィッヒなんてどうだ?」「かーちゃんドイツ系が好きだな。名前負けだよそれ」「う~んヴォルフガング・アマデウス・・・」「長すぎる!却下!」「エドモン・ダンテス」「どっかに閉じ込められそうだ」「レオナルド」「そりゃかーちゃんの趣味だろう」「ボナパルト」「ナポレオンかよ~」なんかね~あまりにも貧弱な猫に立派過ぎな名前を付けたら名前負けしそうなので・・・・
結局「チビ」で登録して参りましたとさ。

いやもう、飼い始めたら、もうすっかり1日で慣れちゃいまして、最初の一晩は母猫恋しさに泣き叫んでましたが、母ネコが迎えに来るんです。私は心の中で「ごめん!この子はあんたに返せない。そのかわり責任もってうちの子にする。絶対あんたより長生きさせてやるから、うちの子にさせて!」とやってかれこれ7年経ちました。その間、いろいろありました。母猫は今お隣さんの飼い猫になってます。めでたしめでたし♪

しかしチビ、まず後脚が変。いや、ちゃんと歩けるけどふらつくんです。レントゲン撮ったら、膝のお皿が発育不全で、脚力が無くて、要するに高くジャンプできないんです。せいぜい50cmが限度。でもこれは飼い猫としては無問題です。野良猫だったら自分で捕食できないから致命的な障害でしたでしょうけど。母の腹の中にいる時に十分栄養もらえなかったのかも知れないね。
で、お年頃になってマーキングを始めて、家の中が臭いのなんの・・・こりゃ去勢だねってことで病院に連れてったら「麻酔かけたら不整脈が出ちゃったんですが、どうしますか?」で手術一旦中止。再度不整脈を抑える薬を使って無事にオカマになりました。そしたらあの地獄のような悪臭マーキングもぴたっと治まりました。夏場だったんでもう物凄い臭いで・・・。
あとは、凶暴さが少し治まりました。去勢する前は、家族みんな、こいつと流血騒ぎを起こしてましたから・・・・。見境なく噛み付くんですわ。私も指と踵をやられました。肉食獣なんだな~こいつって改めて実感させられました。

で、このまま平和にいくのかな~と思ったら3年前の秋、右足の踵になんか大豆大の肉球が発生してるのに気づいて・・・検査したら悪性腫瘍つまり癌だったのでした。手術して摘出したのですが、周囲の組織もかなり広範囲に削ってしまったので不自由っぽい脚がますますよろけてますが、とにかく退院してきてからが凄かった。エリザベスカラーを嫌がって、のた打ち回るのです。これには参りました。外したら一日中傷舐めてて・・・病院に連れてって治りが遅くなるけど舐めるよりはましってことで包帯まいてもらいました。そしたら包帯の上から舐めてるんですわ。効くのかそれ?よほど苦痛だったんでしょうね~

今は一応写真のように平和です・・・。
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