●三菱ランサーEX1400GL(その2)
◇◇◇三菱ランサーEX1400GL
[昭和60年の春から平成元年春まで愛用し天寿を全うして廃車]◇◇◇
◇◇◇三菱ランサーEX1400GL
[昭和60年の春から平成元年春まで愛用し天寿を全うして廃車]◇◇◇
初対面の時は外形デザインによるインパクトに魅せられてしまったのだが、肝心の走りや乗り心地はどうであったか。
初代愛車のカリーナもランサーEXも共に1400ccでグレード的に下位の中流以下ファミリー向けといったところであったが、結論を言えば、ランサーは前のカリーナに比べて格段の機動力というか取り回しの良さというか、やはり年次の新しいクルマは進化しているなと感じた。
諸元などは全く憶えていないが、馬力あたりの車重やボディの空力などランサーが優位であったであろうし、カリーナは我らが千葉真一が「足のいいやつ」とCMでイメージ展開していたものの、ランサーもラリーで鍛えた足回りを自慢しており、中身的にセリカとの共用だったいう前車に比べて、オリジナルの作り込みの後者が、仕上がりでもバランスが良かったのかもしれない。
とにかくコンパクトにキビキビと動いてくれるし、思うがままの操舵感。FR駆動の面白さを教えてくれるクルマだった。固めのサスペンションで路面の状況の伝わり具合も運転の楽しさを盛り上げた。
さらに、エアコン付き、カーステレオ付き(当時はカセットテープ)。貧乏学生としては「エアコンなんて無くてもいいよ」と格好つけがちだったが、やはり付いていればその恩恵は手放しで嬉しいもの。当時は学友もエアコン付きの中古車を持ち始めていて、暑さに我慢できない日はクーラーの無いアパートから愛車に逃げ込んで"避暑"するというスタイルも少なくなかったのだ。
中古車を保有する学生が多かった昭和の新潟大学周辺での"あるある"といえば、「深夜の助け合い」「雪道の助け合い」が思い出される。
深夜にアパートの共用ピンク電話の呼び出しに応答すると、「これから電気を分けに来て」と学友の声。ボロくてメンテもおろそかな中古車にありがちなバッテリーあがりだというのだ。寝ぼけ眼で救急車よろしく時には10キロ近く離れた現場に急行し、ケーブルを出して電気をお裾分け。こんな深夜に勘弁してくれと言いたいが明日は我が身と思えばお互い様。ランサーEXは乗ることそのものを楽しくさせる機動力の良さで、どんな頼みにも応えたくさせたものだ。
昭和58年度の大学1年から3年までは毎年大変な豪雪が続いた。新潟大学五十嵐キャンパス周辺で学生アパートが林立する辺りは車道が狭く、除雪も行き届かなくて轍にスタックするクルマが頻出。タイヤが空転する音を聞きつけるとどこからともなく周囲に住む学生達が集まり、脱出を手伝ったものだ。初代愛車のカリーナは冬を経験する前に廃車となったので、雪道での特にFR駆動車での大変さはランサーEXでが初体験。お互い様の助け合いの有り難さが沁みたものです。
車高が低くて乗りやすかったのか、近所の野良猫が私が乗車するスキに便乗して市街地までを往復し、途中で買ったケンタッキーの匂いに興奮して帰る道中ずっとクルマの中を飛び回ったりしたこともあった。真冬の深夜の試験勉強中に大学のゼミ担当教授から電話で酒の買い出しを頼まれて届けたのもランサーEXだった。
意を決して大学3年生の秋にはランサーEXで北海道一周の旅へ。出かける数日前に運転席の窓ガラスがドア内に落下したり、マフラーが道路に落ちたりと、旅の先行きを大いに不安にさせたが、何とか予定通り完走できた。諸々の苦難を共に乗り越えたという思いから、ランサーEXは無二の友というように感じる、私には無くてはならない存在になっていったのだ。
初代愛車のカリーナもランサーEXも共に1400ccでグレード的に下位の中流以下ファミリー向けといったところであったが、結論を言えば、ランサーは前のカリーナに比べて格段の機動力というか取り回しの良さというか、やはり年次の新しいクルマは進化しているなと感じた。
諸元などは全く憶えていないが、馬力あたりの車重やボディの空力などランサーが優位であったであろうし、カリーナは我らが千葉真一が「足のいいやつ」とCMでイメージ展開していたものの、ランサーもラリーで鍛えた足回りを自慢しており、中身的にセリカとの共用だったいう前車に比べて、オリジナルの作り込みの後者が、仕上がりでもバランスが良かったのかもしれない。
とにかくコンパクトにキビキビと動いてくれるし、思うがままの操舵感。FR駆動の面白さを教えてくれるクルマだった。固めのサスペンションで路面の状況の伝わり具合も運転の楽しさを盛り上げた。
さらに、エアコン付き、カーステレオ付き(当時はカセットテープ)。貧乏学生としては「エアコンなんて無くてもいいよ」と格好つけがちだったが、やはり付いていればその恩恵は手放しで嬉しいもの。当時は学友もエアコン付きの中古車を持ち始めていて、暑さに我慢できない日はクーラーの無いアパートから愛車に逃げ込んで"避暑"するというスタイルも少なくなかったのだ。
中古車を保有する学生が多かった昭和の新潟大学周辺での"あるある"といえば、「深夜の助け合い」「雪道の助け合い」が思い出される。
深夜にアパートの共用ピンク電話の呼び出しに応答すると、「これから電気を分けに来て」と学友の声。ボロくてメンテもおろそかな中古車にありがちなバッテリーあがりだというのだ。寝ぼけ眼で救急車よろしく時には10キロ近く離れた現場に急行し、ケーブルを出して電気をお裾分け。こんな深夜に勘弁してくれと言いたいが明日は我が身と思えばお互い様。ランサーEXは乗ることそのものを楽しくさせる機動力の良さで、どんな頼みにも応えたくさせたものだ。
昭和58年度の大学1年から3年までは毎年大変な豪雪が続いた。新潟大学五十嵐キャンパス周辺で学生アパートが林立する辺りは車道が狭く、除雪も行き届かなくて轍にスタックするクルマが頻出。タイヤが空転する音を聞きつけるとどこからともなく周囲に住む学生達が集まり、脱出を手伝ったものだ。初代愛車のカリーナは冬を経験する前に廃車となったので、雪道での特にFR駆動車での大変さはランサーEXでが初体験。お互い様の助け合いの有り難さが沁みたものです。
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(「ほのぼの愛車遍歴7「三菱・ランサーEX1400GL」(その2)」終わり。「ほのぼの愛車遍歴8「三菱・ランサーEX1400GL」(その3)」に続きます。)
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