全員が集合したところでバスに乗り宿泊地へ行く。この旅行の宿泊地は何処なのか、どのような日程になっているかは知らされていない。バスの中で寒気を感じたので厚手のセーターを取り出して着る。雪山梁を越える道を戻ったのだろう。どのルートを通ったのか記憶が無い。
暫らく・・いやけっこう走ってホテルに到着した、どうやら九塞溝のある地区らしい。ホテルの前にはオミヤゲ品屋が並んでいる。ホテル到着が遅かったので外へ出る時間は無かった。丸テーブルを囲んでの夕食は四川料理なのか、辛さは控え目になっているようだ。中国滞在中に痩せるつもりなので野菜を主に食べる、とはいうものの並ぶ皿に肉類は少ない感じだ、滞在中全体を通して肉類はそんなに出なかった、予算の問題なのか元々中華料理とはそういうものなのかは分からない。ダイエットしようと思っている私には好都合だ。
翌朝ホテル周辺を散歩した、夜中に雨が降ったようだ。向かいのオミヤゲ屋は開いている店もある。チベット族のオバサンが何か買って行けという風に合図をする。覗いてから先へ進むが5・6件先でオシマイという小さな商店街だ。戻ってオミヤゲのマニ車と腕輪を買う。二つで20元は若干高い感じだが目くじら立てるほどでもないので買う。チベット族の人たちはけっこう商売上手です。
この日は九塞溝へ出かけましたが、まず街の様子から書きます。私たちが泊まったホテルは九塞溝の入口から車で10分ほど離れた場所にある。この辺りは平地は少なく山あいあるので細長い町となるのはしょうがない。山の上まで段々畑が見られた、この地は九塞溝が脚光を浴びるまでは静かな寒村でしかなかったであろう。それが今では段々畑が荒れようとしているし・・まあ・・我が島ウチナーも観光で浮かれた島なので言えた義理では無い。そういう風景・光景を垣間見ながら好奇心は住民の生活までも入っていきたくなるものだ。
多くのメンバーが民族舞踊を見に行くというので二日目の夕食は早めだった。私はそのオプション(180元)には参加しなかった九塞溝・黄龍は妻と一緒に来るべき地なのでそれまでお預けというのがショーを見に行かなかった大義名分です。その時間を利用して街を歩いた。
小さな集落なので端から端まで歩いても10分ほどである。そこにある店、オミヤゲ屋や雑貨店、酒屋などを見て回った。見たことも無い果物があるが食べ方や味が想像できなくて買わなかった、今にして思えば口にしておくべきだった。酒にしても私が知っている酒、中国と言えば紹興酒、は置いていない、地酒が目に付く。観光客相手でないのでそのような品揃えになるのだろう。小瓶を1本買う、そこにはインスタントのバター茶があった、お湯を入れればバター茶が味わえるというものだが嵩張るので買わなかった。ツアンバがあるかと問うと在ると言いながら見せてくれた。それが欲しいというと売り物ではなく自家消費用という。欲しいので強引に頼み半分譲ってもらった。20元もしたが何処彼処で手に入るものではないので止むを得ない。
ツアンバは日本では麦焦がしと呼ばれているようで、ハッタイ粉の裸麦バージョンと考えればいいだろう。「河口彗海のチベット旅行記」を読んでからそのツアンバを味わってみたいと思っていたが、九塞溝の観光村で食べたばかりなのでオミヤゲに持って帰りたかった。チベットといえばバター茶とツアンバである。どうって事は無いものだが手に入れるのは難しい、九塞溝がチベット族の地区である事の証明にもなる。
それらを持って散歩を続けていたら何か拍子に酒瓶を割ってしまった、それを見た店の方が紙コップを下さったので残りの酒を入れて飲みながら歩いた。けっこう強い酒だがストレートで飲みながら見物を続けた。酒の銘柄は青蔵酒となっていた。
写真は通りの裏に一歩はいると粗末な住居に共同水道という生活風景、写真を撮るのが憚られる雰囲気だったのであまり撮らなかった。
暫らく・・いやけっこう走ってホテルに到着した、どうやら九塞溝のある地区らしい。ホテルの前にはオミヤゲ品屋が並んでいる。ホテル到着が遅かったので外へ出る時間は無かった。丸テーブルを囲んでの夕食は四川料理なのか、辛さは控え目になっているようだ。中国滞在中に痩せるつもりなので野菜を主に食べる、とはいうものの並ぶ皿に肉類は少ない感じだ、滞在中全体を通して肉類はそんなに出なかった、予算の問題なのか元々中華料理とはそういうものなのかは分からない。ダイエットしようと思っている私には好都合だ。
翌朝ホテル周辺を散歩した、夜中に雨が降ったようだ。向かいのオミヤゲ屋は開いている店もある。チベット族のオバサンが何か買って行けという風に合図をする。覗いてから先へ進むが5・6件先でオシマイという小さな商店街だ。戻ってオミヤゲのマニ車と腕輪を買う。二つで20元は若干高い感じだが目くじら立てるほどでもないので買う。チベット族の人たちはけっこう商売上手です。
この日は九塞溝へ出かけましたが、まず街の様子から書きます。私たちが泊まったホテルは九塞溝の入口から車で10分ほど離れた場所にある。この辺りは平地は少なく山あいあるので細長い町となるのはしょうがない。山の上まで段々畑が見られた、この地は九塞溝が脚光を浴びるまでは静かな寒村でしかなかったであろう。それが今では段々畑が荒れようとしているし・・まあ・・我が島ウチナーも観光で浮かれた島なので言えた義理では無い。そういう風景・光景を垣間見ながら好奇心は住民の生活までも入っていきたくなるものだ。
多くのメンバーが民族舞踊を見に行くというので二日目の夕食は早めだった。私はそのオプション(180元)には参加しなかった九塞溝・黄龍は妻と一緒に来るべき地なのでそれまでお預けというのがショーを見に行かなかった大義名分です。その時間を利用して街を歩いた。
小さな集落なので端から端まで歩いても10分ほどである。そこにある店、オミヤゲ屋や雑貨店、酒屋などを見て回った。見たことも無い果物があるが食べ方や味が想像できなくて買わなかった、今にして思えば口にしておくべきだった。酒にしても私が知っている酒、中国と言えば紹興酒、は置いていない、地酒が目に付く。観光客相手でないのでそのような品揃えになるのだろう。小瓶を1本買う、そこにはインスタントのバター茶があった、お湯を入れればバター茶が味わえるというものだが嵩張るので買わなかった。ツアンバがあるかと問うと在ると言いながら見せてくれた。それが欲しいというと売り物ではなく自家消費用という。欲しいので強引に頼み半分譲ってもらった。20元もしたが何処彼処で手に入るものではないので止むを得ない。
ツアンバは日本では麦焦がしと呼ばれているようで、ハッタイ粉の裸麦バージョンと考えればいいだろう。「河口彗海のチベット旅行記」を読んでからそのツアンバを味わってみたいと思っていたが、九塞溝の観光村で食べたばかりなのでオミヤゲに持って帰りたかった。チベットといえばバター茶とツアンバである。どうって事は無いものだが手に入れるのは難しい、九塞溝がチベット族の地区である事の証明にもなる。
それらを持って散歩を続けていたら何か拍子に酒瓶を割ってしまった、それを見た店の方が紙コップを下さったので残りの酒を入れて飲みながら歩いた。けっこう強い酒だがストレートで飲みながら見物を続けた。酒の銘柄は青蔵酒となっていた。
写真は通りの裏に一歩はいると粗末な住居に共同水道という生活風景、写真を撮るのが憚られる雰囲気だったのであまり撮らなかった。