新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴8「三菱・ランサーEX1400GL」(その3)

●三菱ランサーEX1400GL(その3)
◇◇◇三菱ランサーEX1400GL
 [昭和60年の春から平成元年春まで愛用し天寿を全うして廃車]◇◇◇

 昭和62年3月。採用が内定した新潟県庁において4月からの配属は就業後に発表されるということだったので、新潟大学の卒業式を終えると、アパートを引き払い、柏崎市の実家へ一旦引き上げることにした。
 大学入学時に親から買って貰った小さな2ドア冷凍冷蔵庫や二層式洗濯機、シングルベットを分解したものなど、大きめの家財は、高校時代の友人が自家用の小型トラックを運転してくれて搬送したが、扱いにデリケートなレコードターンテーブルやアンプ、チューナー、そして大口径の低音用ウーハーを用いた大型スピーカー2台などはランサーEXに毛布など挟みつつギュウギュウに詰めて、新潟市と柏崎市を一日2往復くらいして実家の自分の部屋に収納した。
 県庁勤務が始まると、最初は独身寮をあてがわれたのだが、なんと築20年以上前の鉄筋コンクリート4階建ての四畳半一間で、布団を敷けば一杯になる具合だったので、身支度のための用品入れに買った小さな組み立て式の本棚と布団袋を積んだランサーEXによる搬送一回で引っ越しは終わってしまった。
 昔の寮のため駐車場が無く、近くの個人から私有地を借りた。当時は月5000円だった。
 居室が狭く、洗面所やトイレ、洗濯機は共用、食事の賄いも平日のみ、特に共同浴場も平日のみということで、大学生時代のアパート暮らしよりも劣悪な環境に耐えかねて、職場が良かれと思って用意してくれた独身寮からは2ヶ月で退去することにした。
 自分で不動産屋を回り、信濃川の流れが窓から眼下に眺められるお気に入りの値頃物件を見つけ、そこへの引っ越しもランサーEXで事足りた。
 ところが、そのアパートは信濃川のほとりゆえに暴風の日には何の遮りもなく直撃を受けたので、入居して半年後の11月の大暴風雨の時についにトタン屋根がめくれて屋内に雨が流入する事態に。すぐに貴重品や最低限の着替えを積み込んで夜の街に逃げ場を探しに出かけたのもランサーEXだった。しばらく車中泊になるのかなとステアリングを抱えて彷徨うこと暫く、新潟市内の実家から県庁に通う同期の友に電話で事情を話すと快く自宅に泊めてくれた。深夜であろうが目的地に即行で向かえる車持ちの有り難みに改めて感じ入った。
 様々な場所に出かけ、様々な体験を一緒にしたランサーEXとは、いつまでも一緒に走りたかったが、走行距離も14万キロを越えて、対症療法的な修理では温存できないような状態になってきた。最後はバッテリーを交換しても充電しても車体のどこからか漏電してすぐにアガってしまうようなり、乗り降りする都度、バッテリーケーブルを外すことが必要にもなった。さすがにお別れだなあということで、最後の日には数え切れないくらい体験させてくれたエピソードをできるだけ思い浮かべながら、愛車ランサーEX1400GLを前に心の中で感謝とねぎらいを伝えて「さよなら」と口にした。
【ランサーEXの思い出はひとまず終わり】


(「ほのぼの愛車遍歴7「三菱・ランサーEX1400GL」(その3)」終わり。「ほのぼの愛車遍歴9「三菱・ランサーフィオーレ・アレックス」(その1)」に続きます。)
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