琵琶湖周遊の旅(9) 国宝 彦根城
近江八幡の次に 旅の最終目的地彦根城に到着しました。
彦根城は、滋賀県彦根市金亀町にある城です。
近江八幡の次に 旅の最終目的地彦根城に到着しました。
彦根城は、滋賀県彦根市金亀町にある城です。
国宝に指定された現存天守のある4城のうちの一つ。
別名・金亀城(こんきじょう)ともいいます。
日本に12箇所現存する、安土桃山時代から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の一つであるそうです。(現存天守)。
多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏14代の居城でもありました。 幕末の桜田門外で水戸藩浪士に襲われて鬼籍に入ったあの井伊直弼の生誕の地であり、居城でもありました。
井伊直弼については 当該ブログ投稿記事:チャカポンと「安政の大獄」でも 少し触れてみました。 お時間あれば次のURLへお立ち寄りください。
https://nemokoro.seesaa.net/article/200807article_15.html
明治6年(1873年)の廃城令で数多くの城が失われる中、一説では大隈重信の上奏により明治11年(1878年)に破却を免れたといいます。大隈重信公はここでも功績を残したようですね。
国宝の天守、附櫓及び多聞櫓のほか、安土桃山時代 - 江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されています。
中でも、馬屋は重要文化財指定物件としては全国的に少ない国の特別史跡に指定されています。
ちょうどアイドルキャラクターである「ひこにゃん」の出没?時間に居合わせ 愛くるしいぬいぐるみのパフォーマンスを見ることも出来ました。
彦根城は、平成4年(1992年)に日本の世界遺産暫定リストにも記載されていますが、世界遺産登録は大変厳しい状況にあるそうです。
広い敷地内にある玄宮園を散策し 近江の旅は全日程を終了しました。最大の収穫は Mさんゆかりの地酒「萩の露」入手 そして近江商人を学んだことでしょうか。
◆江戸っ子と近江商人
近江商人は江戸に進出するやその商才を江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれました。 地道な経済観念より「粋」や「威勢の良い金使い」を尊ぶ?江戸っ子の庶民気質には、質素・倹約に努め 貯蓄に励む近江人の特徴は お手本にはならなかったようですね。
「宵越しの銭は持たない」が江戸っ子の「金使いのかっこよさ」。 木造家屋が立ち並び 何年に一度の大火で焼け出されたら無一文という 時代的背景もありますが・・・。
しかし その実は、当時世界最高水準の複式簿記考案(中井源左衛門・日野商人)(小倉栄一郎『江州中井家帳合の法』)や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店を積極的に開設するなど、徹底した合理化による流通革命だったと評価されているのです。
そして 現代社会のビジネスや倫理観に通じる多くの教訓を残しています。主なものは「三方よし」「陰徳善事」「質素倹約」そして「しまつしてきばる」などです。
近江商人の「きばる」 は働く、 「しまつ」は節約の意味ですが、食べるものを食べず、着るものも着ずに無我夢中に働くという意味ではありません。
近江の旅の報告 結びに 五個荘商人であった中井源左衛門の言葉を引用してみたいと思います。
「金持ちになるのは決して運ではなく、酒宴、遊興、贅沢をせず、ひたすら長生きと始末することを心掛けて商いに励むことが、五万・十万両の金を溜める唯一の方法であり、貪欲な投機的商いは先祖の加護や自然の道理に見放され、結果的に成功には結びつかない。」ここまでは当たり前の親父の説教みたいですね。しかし、源左衛門さんは次のように続けています。
「始末することとケチとは全く別のもので、ケチでは金持ちになれない。社会のために大枚をはたくときははたくが、無駄な金は使わず、世のため人のために生きる金を使い、飲むときは飲み、遊ぶときは遊ぶが、節度を持つことが必要。 金持ちになるためには、常に始末の心を忘れず、奢りの心を戒めなければならない」
まさに 中井源左衛門さんの仰るとおりです。 実践できるかどうかです。
近江商人の流れを汲むとされる企業は ・高島屋・大丸・三越・西武グループ・西武百貨店・伊藤忠商事・丸紅・トーメン・ニチメン・ヤンマー・三中井・日清紡・東洋紡・東レ・日本生命・ワコール・西川産業 他多数あり、その堅実さと確実性を実証していますね。
商人に必要なのは才覚と算用と言われます。しかし、近江商人は巧妙な計算や企てを良しとせず、世の中の過不足を補い、需要と供給を調整することを本務としていたのです。
ちょうど時間となりました。 Mさんゆかりの長浜商人下郷家など 他にもたくさん 学んだことはありますが、残りはまたの機会ということで…。
バスは彦根を後にして 名神高速を一路名古屋へ向かいました。 新幹線で帰京する前に名古屋駅の待ち時間に夕食となります。
旅に出ても いつも普通のメニューで終るので 今回は名物「味噌カツ丼」を注文しました。妻は「結構、美味しいね」と言いましたが、私は味覚があわない気がしました。 念のため注文した「ミックスフライ定食」はそこそこの味でした。
午後10時半に新幹線は品川に到着し、帰宅は翌日午前零時となりました。 今回は近江の国と歴史そして近江商人の経営哲学など多くを学んだ旅となりました。
琵琶湖周遊の旅 了
今日もお立ち寄り 有難うございました
地図をクリックすると文字が読める程度に拡大表示されます
日本に12箇所現存する、安土桃山時代から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の一つであるそうです。(現存天守)。
多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏14代の居城でもありました。 幕末の桜田門外で水戸藩浪士に襲われて鬼籍に入ったあの井伊直弼の生誕の地であり、居城でもありました。
井伊直弼については 当該ブログ投稿記事:チャカポンと「安政の大獄」でも 少し触れてみました。 お時間あれば次のURLへお立ち寄りください。
https://nemokoro.seesaa.net/article/200807article_15.html
明治6年(1873年)の廃城令で数多くの城が失われる中、一説では大隈重信の上奏により明治11年(1878年)に破却を免れたといいます。大隈重信公はここでも功績を残したようですね。
国宝の天守、附櫓及び多聞櫓のほか、安土桃山時代 - 江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されています。
中でも、馬屋は重要文化財指定物件としては全国的に少ない国の特別史跡に指定されています。
ちょうどアイドルキャラクターである「ひこにゃん」の出没?時間に居合わせ 愛くるしいぬいぐるみのパフォーマンスを見ることも出来ました。
彦根城は、平成4年(1992年)に日本の世界遺産暫定リストにも記載されていますが、世界遺産登録は大変厳しい状況にあるそうです。
広い敷地内にある玄宮園を散策し 近江の旅は全日程を終了しました。最大の収穫は Mさんゆかりの地酒「萩の露」入手 そして近江商人を学んだことでしょうか。
◆江戸っ子と近江商人
近江商人は江戸に進出するやその商才を江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と蔑まれました。 地道な経済観念より「粋」や「威勢の良い金使い」を尊ぶ?江戸っ子の庶民気質には、質素・倹約に努め 貯蓄に励む近江人の特徴は お手本にはならなかったようですね。
「宵越しの銭は持たない」が江戸っ子の「金使いのかっこよさ」。 木造家屋が立ち並び 何年に一度の大火で焼け出されたら無一文という 時代的背景もありますが・・・。
しかし その実は、当時世界最高水準の複式簿記考案(中井源左衛門・日野商人)(小倉栄一郎『江州中井家帳合の法』)や、契約ホテルのはしりとも言える「大当番仲間」制度の創設(日野商人)、現在のチェーン店の考えに近い出店・枝店を積極的に開設するなど、徹底した合理化による流通革命だったと評価されているのです。
そして 現代社会のビジネスや倫理観に通じる多くの教訓を残しています。主なものは「三方よし」「陰徳善事」「質素倹約」そして「しまつしてきばる」などです。
近江商人の「きばる」 は働く、 「しまつ」は節約の意味ですが、食べるものを食べず、着るものも着ずに無我夢中に働くという意味ではありません。
近江の旅の報告 結びに 五個荘商人であった中井源左衛門の言葉を引用してみたいと思います。
「金持ちになるのは決して運ではなく、酒宴、遊興、贅沢をせず、ひたすら長生きと始末することを心掛けて商いに励むことが、五万・十万両の金を溜める唯一の方法であり、貪欲な投機的商いは先祖の加護や自然の道理に見放され、結果的に成功には結びつかない。」ここまでは当たり前の親父の説教みたいですね。しかし、源左衛門さんは次のように続けています。
「始末することとケチとは全く別のもので、ケチでは金持ちになれない。社会のために大枚をはたくときははたくが、無駄な金は使わず、世のため人のために生きる金を使い、飲むときは飲み、遊ぶときは遊ぶが、節度を持つことが必要。 金持ちになるためには、常に始末の心を忘れず、奢りの心を戒めなければならない」
まさに 中井源左衛門さんの仰るとおりです。 実践できるかどうかです。
近江商人の流れを汲むとされる企業は ・高島屋・大丸・三越・西武グループ・西武百貨店・伊藤忠商事・丸紅・トーメン・ニチメン・ヤンマー・三中井・日清紡・東洋紡・東レ・日本生命・ワコール・西川産業 他多数あり、その堅実さと確実性を実証していますね。
商人に必要なのは才覚と算用と言われます。しかし、近江商人は巧妙な計算や企てを良しとせず、世の中の過不足を補い、需要と供給を調整することを本務としていたのです。
ちょうど時間となりました。 Mさんゆかりの長浜商人下郷家など 他にもたくさん 学んだことはありますが、残りはまたの機会ということで…。
バスは彦根を後にして 名神高速を一路名古屋へ向かいました。 新幹線で帰京する前に名古屋駅の待ち時間に夕食となります。
旅に出ても いつも普通のメニューで終るので 今回は名物「味噌カツ丼」を注文しました。妻は「結構、美味しいね」と言いましたが、私は味覚があわない気がしました。 念のため注文した「ミックスフライ定食」はそこそこの味でした。
午後10時半に新幹線は品川に到着し、帰宅は翌日午前零時となりました。 今回は近江の国と歴史そして近江商人の経営哲学など多くを学んだ旅となりました。
琵琶湖周遊の旅 了
今日もお立ち寄り 有難うございました
地図をクリックすると文字が読める程度に拡大表示されます
なお近江商人については 近江八幡物産協会などのHPで詳しく紹介されています。当記事もいくつかのWEB公開記事やフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などから抜粋引用しています。
何かが有るのですね。
「近江泥棒伊勢乞食」とは。。。
複式簿記考案、流通革命
「三方よし」「陰徳善事」「質素倹約」「しまつ(節約)してきばる(働く)」
五個荘商人、中井源左衛門のお言葉は素晴らしい
近江商人の流れを汲む企業が絢爛豪華な超一流企業
ばかりですね。
「味噌カツ丼」美味しそうでした。
長旅、誠にお疲れ様です。
旅紀行ありがとうございます。
いつもブログお立ち寄り有難うございます。
そして 毎回 コメント有難うございます。
◆彦根城は 土地が広くて 歴史のわりに綺麗でした。
本能寺の変後、1615年(元和元年)に長浜城は廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用されました。
彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。そのまま残っているとしたら400年前の秀吉・一豊の時代のものですからね。
◆中井源左衛門さんの言葉 いいですねえ。
まさに 親父の小言そのものですが、真理を衝いていますよねえ。
「丼」