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気ままな旅 2

2023-05-17 19:46:45 | 日記
5月4$日快晴

この日は夕張へむかいます。
この日も1日散歩きっぷでいきたかったのだが追分〜新夕張間がどうしても普通電車がない時間帯になったため特急使用となりました。

8時21分札幌発エアポートに乗り千歳で石勝線追分行きに乗り換え。1両編成。






恐竜の絵が書いてあります。

広々とした風景を車窓から堪能して追分駅到着。






追分駅前広場

駅前の地図をみたら散策したくなりますね。
でも次の電車まで時間がない。



新夕張までの特急券、乗車券を購入



駅待合室






駅改札口


9時38分のおおぞら3号に乗ります。


自由席は空いていました。

新夕張駅到着



追分方面



新得方面




新夕張駅全景


2019年までここから夕張駅まで夕張線がありました。
その当時この駅は「紅葉山駅」と呼ばれていました。夕張線が廃止になったあと「新夕張駅」という名前に変更になりました。



駅前には道の駅がありました。
この街の特産品であるメロン関係のお菓子がたくさんありました。


ここからバスに乗って石炭博物館へいきます。

11時すぎに夕張市石炭博物館着

バスをおりるとやたら広いスペース。
博物館はどこ?







入口は見つけたけれど。。




まだ先ですか。


建物発見



入口の前には
石炭のモニュメント、炭鉱を削っていたカッターが展示されていました。




この刃先でカガガ-と削っていたのですね。




博物館内、入口と出口は別になっており、何故か入口にお土産売り場があります。

石炭カステラ購入 


昔五所川原駅て買った石炭クッキーを思い出しました。懐かしや〜。



炭ぽさは感じず、はちみつが入っていてしっとりして甘くておいしかったです。



博物館で一階と二階に「り、スタート」というテーマの展示がありました。
炭鉱の街時代から現在までの夕張の変化をまとめた展示になっております。
みていてなかなか考えさせられる内容でした。

夕張市というと現在は「財政破綻の街」と知られていますがかつては炭鉱で潤っていた街です。1960年代には大小24の炭鉱があり、約12万人の住民がおりました。

昭和40年代にはいり海外からの安い石炭が輸入され、エネルギーも石油にかわっていき、次々と炭鉱の閉山がはじまりました。また事故発生もあり、石炭の需要か減っていき1990年に炭鉱の街夕張は幕を閉じました。
仕事がなくなった住人たちは他の市へ流出、人口も減少していきました。
(2023年4月現在6969人)

夕張市は観光事業に力をいれるためアドベンチャーファミリーという遊園地を作り、夕張駅前にマウンテンレースイリゾートという大きなホテル、スキー場を作りましたが赤字となり、その赤字の分を市で補填、あちらこちらの銀行に借金をおこなった結果、財政破綻となりました。

夕張にあった遊園地、アドベンチャーファミリー(博物館内展示の写真より)

当時はたくさんの人出でにぎわっていたことがわかります。


お花のきれいな場所もあったのですね。

それらがあった場所がこのあたりだったのですね。(奥の建物はレストランだったのかな)









館内の展示をみたあとエレベータにて坑内におりていきます。炭鉱での仕事の内容の展示があり、どのように石炭を採掘、運搬していたのかがわかります。







採掘前にはくずれないように固定します。




女性の方は運搬したり、道具を点検するという役目がございました。


馬を使って運搬もしていました。






作業の安全を守るための神社もありました。
坑内で一番こわいのはガスの噴出、特にメタンガスは無味無臭でわかりません。
常時ガス検知器で対応していたとのことです。

作業方法が機械化された頃エネルギーが石油にかわり、石炭の需要も減少、そして閉山となりまました。
なお採掘した山はそのまま放置、月日の流れにより、自然と山は潰れていったとのこと。
その採掘跡地は市の周辺でみることができるとのことです。
採掘のドラムカッターの実演もありました。






自分の家のお風呂は昔薪と農協から購入していた石炭でわかしていました。
石炭で温度調節していました。
自分の子供時代、暖めてくれた石炭は
こんなに大変な作業で採掘されたと知り、当時の炭鉱に携わっていた方々に本当に感謝します。
とても勉強になりました。


バスでしあわせの黄色いハンカチ広場へ。


ここは映画「しあわせの黄色いハンカチ」のラストのシーンのロケ地になります。




ラストシーン、何度見ても感動します。


この長屋の奥に黄色いハンカチがあります。








入口付近には黄色のカードに記載のメッセージ
や映画の名場面の写真がかざられていました。










映画につかわれていたファミリアも展示されていました。







高倉健さん世代と思われる方が見学にきておりました。
広場では桜がきれいに咲いていました。



次のバスまで1時間あるので歩いて旧夕張駅まていきます。

2019年3月に廃止になった夕張線をめぐります。

線路は残っていました。




途中 歩いている人は観光客らしき男性一人のみ。

交差点で「鹿ノ谷駅前→」という表示を発見、右方向を見ると駅舎らしき建物がありました。







地図で確認したら旧鹿ノ谷駅でした。
中は立入禁止となっておりはいることはできません。
左に鉄橋があったので登ってみてみます。



駅のホームがみえます。
廃線跡って線路沿いは雑草が生い茂っている印象ですがここはちゃんと草が刈られていました。

終着駅方面だった夕張方向です。



更に歩いていきます。

鹿ノ谷浴場(閉鎖しています。)

昔は炭鉱で働く人たちの汗や炭をながしていたのでしょうね。




更に歩いていくともうすぐ夕張線の終着駅


マウントレースイの湯(休業中)
この建物の後ろはマウントレースイスキー場です。
すべったあとのお風呂は最高です。

旧夕張駅前にりっぱな、きれいな大きなホテル「マウントレースイリゾートホテル」があります。


しかし、入口には。。


昨年12月から休業中ということはスキーシーズンも営業していなかったとはおどろきです。
(それだけ人もこないのでしょうか。。なんかとてももったいないような。)

ちなみに札幌から夕張方面行きのバスの終点はここ「マウントレースイ前」です。

マウントレースイホテルの前に夕張線の終着駅である夕張駅がありました。
駅舎は今はカフェになっています。



旧夕張駅ホーム







また駅前にはゆうばり屋台村がありました。
通称バリー屋台





現在、3店舗ありました。



ジンギスカン、お寿司、そばやかありました。
お昼を食べていないのでなにか食べようと入店したら(15時すぎです。)「今の時間はお蕎麦しかない」といわれました。
夕張のソウルフード、カレーそばを食べました。


ルーがたっぷり、そばが隠れています。


豚バラ肉とタマネギがはいっています。
カレールーはだしがきいていてとてもおいしかったです。

帰りはマウントレースイホテル前から札幌行きの特急バスで帰りました。
ここからの乗客は自分を含めて3人だけ。
寂しいものです。

今回は夕張については何も調べずに訪れたのですか夕張の人たちは観光客をもてなしてくれました。
石炭博物館の方
「館内は撮影オッケーです。たくさん写真撮ってSNSで広げてください。」

屋台村の方も黄色いハンカチ広場の方もとても親切でした。
また来てみたい街の一つになりました。 

札幌に着いたあと、お土産を買うため千歳空港へ。
じゃがポックル10箱ほど購入(他のお菓子も買っています)して札幌へ戻りました。

この日の夕食


デザート、北菓楼のシュークリーム1日ひとつずつたべていきます。



北菓楼 雪プリン


今回はゆきプリンをたべます。
白いプリン、シフォンケーキ、チーズクリームがはいっています。ボリュームあります。一気に食べてしまいました。

明日は洞爺湖方面に行きます。

5月4日行程

札幌8.21発快速エアポート→千歳8.51着、8,57分発→追分9.22着、9.38発 おおぞら3号→新夕張10.04着、10.21発バス→石炭博物館11.08着、12.37発→夕張バスターミナル乗り換えでしあわせの黄色いハンカチ広場着→見学後徒歩でマウントレースイ前(夕張駅前)15.43発バス→札幌17.22着、→新千歳空港(お土産購入)→札幌

黄色いハンカチ広場〜旧夕張駅間
徒歩で5キロくらい?(ゆっくり歩いて2時間弱)

交通費
1日散歩きっぷ  2570
追分→新夕張   1270
新夕張駅→石炭博物館 830
石炭博物館→黄色いハンカチ広場 560
マウントレースイ→札幌駅  1950

1日散歩きっぷを使用しなかった場合

札幌→追分     1490
札幌→新千歳空港  1150
新千歳空港→札幌 1150

やはり1日散歩きっぷはありがたいです。































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