●学業は燃えていたか(その2)
兄の受け売りで先入観はあったものの、それなりに少しは目が覚めるような講義や、この人を先々の師と仰ぎたいと直感できるような教授との出会いを僅かながらも期待していた私だったが、最初の一月ほどで早くもそれが叶いそうにないなあという気持ちになってしまった。大学は受験までが大変で、入ってしまうと学生はサークルやらコンパやらと遊び呆けまくるという「大学のレジャーランド化」が学生に対して批判的な論調で語られていた当時だったが、当事者になってみると大学の供給内容がこれでは"むべなるかな"と思うことしきりだった。
そんな訳で、幼少の頃に昭和のオイルショックの直撃を受けて節約節約で育ち何事も省エネ派となった私は、"これはどうしても"という講義以外はバイトやサークル活動など優先して欠席していったので、定期試験の直前になると真面目な学友達のもとを行脚してノートを借り、深夜のゲームセンターでコピーに明け暮れるという生活が恒常化してしまった。
卒業に必要な単位を取得するという結果が全てであり、自分の能力や性格に基づいて手段や過程は各々で違っていい。私は大学の学業の自由さをそんな風に捉えていたきらいがあり、それそのものは間違いではないと確信していた。
そんな訳で、幼少の頃に昭和のオイルショックの直撃を受けて節約節約で育ち何事も省エネ派となった私は、"これはどうしても"という講義以外はバイトやサークル活動など優先して欠席していったので、定期試験の直前になると真面目な学友達のもとを行脚してノートを借り、深夜のゲームセンターでコピーに明け暮れるという生活が恒常化してしまった。
卒業に必要な単位を取得するという結果が全てであり、自分の能力や性格に基づいて手段や過程は各々で違っていい。私は大学の学業の自由さをそんな風に捉えていたきらいがあり、それそのものは間違いではないと確信していた。
それでも、あるシンシンと雪が降り積もりゆく夜半に、隣県の田舎町から新潟大学に入学して全ての講義に皆勤で出席していた同級生の下宿にノートを仮に訪れた際に、小さな灯油ストーブを足下に置き毛布を羽織りながらスタンドの白熱灯の下でもくもくと試験勉強している彼の姿を見た時は、さすがにトンビが油揚をさらうようなノート借りの所業に後ろめたさを感じたものだ。彼が「いいよ」と快く言ってくれると尚更だった。
悪い予兆を感じつつも不埒な所業を続けた私に自業自得は訪れた。一年目の成績表が届いて驚いた。「経済学」の履修結果が「不可」と記されていたのだ。
悪い予兆を感じつつも不埒な所業を続けた私に自業自得は訪れた。一年目の成績表が届いて驚いた。「経済学」の履修結果が「不可」と記されていたのだ。
(「新潟独り暮らし時代31「学業は燃えていたか(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代32「学業は燃えていたか(その3)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら