新潟久紀ブログ版retrospective

仕事観の形成と就職するまで編10「県勢への貢献に帰結」

<仕事観の形成と就職するまで編10>---------------------
●発熱の進路模索。移ろわない郷土・県勢への貢献に帰結。

 生まれて始めてというほど大いに悩んだ。これからの半生を決定づける職業をいかに行くべきか。様々なバイトを重ねた目的は「自分にとって何が合う仕事なのか」を知ること。それは「何が得られるのか」「何が残るのか」という思いへと進展していき、「代替がきかないもの」「移ろい消えゆかないもの」を求める意識へと収斂していった。
 学生のバイト仕事というのは、もともと大方の人ができる代替のきく仕事であるが、私は、その作業そのものでなく、それが存在する分野や領域に注目していた。突き詰めると三次産業は、それを展開する人も地域も内容すらも変わりゆき、実業が普遍的とは言い難い。もとより経営経済学を学んでいた私は、「変化への対応」のためイノベーションといわれるような「変遷」こそが企業を企業たらしめる経営そのものであることは承知していた。
 ならば何が「普遍」なのか。突き詰めると「郷土」に行き着いた。合併等により変更のありうる行政区域といった"線引き上の範囲"ということではなく、t場合によっては災害や天変地異で物理的に街や田畑といった表層や山、平地が崩れ失われることはありうるかもしれないが、そんな外形的なことでもなく、原風景的な意識や深層のイメージも含めた"絶対的な存在"としての「郷土」のことだ。
 広告代理店で県内全域を見て回ることを通じて、自分が育まれた土地柄にも拘わらずあまりにも関心を持たず、良く知りもしないで生きてきたことを痛感させられたことが、いよいよ学業生活の出口を間近にした時期に際して、大きな意識転換を一気にしかも圧倒的にもたらしたのだ。生家や今の住まいのある地域を超えて新潟県全土の山、川、海、街が脳裏に思い浮かばれた。「新潟県の勢いのためになる仕事を目指そう…」ついに帰結を見た。
 平熱低めの私が38℃も発熱するほど考え込んだのは生きてきた中でこの時が初めてだった。(余談:この時以降では持ち家を買う検討をして悩んでいるときに熱が出ました。)

(「仕事観の形成と就職するまで編10」終わり。「仕事観の形成と就職するまで編11「突貫工事の就活」」に続きます。)
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