ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

ソラナックス服用の状況と依存への道

2010年12月19日 17時07分11秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

日曜日
もうそろそろ断薬15ヶ月を迎える。去年の今頃は年明けには元気になってると思っていた。
2009年の2月終わりから4月の末まで2ヶ月半くらい毎日ソラナックスを基本的には0.4㎎1T/dayを飲み続けた。
足りない日は2錠を飲んだ。
それまでも長くて2ヶ月半、短くて数日を反復服用して15年近く、もっときめ細かく言うと20年以上の服薬経験がある。
すべてきっかけはめまい。
途中授乳の時期があり長い期間のブランクがあったので13年~15年くらいとみての話。
特にこの数年の服用量が多くなったのとそれ以前は明確な離脱は経験していないので記憶が曖昧な部分がある。
20代で左耳の手術をしているのでどうしてもめまいというと内耳性のめまいの不安が先走り精神的なストレスが原因ではという頭が無かった。
しかし耳鼻科の医者はとうにストレスだと思っていたらしく30歳のめまい初発で精神薬が出ていたと記憶する。
その当時長崎在住で体調が非常に悪く、耳の病気が再発したらまた子供を置いて長期の入院になるという恐怖に近いものがあった。
今のようにネットで何でも調べられる時代ではなかったし本もクスリの本など無かったので自律神経のクスリですと言われて”あ~そうですか”というような気力しかない生活を送っていた。しかし元々クスリ嫌いだったので精神薬は飲まずに捨てた。
しかし抗生物質は耳が悪くなると困ると思い飲んでいた。
そのおかげで酷い体調になっているという自覚もなしに・・・。
めまいの原因は一体なんだったのかと今更考えてみたことがある。当時みかん山の麓に住んでいて東京から転勤した私には全てがカルチャーショックだった。
ここも東京の田舎と呼ばれる郊外だが私自身は商業地区に育ち畑とはまったく縁がなかった。
みかん山に農薬が散布されそれがどの程度有害かなどという知識も無く、農家は農家で散布予告もせずに自由気ままに農薬をまいていた。
音が聞こえると慌てて洗濯物を取り入れるのだが耳の遠い私は気が付くのが遅い。家族は会社や学校に行ってしまうので実際に農薬の影響は私が一番濃かったと思う。
手術や病気を繰り返して身体ももう一杯一杯だったのだろう。その頃から普通でない体調になっていった。その前も病弱だったのだけど何かが違っていた。
まずパニックの初発もあった。それは酷い症状で少しは軽快するも数年間は大変な思いをした。丁度”豊田商事事件”の最中に起きたパニックでそれ以後”豊田”の二文字を見るとパニックを起こすようになって、帰京しても豊田駅のある中央線は止めて京王線で帰っていた。とにかく帰京は必須事項だったので1年に一回は帰っていたが実家でも症状を隠すのに必死だった。
気分の悪い日々が続いた長崎時代は農薬のせいだと思っている。
それ以前に全身麻酔や局部麻酔、強い抗生剤なとあらゆる化学物質が身体の中に放り込まれ農薬まで受け入れる体力がなかったのだろう。
そんな事とも露知らずまだその後も起こるめまいを耳のせいだと思い込み耳鼻科に通い続けとうとうめまいカウンセリングまで受ける羽目になった。それはそれで興味深い経験ではあったのだけどめまいの再発は防げなかった。
そのころから断続的に起こるめまいの際にデパスが処方された。それもまじめには飲まなかったし次に出されたソラナックスも四つに割って恐る恐る飲んだ。でも段々半分になり1錠になっていきソラとの相性が良かったのが今日の状態に繋がっているのだ。
もちろん一日3回0.4㎎を守ったことは無いのでせいぜいどうしてもめまいが厳しい時だけ2錠飲んだ。いまだ一日に3錠を飲んだことは無いと記憶している。しかも続けて長期間飲むことも無く副作用も離脱も経験しないでいた。
しかし自分に合うとは怖いもので、神経も身体もソラで楽になることを覚え特に支障も無い生活は段々ソラ依存の日々になって行くのを知る由もなかった。


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