◆「櫛形山脈を過去と未来を考える聖地として反復と次代の鉄路来訪に繋げる仕組みづくり」の私案
JR東日本のローカル鉄道である羽越本線が、私の勤務する新発田地域振興局の所管区域を正に縦貫していることから、令和6年に全線開通100周年を迎えることを機に、沿線の地域資源などを絡めて鉄路の活かし方を考える中で、その利用増と地域の活性化に結び付けられないかと考え、管内の各駅と沿線を視察してきた。
丁度中心に位置する「新発田駅」を挟んで、「南側」の鉄路は広大な稲作田園地帯の真ん中を走り抜けるようなロケーションであったので、「新発田駅以南」という括りで独善的ながらも農業振興を切り口にして鉄路や駅の活かし方を先行的に取りまとめてみたところだ。
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もう一方の「新発田駅以北」は、沿線を見て回るとやはり想像通り「以南」とは大きま異なる状況であって、現代の車社会における日本海側の大動脈である国道7号とほぼ並行する形の鉄路が、数キロごとに散在する農村らしい”小集落たち”と駅周辺に二次三次産業従事が生計の柱と思しき”住宅の小規模のまとまり”をネットする駅を擁していて、パークアンドライドの駐車に見られるような正に都市部へ通じる玄関口の役割を果たしているような雰囲気だった。
自然と口を衝いた「玄関口」という言葉に我ながらハッとする。勝手な受け止めなのであるが、新発田駅「以南」の無人駅たちは、田圃のど真ん中で直ぐに農作業が始められそうな立地と少々汚れても気にならない駅舎の簡素さと古さなどから、農業の構造改善のための作業とか労力を呼び込むための現場農地における乗降口という、ある種の良い意味での泥くささをイメージするものであったのに対し、新発田駅「以北」の駅は、住宅地から車で乗り付けて都市部と行き来することが主であるかのような、幹線道路に近い立地と駅前の駐車に適した広めの敷地から、逆に都市部から人を呼び込んだときに駅を起点にして地域内各所へと誘導するための「玄関口」であるかのように直感したのだ。
「中条駅」のように都市部を始めあらゆる方面からのウエルカムゲートに相応しい設えの駅舎や施設を見たことにも影響を受けているのかもしれない。
それでは、「以北」にはどのような誘因で人々を、しかも鉄路を使わせて、呼び込んだらよいのか。視察で巡った現場を思い出しながらアイデアを捻りだしてみよう。
新発田駅近くにある私の職場の新発田地域振興局を乗用車で出発してからというもの、新発田駅以北の羽越本線の鉄路は国道7号と並走していたので、車窓から左手となる西側、日本海側を眺めながら、ほぼ4kmほどの長い区間を殆ど隣り合うように近接しているレールと道路敷地を活かして何かの技術の実証や試験などのフィールドに出来ないものかなどと、暫くはぼんやり考えていたものだ。
新幹線などは新型車両の試験走行時に、全線が高架で安定していて直線区間も長くデータなども取りやすいからなのか、上越新幹線の鉄路をよく使うという話を聴いたことがある。羽越本線と国道7号の近接並行区間も、お互いに何かの実験などを行うに際して、並走しながら監視したりデータを取ったりなどには好都合だろう。ただ、それには4km区間というのは短いか。
定時で走る鉄路と大動脈として車の流れが殆ど途絶えることのない一桁番号国道ということで考えるとどうか。雪国といわれる新潟県においては、温暖化によりすっかり暖冬小雪が基調になった近年なのであるが、一方で日替わりの様に寒暖差が大きくなったし、短時間で局地的に豪雪が降る「ドカ雪」に見舞われることも頻繁になった。
令和4年にドカ雪による長時間に及ぶ車の立往生で全国的にも有名になった柏崎市では、路肩に並べたポールからの熱源照射による融雪の実証試験が登坂道路で行われているようだが、その電源そのものに列車の運行による回生エネルギーの蓄電を活かすということで、エコな電力循環による車道融雪の実証実験場として、この鉄路と国道の近接並行4kmが活かせるのではないか。そうすると幾ばくかの資金や人員がこの地に投下されるのではないか…などと運転しながら"都合の良い夢物語"も妄想したものだ。
しかし、仮にそんなアイデアが具体化するにしても候補地の競争が起きれば、もっとロケーション的に有意だったり抗しがいのある厳しい自然環境だったりする地があるに違いない。標準化できたり代替化できるプランは、特に実験的な位置づけともなれば、実施されたとしても所詮は何処でも良かった中での選択肢でしかなかったという言い訳が残り続け、結果して”文化”のようにその地に根を下ろすようになることは望めまい。
発意にあたっては"初心"に返らねばならない。
代替の利かないこの地域ならではの資源や環境を活かす事柄であって、しかも、同時一斉でなく、ばらけたとしても、延べにして比較的大勢の人々が、発着時間が決まっていて移動中もあまり裁量の利かない列車に乗るという方法を選択して、新発田地域にやってくるようなアイデアが必要なのだ。
鉄路のある左側を見やりがちだった私は、正面に直ったあと、凝りをほぐすように首を右側に向けてみる。新発田地域振興局を出て直ぐの加治川に架かる国道7号「加治大橋」を渡って以来、殆ど無意識だったが、左側に並走する鉄路と同様に、右側は豊かな緑の木々が茂る里山のような、少し懐かしみを感じさせるような、広い空を大きく遮らずに圧迫感を与えない高さが安定してずっと続く景色と共に車を走らせていたことにようやく気が付いた。
山景色でありながら国道が走る麓沿いにおいても覆いかぶさるような威圧感を与えず、この何とも言えない親しみや心地よさを感じさせるのは「櫛形山脈」ではないかと改めて意識する。新発田駅以北の沿線とは、国道7号との並走であり、また、正に櫛形山脈の山裾を伝うような道筋なのだ。うかつにも現場を走って今更ながら気づく。昨年4月の着任以来、現地視察などは公用車に乗せてもらって移動したので、地図で理解していてもこの魅力的な山裾についてしみじみと眺めて考えることが無かったのだ。
「櫛形山脈」というキーワードは同時に「日本一低い山脈」というフレーズを頭に浮かばせる。そして、「コロナ禍でのレジャー志向の変化も背景に、ハイキング感覚で登れる低山が人気」といった昨今の新聞記事や、スパルタンなスタイルでの、まるまる終日を山中で持参する食料のみで費やすような、高山登りとは異なり、ゆるいハイキング感覚登山は、前後の平地滞在の時間における地元での飲食や買い物の需要が見込め、目的地となる高みにおいても公園に近い感覚なので、バーベキューなどの商品需要があると側聞したことなども続けて頭を巡る。
日本一低い山脈という唯一無二のアイデンティティと、麓で地酒も楽しむということになれば公共交通機関の利用ということになるという"鉄道活用の論理"を繋げて考えると面白いのでは。俄然アイデアを掘り下げてみたくなってきたのだ。
新発田地域にあり"日本一低い山脈"と呼ばれる「櫛形山脈」は、深い緑を湛えていい感じで連なる里山並みの低い山々だ。それは、玄人はだしのアルピニストだけに臨ませるような敷居の高さではなく、私のようなド素人にも優しく手招きしてくれるような佇まいだ。
余談になるが、私の山登りといえば、柏崎高校時代の3年間において毎年、丁度梅雨の季節に篠突く雨に打たれたりしてうんざりしながらも学校行事として頂上へと辿り着いた霊峰「米山」登山しかない。霧の中を泥川と化した険しい山道に足を取られて滑り落ちて行く者の悲鳴がコダマするのをあちこちで聞きながら、下手すれば滑落して死ぬのではと思うほどの中で頂上までなんとか辿り着いたものだ。そうした過酷な体験が登山というものに親しむところか逆に遠ざけるトラウマになっていたのだ。
それ以来の私は、新潟県の人口の3割以上が集中して今や日本海側唯一の政令市である新潟市の都市部にずっと住み続け、自然に触れ合うといっても整備され管理された都市公園や、都会人にちょっとした田舎暮らし感を楽しませることが意図された中山間地にある観光エリアにごくたまに小旅行で足を運ぶくらいで、山には馴染んでいない。
また、新発田地域にもともと住んできた人達には「櫛形山脈」のような自然は、珍しくもなんともなく、若い人にはむしろ、現代型の娯楽が何も見当たらない田舎ということで、背を向けてしまうものなのであろう。
しかし、都会暮らしが長く、何もかもが人工的で、計画的に設けられ、造られ、管理されたマテリアルやアイテム、ソフトや情報に囲まれた暮らしをしている人々には、その反動のように心理の奥底から生物としての何かが滲み出ていて、誰かの思い通りではない、自分の思い通りにすらならない、御し難くも未知の可能性を秘めた自然と関わりたいという欲求があるのではないかと感じている。
これは、数年前に、新潟県からの転出が深刻化する若者たちを何とか新潟に呼び戻したい、誘い込みたいという、いわゆるUIターン促進の業務に携わっていた時に、都会暮らしの若者達との懇談会において感覚的に会得したものだ。
しかし、櫛形山脈が「日本一低い山脈で親しみやすいですよ」という物理的自然環境のみをかざしても人はなびくものではないし、それに類するものは日本中あちこちにゴロゴロしているだろう。「ここだけ」の「この地ならでは」の誘因や仕掛けが必要なのだ。
里山と考えて思い浮かぶのが、緑を次世代に残したいという高い理念のもとで進める植樹活動に企業や団体、個人が多数協賛している「新潟県緑の百年物語」という取組だ。新潟県内の各地で関係者による協議会が設置されていて、令和5年の10月に、私が業務で所管するこの新発田地域においても協議会が再生する形で設立されたばかり。
折しも、脱炭素やSDGsなどの考え方が老若男女問わず国民的に広がっており、この取組においては正に追い風の時勢なのだが、祝辞のために設立総会に参加して関係者を見渡すと高齢者ばかり。引き継ぐべき地元後継者の、もしくは、外部から関与してくれる人の、植樹作業なども考えればできれば若い人からの、関与を増やす必要があると切実に思ったものだ。
その方策として、私なりに様々考えた中の一つのアイデアが、唐突に思われるかもしれないが、植樹に際して「未来の自分」に向けた「タイムカプセル」を埋めるという催事を行ってはどうかというものだ。
世界で次々起こる戦争や紛争、感染症パンデミック、そして地震といった自然災害などにより、明日をも知れぬ先行きに誰しもが多かれ少なかれ不安を抱いている時代だと思う。そんな中で、自分が今を生きている証を残すことや、自分が運よく健やかに暮らし続けられるような細やかな”張り合い”として、将来の自分に向けた"願掛け"というか楽しみを残すことが、訴求力になるのではないかと感じているところ。
デジタルの時代であり、手元のスマホに記録したり、SNSなどを通じてクラウドに記録していくというのも簡単であるが、電源の途断や機器の故障により読み取ることができなくなるデジタル機器の危うさ、そして、ネットやクラウドを介するリスクなどが懸念される。
また、デジタル技術の益々の先鋭化が、アナログへの回帰や見直しを引き起こしているような雰囲気を今の世の中に感じとれることもある。
「タイムカプセル」はそのレトロな響きとともに、幼い頃に一度くらいは同じ趣旨で地中に何か埋めたことがあるなあという郷愁を呼び起こす。情勢変化の目まぐるしさからドッグイヤーの時代と言われたのも随分以前の話であり、タイムカプセルを開く時期はそう遠くない10年後前後くらいに設定し、掘り返す都度、その時の自分の思いも新たに次の10年後の自分に向けて埋めることを繰り返すくらいが丁度良いかもしれない。
このイベントを誘因のひとつとして、都会人の一群を新発田地域の里山の植樹に呼び込み、それが毎年催せれば、10年後以降は毎年、自分のタイムカプセルの掘り起こしを目当てにリピーター達がやってくる。変わらぬカプセルからの語り掛けと今の自分との乖離を感じ、そして10年前との緑の木々の違いからも感慨深いものが得られるに違いない。自分も関わった植樹の連鎖が緑を豊かに保ち、美しい里山空間を守っているのだと、良い環境づくりへ自身の貢献が効いていることを感じ取れるのは、達成感のような、生きている実感のようなものをもたらすかもしれない。
脱炭素、SDGsという企画に関わろうという人々はそもそも意識が高いのだから、現地への参集も、その日くらいはできるだけ環境負荷のない方法でということになる。
「櫛形山脈」は、山脈と呼ばれるくらいあって、一つの高みしかない円錐のようなものではなく、100m強から600m弱の高みを稜線でつないで8kmほどに連なるありそうでなかなかない珍しい形状だ。
令和5年に新発田地域振興局へ着任早々の私は、春ということもあって山脈の中ほどに位置する大峰山の麓近くの公園において見事だと聞いた桜の状況を視察に行ったのだが、桜が整然と植樹された簡単な広場というものでは無くて、山の高低や形状を上手に利用しつつ、一部はヒトの手を加えて整地しながら、桜の樹々がしかも箇所ごとに異なる種類が植栽されている「桜の博物館」のようなものであったことに驚いた。
また、秋には、櫛形山脈の南端近くを国道7号付近から入り山越えして裏側にある名刹の「菅谷不動尊」に到達して国道290号へと抜ける「箱岩峠」を視察し、その高みから近くに見える山形県との県境の飯豊連峰や、反対側には遠く佐渡も望める日本海の広がりを眺めて、この素晴らしい景色が、最寄の鉄道駅やアクセス便利な国道から、場合によっては徒歩でのそれほど無理のない登山により得られると体感した時には、これはこの地ならではの貴重な誘客資源だなと思ったものだ。
ことほど左様に、櫛形山脈は、アプローチの仕方により、季節により、数えきれないくらいのバリエーションをもたらしてくれそうなフィールドであると直感する。「くれそうな」というのは私自身が未開拓であり雄弁に語れる体験を持ち得ていないからだ。気候がよくなったら色々なアプローチを試してみたいと改めて思う。
「櫛形山脈」は現状で緑濃い森林なので、「植樹しないと危ない」などと悲壮感を押し出して人心を絆して誘い込みをかける訳にはいくまい。広くて労力を要する桜公園の整備に一肌脱いでくれませんかといって、桜の時期に「たまには行ったことの無い地方での花見でも楽しんでみるか」などとコロナ禍明けで久々に珍しい土地に出掛けたいという人心をくすぐるというのは手かも知れない。花見となればどうせなら美味いと評判の新潟の地酒を楽しみたいということに繋がるので、JR羽越本線の活用にもつながろう。だが、「桜」で推せるのは限られた時期でしかない。
もう一つの切り口で思いつくのは、山脈形状ゆえに、しかも低山なので、色々な登り口から入ってハイキング気分から少し本格までの多様なアプローチや過ごし方が楽しめるということで、コース紹介をして、数か月や数年かけて「全制覇」をしてみませんかというものだ。
これであれば、気候の穏やかな時季のみならずある程度の積雪時の来訪も促せる。こうした櫛形山脈への誘客のアイデアは既に有って私が知らないだけかも知れないので調べてみて、先々の仕掛けづくりも念頭にその前ぶりとして必要を感じれば、県の地域機関として新発田地域振興局でも情報発信を強化したいと思う。
それにしても、桜と低山の魅力ということだけでは、「日本一低い山脈」という希少性からの誘客は容易に多くは望めないだろう。
やはり、「この土地ならでは」の、「ここに来ずしては体験できない何か」で、しかも「できれば羽越本線を使って」ということでなくてはならない。
「歴史の京都」や「最新の東京」のような圧倒的な誘客力にも少しは抗えるような資源が地域の歴史や伝統、今日のありのままの姿の中に見出せないのなら、新たに創造して付加する必要があるのであろう。
私のようにカネもマンパワーも余力のない新発田地域振興局という県の出先機関を預かる立場で、何が出来るのか。昭和と平成のマインドどっぷりで育ち、非力で虚弱な文化系の私が思いつくのは、やはり「タイムカプセル」というレトロ感覚での知恵と、加えてはデジタル技術の活用ということになりそうだ。
羽越本線の利活用増進を絡めて沿線地域の活性化に繋がる策はないか。新発田駅以北の鉄路が日本一低い山脈というインパクトでアピールできる「櫛形山脈」の裾野を沿うように走っていることに着目して、都市部の住民を櫛形山脈へと誘う企画を考えてみた。
あれこれ様々なアイデアを頭の中に思い浮かべては消しての葛藤を経て、収斂させたのが「タイムカプセルを埋めて楽しむ地」にしてはどうかというものだ。
当該「新発田地域」は、ほどよく田舎といえば聞こえはいいが、中途半端な地方都市とその郊外であり、都心の生活様式や仕事内容などの魅力を幼少より各種メディアから見せられ続け、全国的制度として最低賃金がランクづけられたことを背景にした初任給格差などを前にして、若者達、特に若い女性達の、進学や就職を機にした転出が続く新潟県内における典型的な地域の一つだ。
若者の減少により少子化も続いているので、ローカル鉄道の羽越本線としては、主に高校生頼みの通学路としての利用は減る一方であろうし、人口減少が経済規模と雇用の場もしぼませること、そして道路網の整備の良さがアダにもなって、便利な車使用への代替も増えて、鉄路を通勤に利用するものそのものも減少するばかりだろう。
右肩上がりの経済成長と人口増の頃のような鉄道利用方法をもう一度というのは、おそらくは、かなり暫く先までは構造的に望めない状況なのだ。
そんな逆流の大河の中にあって、なんとかヨソの似たような地方都市ではなくこの「新発田地域」に来訪する人数を、しかも「羽越本線を使って」増やせないかと考えたとき、活かせるその沿線ならではの地域資源としては、ハイキング感覚の低山での登山や遊びが増えているいわれるコロナ禍後のトレンドを踏まえ、日本一低い山脈として唯一無二の決定的でインパクトある独自性を打ち出せる「櫛形山脈」が最有力であると考える。
ただ、東京で大人気の高尾山のように後背にある首都圏の膨大な人口が往来しやすい地とは異なり、最寄りの人口集積地である政令市の新潟市からも小一時間を要する櫛形山脈は、そのものありのままで居てはどんなに情報発信を強化しても誘客増は心もとないので、新たな価値の創造と付加が必須なのだと思う。
何かテーマパークのような開発を誘致したりするのを考えがちだが、バブルの頃の発想であり、パーマネントな理念や永続性の担保が無いままに一時の流行りで廃れたものが殆どといっていい成れの果てを散々目にしてきたし、そもそも、この地方都市においてはそんなカネや有意な投資を呼び込むチカラも無さそうだ。
SNSの圧倒的影響力を持ち出すまでもなく、いまやワンビジョンをかざしてマスで人を動かすことのできる時代ではないと思う。ヒトの、とりわけ都市部生活者個々人の、内心に迫り、刺さり、行動に至らせる切り口というか事柄が必要なのだと思う。爆買いが象徴的な「モノ消費」から、思い出を創る体験などの「コト消費」へと観光行動が変わってきていると言われて久しい時勢からもそう思う。
何か個々人単位の人に響いて動機づけになるのか。私の薄い半生で得た知見の中で収斂されたのが「タイムカプセル」というアイテムというわけだ。
テレビのバラエティ番組やドラマにおいては、昭和や平成の時代を回顧するようなものが常に一定数ある。未だテレビを当てにしている我々年輩世代をノスタルジーでつなぎとめようというのか、テレビらしく世代間ギャップのある家族などの団らんづくりのネタとなることを企図しているのか、少し”いやらしさ”も鼻につくことがあるが、平成後期以降の若者にしてみれば「現在では見当たらない」モノやコトを純粋に面白く受け止めている者も少なくないと聞く。
現代の子供が分かるはずもない昭和ネタばかりのテレビドラマ「不適切にもほどがある」が若い世代にも意外にもウケていると聞いて思いを強くしたのが、ヒトは自分自身の、もしくは、親など自分が関係するヒトの、「昔の有り様や来歴などを紐解きたい」という根源的な欲求を持っているのではないかということだ。
自身や関心ある人の家系や血筋を遡って調べてみたり、戦争や災害で亡くなった係累の者の生涯を調べてみたくなったり。自分は何処から来て何処に向かうのかという哲学にも似た思いが、多かれ少なかれイメージはどうあれ、どんな人にも内在しているように思えるのだ。
その琴線に触れるかのように動機づけにつながるのが「タイムカプセル」というのはあまりに飛躍しているだろうか。昭和後期にはしばしば話題になったことからも、先に述べた昭和レトロブームに乗れるアイテムだし、展開する地と内容次第で、円筒形の茶筒型やスクエアな菓子缶型などの形状や、メッセージやお宝など中に何を入れるのかも、様々なバリエーションが考えられる柔軟性がある。
私の狭い情報収集網の範囲ではあるが、大々的にタイムカプセルを人寄せに展開している事例は聞かないし、「タイムカプセル」を使うアイデアを雑談で話すと地域活性化に比較的意識の高い人から「面白そうだね」と言ってもらえることがある。似たようなことが取り組まれる前に先駆者としての利益とプレゼンスを得たいものだ。
「櫛形山脈」は裾野から稜線に至るまで、多様な入口とアプローチルート、その途中では単に登山道や散策道のみならず、桜の名所広場や里山公園のような設えが、しかも各々が結構なスケール感で点在していて、正に老若男女が思いのまま好き好きの楽しみ方ができるフィールドだ。
基本としては、「緑の里山に触れて心身をリフレッシュするとともに、植樹や植栽管理などの美化や保全にお手伝いしてくれませんか」と都市住民に語り掛けたい。里山が清涼なる水源として田畑を安定して潤して美味しい米や野菜などの供給ができていることや国家的大動脈である国道7号安全など国土の保全にもつながっている中で、この地を出て行く若者が多くて地域保全の担い手が足りないので是非とも応援にお力を貸してくださいと、具体的な地域課題を掲げながら故郷の自然の大切さが自分にも関係する事であるとリアルに意識させ、それを背にして転出した者としての罪悪感も少し染みての”放っておけない”気持ちも引き出したいものだ。
そもそもこんな呼び掛けに関心を持ってくれるのは、社会的に意識の高めの人であろうから、脱炭素とSDGsを背景に「来訪は是非とも鉄道で」ということを半ば要件的に打ち出しても、「主催側も真摯に考えている」と好感が得られるだろう。都市住民への来訪の呼びかけに際しては当然ながら新発田地域の観て遊んで食べての魅力もセットで情報発信することになると思うが、野放図なスポット案内で「車でないと不便だな」と思わせてはいけない。間延びした観光資源の中で電車でのスマートな往来方法などを示し、それに適わないスポットは捨象するくらいの”選択と集中”が必要かもしれない。
新潟駅までは新幹線。そこからの信越線や羽越本線など鉄路を利用したスマートな観光地間の移動と組合せを、AI活用で提案するアプリなどを開発してくれるヒトが居ないものかと思う。今回の「新発田駅以北の鉄路を活かした盛り上げ案」に関わらず、脱炭素の時代に適した志向だと思うのだが。
都市住民への呼びかけにおいて「櫛形山脈」そのものの魅力を遺憾なくアピールしたとしても、最後に踏み出す動機づけが必要に思えてならない。
そこで、櫛形山脈の裾野付近を始め、山半ばの桜広場や公園、そして比較的険しい山道沿いの空間にまで、「タイムカプセル」を埋めるブロックエリアを設けたい。
山の随所に用地を設けるのは、老若男女の各々での体力や好みなどの違いによる「私はここに埋めたい」というロケーション希望に応えるためだ。例えば山中の広めの公園敷地の一か所に造るのも否定はしないが、墓地の区画ようになってしまわないかと我ながら白けるのだ。
植樹や植栽管理などで軽い疲労感と達成感を得た参加者たちに対して、ある程度の仕様と作法は決める必要があるとは思うが、各々で気に入った場所に自分だけの秘密を閉じ込めたタイムカプセルを埋めることを案内する。5年なのか10年後なのか、はたまた30年後以降か。年齢や事情により異なるであろう。しかし、必ずその時にこの地に来て開封したいという気持ちが途切れ途切れながらも保たれるだろう。
こうして彼ら彼女らは、その再来時にこの里山の保全への応援に再び汗を流してくれるヒトになるのだ。中には開封の遺志を託された子孫がとって代わることもあるかもしれない。この行事を毎年開催すれば、数年後以降は一定数のヒトたちが毎年里山に来てくれることになり恒常的に地域に関与してくれる人の数を想定したり、その増減見込みにより、事前の対策なども考えることすらできるのだ。
四季折々の風情がある低山なので、開催時期は、年内で複数タイミングも設定できる。降雪時期でさえもやりようによっては開催可能かもしれない。
「櫛形山脈の保全応援と貴方だけのタイムカプセル」の旅には羽越本線を利用してもらう。列車というのは自分で運転にあくせくする必要もなく、しかも羽越本線は新発田地域においては平地をほぼ直線で走るので、ものの読み書きなどもできる。列車内にこの催事参加者向けのリーフレットを用意して、現場までの動線案内や作業、タイムカプセル埋め込みの作法などを事前に予習させて出来るだけ地元関係者の労力を減らしたい。また、この予習と併せて、作業後に誘いたい周辺観光スポットの案内やアクセス方法などの情報も刷り込みたい。
駅から櫛形山脈まで徒歩でのアクセスを考えると、メインは「金塚駅」での降車となるが、駅前には飲食店は無いので、この催事の時間に合わせて地元特産品を使った軽食やお茶などを売る移動売店車をウエルカムゲートのように配したい。当然スタッフには地元や新発田地域に精通した者にして初めての土地に少し緊張する来訪者の肩をほぐしてやるのだ。
鉄路での来訪というので当然のことながら飲酒もできる。帰りに「金塚駅」の前では一汗かいた達成感を満足感へと高める地元産のクラフトビールや日本酒などでお見送りをするということになる。
しかしながら、どれほどの反応か全く当てにできない都会人だけを対象に考えるほど私は空想論者ではない。並行して、この企画に乗る人を構造的に確保する手立てを講じる必要があると考える。
それは、保育園から中学生までの「都会へ出て行く予備軍」を早くから参加させることだ。
高校進学の全県一区化などもあって高校生くらいになると地域を越えた通学に電車利用者も多くなるし、そのくらいの年頃にとって面白みがある遊び先となる新潟市へ運転免許はまだ無いので電車に乗ってということも往々にしてあり得るようになる。
一方で中学生くらいでは、自宅から遠くない最寄りの公立中学等へとせいぜい自転車で通うということが多く、まして小学生以下は言うまでもなく、新潟県内では彼らは電車を日常使いするという経験が無いまま育つパターンが増えている。保育園年長においてはわざわざ電車を体験させる行事まであるという。
新発田地域において中学生以下の電車利用体験行事において、羽越本線を集中して使うようにしてもらいたい。そして、体験電車の行き先を「櫛形山脈」にして、ここまで述べて来た植樹管理作業やタイムカプセルを埋める体験をつなぐのだ。
先に述べたように櫛形山脈は老若男女の別に適したロケーションが様々に選べるフィールドであり、滞在時間や作業内容で色々な展開も可能。
地元の里山が地域の安全安心な暮らしに如何に貢献しているかを臨地で体験し、将来の自分に向けたメッセージを考えさせることは、小中学生くらいであれば、郷土愛と地元での暮らしの意義を考えさせる大事な契機になると思うし、物心ついた幼児においても住宅街と都市部しか見ない日常の中で深く大きな緑を湛えた森林で汗をかいた思い出は、生涯残り続けるに違いないのだ。
新発田地域内の子供達こそこの企画への参加を促して、地域の自然環境と社会経済の維持に向けて関与する人数の確保と、将来にわたる定住やUターンへつながる者が増えるようにすべきと考える。
昭和育ちのレトロマインドから捻りだした直感的な知恵の次は、「タイムカプセル」そのものについて考えてみる。本当に旧態依然とした形状や内容のものだけで良いのだろうかと。
昔ながらのものを好む年配者や幼児などのビギナー向けに「昭和式のタイムカプセル」を運用することしても、一方で、斬新な「令和式のタイムカプセル」というのを考えてみるのも面白いのではないか。仮に昭和式がヨソの土地で競合することになっても、従来にない新たな価値をもって差別化を図るのだ。
やはり令和のスタンダードであるIT活用と今が旬のAI活用となろう。是非とも「デジタルタイムカプセル」というオプションを創造したいものだ。
櫛形山脈の山中のとある区画において、ここでしか読み取れない、複写できない、QRコードのような表示をつくり、スマホをかざして、個人の認証プロセスを経ると、ネットクラウド内にその人独自のタイムカプセル空間が作れるというものはどうか。
設定した年に居る”未来の自分”に向けたメッセージや今の自分が大事にすることを画像や動画などで入力保存するのであるが、一旦「鍵」をかけたら指定の年の日時にならないと自分ですら開けない、さらに、この櫛形山脈の現地に来て手続きしないと開錠できないという仕掛けにする。
しかし、それだけでは単なるデジタルアーカイブでしかなくて面白くないので、AI技術を活かしてみたい。
デジタルタイムカプセルを設定する箇所にウエブカメラを設置して、常時ないしは定時で周辺の樹々や環境の変化を映すほか、新発田地域における日々の出来事などを新聞やネットニュースなどにより情報蓄積していき、その映像と情報がカプセルを埋めた時に登録した自分のキャラクターにどのように影響を与えるかをAIが考える。つまり、貴方が、タイムカプセルという形で一時的に”心を置いて”後にした、この新発田地域に仮に暮らし続けた場合、歳月を経てカプセル開錠の時にはこんな風に変化したかもしれないと提示して見せるシステムを設けてはどうか。再来時に「この地に生きた場合の自分の可能性」が目の前に広がるのだ。
顔つきや身体という表面的なことでも良いのだが、結果によって当人を怒らせたりするリスクがあることなどに留意は必要で、できるだけ良い結果が出て、これからでも新発田地域を頻繁に来訪したり住んだりするのに遅くないかもと思わせるような、システム的なバイアス装置が必要であろう。それも結構面倒なので、文章や小説、場合によっては今後に向けた占いのお告げのようなテキスト形式が、人それぞれに都合よくイメージができて無難かもしれない。
自分自身という他に代えようがないものをもって、この新発田地域の櫛形山脈ならではの環境と仕組みにより、自分だけに創りだされるアウトプットが、しかもどのような結果になるか、その時にその場でなければ得られない形で得られるという趣向は、爆発的とはならずともじわりじわりと関心と参加を広げていくことに繋がるのではないだろうか。
デジタルタイムカプセルを是非とも地元の新発田地域に住む人により開発してもらえないかと思う。私のつたない発案など、ITやAIに関する知見や技術の高さのみであれば、都心の技術者によって造作なく構築されてしまうだろう。しかし、それではあたかも既製品として与えられて大勢の人々が夢中にさせられているデジタルゲームと同様な虚構になってしまうと思う。
例えば、地元の新潟県職業能力開発短期大学校で電子技術を学ぶ学生さんたちのように、新発田地域に身を置いて関連技術に関わっている若い人にこそ臨場感をもってシステムを構築して欲しい。最初はアイデアの部分的なところや単純なアーカイブ的システムから作って運用を始め、次第に内容を拡充したり高度化したりと成長していくのでも良い。
むしろ、そうした取り組みを先ずは始めることと、それが次第に展開されていくことそのものが報道されるなどして、デジタルタイムカプセル構想への関心や関与を呼び、目的である羽越本線を利用しての「櫛形山脈」への人の呼び込みとその沿線地域の盛り上げ活動のピーアールにもなるように思う。
新発田駅「以北」の羽越本線を活かした周辺地域の盛り上げについて、私なりの直感と感性による"なぶり書き"は以上のとおりで一旦の区切りとする。この粗野で荒唐無稽な"夢物語"が、原型無きまでにされても構わないので、けなされ叩き込まれるなどされて、有意で実効ある地域活性化案が生まれるような"引っ掛かり"にされないかと切に思うのだ。
丁度中心に位置する「新発田駅」を挟んで、「南側」の鉄路は広大な稲作田園地帯の真ん中を走り抜けるようなロケーションであったので、「新発田駅以南」という括りで独善的ながらも農業振興を切り口にして鉄路や駅の活かし方を先行的に取りまとめてみたところだ。
※「農業応援」編はこちら
もう一方の「新発田駅以北」は、沿線を見て回るとやはり想像通り「以南」とは大きま異なる状況であって、現代の車社会における日本海側の大動脈である国道7号とほぼ並行する形の鉄路が、数キロごとに散在する農村らしい”小集落たち”と駅周辺に二次三次産業従事が生計の柱と思しき”住宅の小規模のまとまり”をネットする駅を擁していて、パークアンドライドの駐車に見られるような正に都市部へ通じる玄関口の役割を果たしているような雰囲気だった。
自然と口を衝いた「玄関口」という言葉に我ながらハッとする。勝手な受け止めなのであるが、新発田駅「以南」の無人駅たちは、田圃のど真ん中で直ぐに農作業が始められそうな立地と少々汚れても気にならない駅舎の簡素さと古さなどから、農業の構造改善のための作業とか労力を呼び込むための現場農地における乗降口という、ある種の良い意味での泥くささをイメージするものであったのに対し、新発田駅「以北」の駅は、住宅地から車で乗り付けて都市部と行き来することが主であるかのような、幹線道路に近い立地と駅前の駐車に適した広めの敷地から、逆に都市部から人を呼び込んだときに駅を起点にして地域内各所へと誘導するための「玄関口」であるかのように直感したのだ。
「中条駅」のように都市部を始めあらゆる方面からのウエルカムゲートに相応しい設えの駅舎や施設を見たことにも影響を受けているのかもしれない。
それでは、「以北」にはどのような誘因で人々を、しかも鉄路を使わせて、呼び込んだらよいのか。視察で巡った現場を思い出しながらアイデアを捻りだしてみよう。
新発田駅近くにある私の職場の新発田地域振興局を乗用車で出発してからというもの、新発田駅以北の羽越本線の鉄路は国道7号と並走していたので、車窓から左手となる西側、日本海側を眺めながら、ほぼ4kmほどの長い区間を殆ど隣り合うように近接しているレールと道路敷地を活かして何かの技術の実証や試験などのフィールドに出来ないものかなどと、暫くはぼんやり考えていたものだ。
新幹線などは新型車両の試験走行時に、全線が高架で安定していて直線区間も長くデータなども取りやすいからなのか、上越新幹線の鉄路をよく使うという話を聴いたことがある。羽越本線と国道7号の近接並行区間も、お互いに何かの実験などを行うに際して、並走しながら監視したりデータを取ったりなどには好都合だろう。ただ、それには4km区間というのは短いか。
定時で走る鉄路と大動脈として車の流れが殆ど途絶えることのない一桁番号国道ということで考えるとどうか。雪国といわれる新潟県においては、温暖化によりすっかり暖冬小雪が基調になった近年なのであるが、一方で日替わりの様に寒暖差が大きくなったし、短時間で局地的に豪雪が降る「ドカ雪」に見舞われることも頻繁になった。
令和4年にドカ雪による長時間に及ぶ車の立往生で全国的にも有名になった柏崎市では、路肩に並べたポールからの熱源照射による融雪の実証試験が登坂道路で行われているようだが、その電源そのものに列車の運行による回生エネルギーの蓄電を活かすということで、エコな電力循環による車道融雪の実証実験場として、この鉄路と国道の近接並行4kmが活かせるのではないか。そうすると幾ばくかの資金や人員がこの地に投下されるのではないか…などと運転しながら"都合の良い夢物語"も妄想したものだ。
しかし、仮にそんなアイデアが具体化するにしても候補地の競争が起きれば、もっとロケーション的に有意だったり抗しがいのある厳しい自然環境だったりする地があるに違いない。標準化できたり代替化できるプランは、特に実験的な位置づけともなれば、実施されたとしても所詮は何処でも良かった中での選択肢でしかなかったという言い訳が残り続け、結果して”文化”のようにその地に根を下ろすようになることは望めまい。
発意にあたっては"初心"に返らねばならない。
代替の利かないこの地域ならではの資源や環境を活かす事柄であって、しかも、同時一斉でなく、ばらけたとしても、延べにして比較的大勢の人々が、発着時間が決まっていて移動中もあまり裁量の利かない列車に乗るという方法を選択して、新発田地域にやってくるようなアイデアが必要なのだ。
鉄路のある左側を見やりがちだった私は、正面に直ったあと、凝りをほぐすように首を右側に向けてみる。新発田地域振興局を出て直ぐの加治川に架かる国道7号「加治大橋」を渡って以来、殆ど無意識だったが、左側に並走する鉄路と同様に、右側は豊かな緑の木々が茂る里山のような、少し懐かしみを感じさせるような、広い空を大きく遮らずに圧迫感を与えない高さが安定してずっと続く景色と共に車を走らせていたことにようやく気が付いた。
山景色でありながら国道が走る麓沿いにおいても覆いかぶさるような威圧感を与えず、この何とも言えない親しみや心地よさを感じさせるのは「櫛形山脈」ではないかと改めて意識する。新発田駅以北の沿線とは、国道7号との並走であり、また、正に櫛形山脈の山裾を伝うような道筋なのだ。うかつにも現場を走って今更ながら気づく。昨年4月の着任以来、現地視察などは公用車に乗せてもらって移動したので、地図で理解していてもこの魅力的な山裾についてしみじみと眺めて考えることが無かったのだ。
「櫛形山脈」というキーワードは同時に「日本一低い山脈」というフレーズを頭に浮かばせる。そして、「コロナ禍でのレジャー志向の変化も背景に、ハイキング感覚で登れる低山が人気」といった昨今の新聞記事や、スパルタンなスタイルでの、まるまる終日を山中で持参する食料のみで費やすような、高山登りとは異なり、ゆるいハイキング感覚登山は、前後の平地滞在の時間における地元での飲食や買い物の需要が見込め、目的地となる高みにおいても公園に近い感覚なので、バーベキューなどの商品需要があると側聞したことなども続けて頭を巡る。
日本一低い山脈という唯一無二のアイデンティティと、麓で地酒も楽しむということになれば公共交通機関の利用ということになるという"鉄道活用の論理"を繋げて考えると面白いのでは。俄然アイデアを掘り下げてみたくなってきたのだ。
新発田地域にあり"日本一低い山脈"と呼ばれる「櫛形山脈」は、深い緑を湛えていい感じで連なる里山並みの低い山々だ。それは、玄人はだしのアルピニストだけに臨ませるような敷居の高さではなく、私のようなド素人にも優しく手招きしてくれるような佇まいだ。
余談になるが、私の山登りといえば、柏崎高校時代の3年間において毎年、丁度梅雨の季節に篠突く雨に打たれたりしてうんざりしながらも学校行事として頂上へと辿り着いた霊峰「米山」登山しかない。霧の中を泥川と化した険しい山道に足を取られて滑り落ちて行く者の悲鳴がコダマするのをあちこちで聞きながら、下手すれば滑落して死ぬのではと思うほどの中で頂上までなんとか辿り着いたものだ。そうした過酷な体験が登山というものに親しむところか逆に遠ざけるトラウマになっていたのだ。
それ以来の私は、新潟県の人口の3割以上が集中して今や日本海側唯一の政令市である新潟市の都市部にずっと住み続け、自然に触れ合うといっても整備され管理された都市公園や、都会人にちょっとした田舎暮らし感を楽しませることが意図された中山間地にある観光エリアにごくたまに小旅行で足を運ぶくらいで、山には馴染んでいない。
また、新発田地域にもともと住んできた人達には「櫛形山脈」のような自然は、珍しくもなんともなく、若い人にはむしろ、現代型の娯楽が何も見当たらない田舎ということで、背を向けてしまうものなのであろう。
しかし、都会暮らしが長く、何もかもが人工的で、計画的に設けられ、造られ、管理されたマテリアルやアイテム、ソフトや情報に囲まれた暮らしをしている人々には、その反動のように心理の奥底から生物としての何かが滲み出ていて、誰かの思い通りではない、自分の思い通りにすらならない、御し難くも未知の可能性を秘めた自然と関わりたいという欲求があるのではないかと感じている。
これは、数年前に、新潟県からの転出が深刻化する若者たちを何とか新潟に呼び戻したい、誘い込みたいという、いわゆるUIターン促進の業務に携わっていた時に、都会暮らしの若者達との懇談会において感覚的に会得したものだ。
しかし、櫛形山脈が「日本一低い山脈で親しみやすいですよ」という物理的自然環境のみをかざしても人はなびくものではないし、それに類するものは日本中あちこちにゴロゴロしているだろう。「ここだけ」の「この地ならでは」の誘因や仕掛けが必要なのだ。
里山と考えて思い浮かぶのが、緑を次世代に残したいという高い理念のもとで進める植樹活動に企業や団体、個人が多数協賛している「新潟県緑の百年物語」という取組だ。新潟県内の各地で関係者による協議会が設置されていて、令和5年の10月に、私が業務で所管するこの新発田地域においても協議会が再生する形で設立されたばかり。
折しも、脱炭素やSDGsなどの考え方が老若男女問わず国民的に広がっており、この取組においては正に追い風の時勢なのだが、祝辞のために設立総会に参加して関係者を見渡すと高齢者ばかり。引き継ぐべき地元後継者の、もしくは、外部から関与してくれる人の、植樹作業なども考えればできれば若い人からの、関与を増やす必要があると切実に思ったものだ。
その方策として、私なりに様々考えた中の一つのアイデアが、唐突に思われるかもしれないが、植樹に際して「未来の自分」に向けた「タイムカプセル」を埋めるという催事を行ってはどうかというものだ。
世界で次々起こる戦争や紛争、感染症パンデミック、そして地震といった自然災害などにより、明日をも知れぬ先行きに誰しもが多かれ少なかれ不安を抱いている時代だと思う。そんな中で、自分が今を生きている証を残すことや、自分が運よく健やかに暮らし続けられるような細やかな”張り合い”として、将来の自分に向けた"願掛け"というか楽しみを残すことが、訴求力になるのではないかと感じているところ。
デジタルの時代であり、手元のスマホに記録したり、SNSなどを通じてクラウドに記録していくというのも簡単であるが、電源の途断や機器の故障により読み取ることができなくなるデジタル機器の危うさ、そして、ネットやクラウドを介するリスクなどが懸念される。
また、デジタル技術の益々の先鋭化が、アナログへの回帰や見直しを引き起こしているような雰囲気を今の世の中に感じとれることもある。
「タイムカプセル」はそのレトロな響きとともに、幼い頃に一度くらいは同じ趣旨で地中に何か埋めたことがあるなあという郷愁を呼び起こす。情勢変化の目まぐるしさからドッグイヤーの時代と言われたのも随分以前の話であり、タイムカプセルを開く時期はそう遠くない10年後前後くらいに設定し、掘り返す都度、その時の自分の思いも新たに次の10年後の自分に向けて埋めることを繰り返すくらいが丁度良いかもしれない。
このイベントを誘因のひとつとして、都会人の一群を新発田地域の里山の植樹に呼び込み、それが毎年催せれば、10年後以降は毎年、自分のタイムカプセルの掘り起こしを目当てにリピーター達がやってくる。変わらぬカプセルからの語り掛けと今の自分との乖離を感じ、そして10年前との緑の木々の違いからも感慨深いものが得られるに違いない。自分も関わった植樹の連鎖が緑を豊かに保ち、美しい里山空間を守っているのだと、良い環境づくりへ自身の貢献が効いていることを感じ取れるのは、達成感のような、生きている実感のようなものをもたらすかもしれない。
脱炭素、SDGsという企画に関わろうという人々はそもそも意識が高いのだから、現地への参集も、その日くらいはできるだけ環境負荷のない方法でということになる。
「櫛形山脈」は、山脈と呼ばれるくらいあって、一つの高みしかない円錐のようなものではなく、100m強から600m弱の高みを稜線でつないで8kmほどに連なるありそうでなかなかない珍しい形状だ。
令和5年に新発田地域振興局へ着任早々の私は、春ということもあって山脈の中ほどに位置する大峰山の麓近くの公園において見事だと聞いた桜の状況を視察に行ったのだが、桜が整然と植樹された簡単な広場というものでは無くて、山の高低や形状を上手に利用しつつ、一部はヒトの手を加えて整地しながら、桜の樹々がしかも箇所ごとに異なる種類が植栽されている「桜の博物館」のようなものであったことに驚いた。
また、秋には、櫛形山脈の南端近くを国道7号付近から入り山越えして裏側にある名刹の「菅谷不動尊」に到達して国道290号へと抜ける「箱岩峠」を視察し、その高みから近くに見える山形県との県境の飯豊連峰や、反対側には遠く佐渡も望める日本海の広がりを眺めて、この素晴らしい景色が、最寄の鉄道駅やアクセス便利な国道から、場合によっては徒歩でのそれほど無理のない登山により得られると体感した時には、これはこの地ならではの貴重な誘客資源だなと思ったものだ。
ことほど左様に、櫛形山脈は、アプローチの仕方により、季節により、数えきれないくらいのバリエーションをもたらしてくれそうなフィールドであると直感する。「くれそうな」というのは私自身が未開拓であり雄弁に語れる体験を持ち得ていないからだ。気候がよくなったら色々なアプローチを試してみたいと改めて思う。
「櫛形山脈」は現状で緑濃い森林なので、「植樹しないと危ない」などと悲壮感を押し出して人心を絆して誘い込みをかける訳にはいくまい。広くて労力を要する桜公園の整備に一肌脱いでくれませんかといって、桜の時期に「たまには行ったことの無い地方での花見でも楽しんでみるか」などとコロナ禍明けで久々に珍しい土地に出掛けたいという人心をくすぐるというのは手かも知れない。花見となればどうせなら美味いと評判の新潟の地酒を楽しみたいということに繋がるので、JR羽越本線の活用にもつながろう。だが、「桜」で推せるのは限られた時期でしかない。
もう一つの切り口で思いつくのは、山脈形状ゆえに、しかも低山なので、色々な登り口から入ってハイキング気分から少し本格までの多様なアプローチや過ごし方が楽しめるということで、コース紹介をして、数か月や数年かけて「全制覇」をしてみませんかというものだ。
これであれば、気候の穏やかな時季のみならずある程度の積雪時の来訪も促せる。こうした櫛形山脈への誘客のアイデアは既に有って私が知らないだけかも知れないので調べてみて、先々の仕掛けづくりも念頭にその前ぶりとして必要を感じれば、県の地域機関として新発田地域振興局でも情報発信を強化したいと思う。
それにしても、桜と低山の魅力ということだけでは、「日本一低い山脈」という希少性からの誘客は容易に多くは望めないだろう。
やはり、「この土地ならでは」の、「ここに来ずしては体験できない何か」で、しかも「できれば羽越本線を使って」ということでなくてはならない。
「歴史の京都」や「最新の東京」のような圧倒的な誘客力にも少しは抗えるような資源が地域の歴史や伝統、今日のありのままの姿の中に見出せないのなら、新たに創造して付加する必要があるのであろう。
私のようにカネもマンパワーも余力のない新発田地域振興局という県の出先機関を預かる立場で、何が出来るのか。昭和と平成のマインドどっぷりで育ち、非力で虚弱な文化系の私が思いつくのは、やはり「タイムカプセル」というレトロ感覚での知恵と、加えてはデジタル技術の活用ということになりそうだ。
羽越本線の利活用増進を絡めて沿線地域の活性化に繋がる策はないか。新発田駅以北の鉄路が日本一低い山脈というインパクトでアピールできる「櫛形山脈」の裾野を沿うように走っていることに着目して、都市部の住民を櫛形山脈へと誘う企画を考えてみた。
あれこれ様々なアイデアを頭の中に思い浮かべては消しての葛藤を経て、収斂させたのが「タイムカプセルを埋めて楽しむ地」にしてはどうかというものだ。
当該「新発田地域」は、ほどよく田舎といえば聞こえはいいが、中途半端な地方都市とその郊外であり、都心の生活様式や仕事内容などの魅力を幼少より各種メディアから見せられ続け、全国的制度として最低賃金がランクづけられたことを背景にした初任給格差などを前にして、若者達、特に若い女性達の、進学や就職を機にした転出が続く新潟県内における典型的な地域の一つだ。
若者の減少により少子化も続いているので、ローカル鉄道の羽越本線としては、主に高校生頼みの通学路としての利用は減る一方であろうし、人口減少が経済規模と雇用の場もしぼませること、そして道路網の整備の良さがアダにもなって、便利な車使用への代替も増えて、鉄路を通勤に利用するものそのものも減少するばかりだろう。
右肩上がりの経済成長と人口増の頃のような鉄道利用方法をもう一度というのは、おそらくは、かなり暫く先までは構造的に望めない状況なのだ。
そんな逆流の大河の中にあって、なんとかヨソの似たような地方都市ではなくこの「新発田地域」に来訪する人数を、しかも「羽越本線を使って」増やせないかと考えたとき、活かせるその沿線ならではの地域資源としては、ハイキング感覚の低山での登山や遊びが増えているいわれるコロナ禍後のトレンドを踏まえ、日本一低い山脈として唯一無二の決定的でインパクトある独自性を打ち出せる「櫛形山脈」が最有力であると考える。
ただ、東京で大人気の高尾山のように後背にある首都圏の膨大な人口が往来しやすい地とは異なり、最寄りの人口集積地である政令市の新潟市からも小一時間を要する櫛形山脈は、そのものありのままで居てはどんなに情報発信を強化しても誘客増は心もとないので、新たな価値の創造と付加が必須なのだと思う。
何かテーマパークのような開発を誘致したりするのを考えがちだが、バブルの頃の発想であり、パーマネントな理念や永続性の担保が無いままに一時の流行りで廃れたものが殆どといっていい成れの果てを散々目にしてきたし、そもそも、この地方都市においてはそんなカネや有意な投資を呼び込むチカラも無さそうだ。
SNSの圧倒的影響力を持ち出すまでもなく、いまやワンビジョンをかざしてマスで人を動かすことのできる時代ではないと思う。ヒトの、とりわけ都市部生活者個々人の、内心に迫り、刺さり、行動に至らせる切り口というか事柄が必要なのだと思う。爆買いが象徴的な「モノ消費」から、思い出を創る体験などの「コト消費」へと観光行動が変わってきていると言われて久しい時勢からもそう思う。
何か個々人単位の人に響いて動機づけになるのか。私の薄い半生で得た知見の中で収斂されたのが「タイムカプセル」というアイテムというわけだ。
テレビのバラエティ番組やドラマにおいては、昭和や平成の時代を回顧するようなものが常に一定数ある。未だテレビを当てにしている我々年輩世代をノスタルジーでつなぎとめようというのか、テレビらしく世代間ギャップのある家族などの団らんづくりのネタとなることを企図しているのか、少し”いやらしさ”も鼻につくことがあるが、平成後期以降の若者にしてみれば「現在では見当たらない」モノやコトを純粋に面白く受け止めている者も少なくないと聞く。
現代の子供が分かるはずもない昭和ネタばかりのテレビドラマ「不適切にもほどがある」が若い世代にも意外にもウケていると聞いて思いを強くしたのが、ヒトは自分自身の、もしくは、親など自分が関係するヒトの、「昔の有り様や来歴などを紐解きたい」という根源的な欲求を持っているのではないかということだ。
自身や関心ある人の家系や血筋を遡って調べてみたり、戦争や災害で亡くなった係累の者の生涯を調べてみたくなったり。自分は何処から来て何処に向かうのかという哲学にも似た思いが、多かれ少なかれイメージはどうあれ、どんな人にも内在しているように思えるのだ。
その琴線に触れるかのように動機づけにつながるのが「タイムカプセル」というのはあまりに飛躍しているだろうか。昭和後期にはしばしば話題になったことからも、先に述べた昭和レトロブームに乗れるアイテムだし、展開する地と内容次第で、円筒形の茶筒型やスクエアな菓子缶型などの形状や、メッセージやお宝など中に何を入れるのかも、様々なバリエーションが考えられる柔軟性がある。
私の狭い情報収集網の範囲ではあるが、大々的にタイムカプセルを人寄せに展開している事例は聞かないし、「タイムカプセル」を使うアイデアを雑談で話すと地域活性化に比較的意識の高い人から「面白そうだね」と言ってもらえることがある。似たようなことが取り組まれる前に先駆者としての利益とプレゼンスを得たいものだ。
「櫛形山脈」は裾野から稜線に至るまで、多様な入口とアプローチルート、その途中では単に登山道や散策道のみならず、桜の名所広場や里山公園のような設えが、しかも各々が結構なスケール感で点在していて、正に老若男女が思いのまま好き好きの楽しみ方ができるフィールドだ。
基本としては、「緑の里山に触れて心身をリフレッシュするとともに、植樹や植栽管理などの美化や保全にお手伝いしてくれませんか」と都市住民に語り掛けたい。里山が清涼なる水源として田畑を安定して潤して美味しい米や野菜などの供給ができていることや国家的大動脈である国道7号安全など国土の保全にもつながっている中で、この地を出て行く若者が多くて地域保全の担い手が足りないので是非とも応援にお力を貸してくださいと、具体的な地域課題を掲げながら故郷の自然の大切さが自分にも関係する事であるとリアルに意識させ、それを背にして転出した者としての罪悪感も少し染みての”放っておけない”気持ちも引き出したいものだ。
そもそもこんな呼び掛けに関心を持ってくれるのは、社会的に意識の高めの人であろうから、脱炭素とSDGsを背景に「来訪は是非とも鉄道で」ということを半ば要件的に打ち出しても、「主催側も真摯に考えている」と好感が得られるだろう。都市住民への来訪の呼びかけに際しては当然ながら新発田地域の観て遊んで食べての魅力もセットで情報発信することになると思うが、野放図なスポット案内で「車でないと不便だな」と思わせてはいけない。間延びした観光資源の中で電車でのスマートな往来方法などを示し、それに適わないスポットは捨象するくらいの”選択と集中”が必要かもしれない。
新潟駅までは新幹線。そこからの信越線や羽越本線など鉄路を利用したスマートな観光地間の移動と組合せを、AI活用で提案するアプリなどを開発してくれるヒトが居ないものかと思う。今回の「新発田駅以北の鉄路を活かした盛り上げ案」に関わらず、脱炭素の時代に適した志向だと思うのだが。
都市住民への呼びかけにおいて「櫛形山脈」そのものの魅力を遺憾なくアピールしたとしても、最後に踏み出す動機づけが必要に思えてならない。
そこで、櫛形山脈の裾野付近を始め、山半ばの桜広場や公園、そして比較的険しい山道沿いの空間にまで、「タイムカプセル」を埋めるブロックエリアを設けたい。
山の随所に用地を設けるのは、老若男女の各々での体力や好みなどの違いによる「私はここに埋めたい」というロケーション希望に応えるためだ。例えば山中の広めの公園敷地の一か所に造るのも否定はしないが、墓地の区画ようになってしまわないかと我ながら白けるのだ。
植樹や植栽管理などで軽い疲労感と達成感を得た参加者たちに対して、ある程度の仕様と作法は決める必要があるとは思うが、各々で気に入った場所に自分だけの秘密を閉じ込めたタイムカプセルを埋めることを案内する。5年なのか10年後なのか、はたまた30年後以降か。年齢や事情により異なるであろう。しかし、必ずその時にこの地に来て開封したいという気持ちが途切れ途切れながらも保たれるだろう。
こうして彼ら彼女らは、その再来時にこの里山の保全への応援に再び汗を流してくれるヒトになるのだ。中には開封の遺志を託された子孫がとって代わることもあるかもしれない。この行事を毎年開催すれば、数年後以降は一定数のヒトたちが毎年里山に来てくれることになり恒常的に地域に関与してくれる人の数を想定したり、その増減見込みにより、事前の対策なども考えることすらできるのだ。
四季折々の風情がある低山なので、開催時期は、年内で複数タイミングも設定できる。降雪時期でさえもやりようによっては開催可能かもしれない。
「櫛形山脈の保全応援と貴方だけのタイムカプセル」の旅には羽越本線を利用してもらう。列車というのは自分で運転にあくせくする必要もなく、しかも羽越本線は新発田地域においては平地をほぼ直線で走るので、ものの読み書きなどもできる。列車内にこの催事参加者向けのリーフレットを用意して、現場までの動線案内や作業、タイムカプセル埋め込みの作法などを事前に予習させて出来るだけ地元関係者の労力を減らしたい。また、この予習と併せて、作業後に誘いたい周辺観光スポットの案内やアクセス方法などの情報も刷り込みたい。
駅から櫛形山脈まで徒歩でのアクセスを考えると、メインは「金塚駅」での降車となるが、駅前には飲食店は無いので、この催事の時間に合わせて地元特産品を使った軽食やお茶などを売る移動売店車をウエルカムゲートのように配したい。当然スタッフには地元や新発田地域に精通した者にして初めての土地に少し緊張する来訪者の肩をほぐしてやるのだ。
鉄路での来訪というので当然のことながら飲酒もできる。帰りに「金塚駅」の前では一汗かいた達成感を満足感へと高める地元産のクラフトビールや日本酒などでお見送りをするということになる。
しかしながら、どれほどの反応か全く当てにできない都会人だけを対象に考えるほど私は空想論者ではない。並行して、この企画に乗る人を構造的に確保する手立てを講じる必要があると考える。
それは、保育園から中学生までの「都会へ出て行く予備軍」を早くから参加させることだ。
高校進学の全県一区化などもあって高校生くらいになると地域を越えた通学に電車利用者も多くなるし、そのくらいの年頃にとって面白みがある遊び先となる新潟市へ運転免許はまだ無いので電車に乗ってということも往々にしてあり得るようになる。
一方で中学生くらいでは、自宅から遠くない最寄りの公立中学等へとせいぜい自転車で通うということが多く、まして小学生以下は言うまでもなく、新潟県内では彼らは電車を日常使いするという経験が無いまま育つパターンが増えている。保育園年長においてはわざわざ電車を体験させる行事まであるという。
新発田地域において中学生以下の電車利用体験行事において、羽越本線を集中して使うようにしてもらいたい。そして、体験電車の行き先を「櫛形山脈」にして、ここまで述べて来た植樹管理作業やタイムカプセルを埋める体験をつなぐのだ。
先に述べたように櫛形山脈は老若男女の別に適したロケーションが様々に選べるフィールドであり、滞在時間や作業内容で色々な展開も可能。
地元の里山が地域の安全安心な暮らしに如何に貢献しているかを臨地で体験し、将来の自分に向けたメッセージを考えさせることは、小中学生くらいであれば、郷土愛と地元での暮らしの意義を考えさせる大事な契機になると思うし、物心ついた幼児においても住宅街と都市部しか見ない日常の中で深く大きな緑を湛えた森林で汗をかいた思い出は、生涯残り続けるに違いないのだ。
新発田地域内の子供達こそこの企画への参加を促して、地域の自然環境と社会経済の維持に向けて関与する人数の確保と、将来にわたる定住やUターンへつながる者が増えるようにすべきと考える。
昭和育ちのレトロマインドから捻りだした直感的な知恵の次は、「タイムカプセル」そのものについて考えてみる。本当に旧態依然とした形状や内容のものだけで良いのだろうかと。
昔ながらのものを好む年配者や幼児などのビギナー向けに「昭和式のタイムカプセル」を運用することしても、一方で、斬新な「令和式のタイムカプセル」というのを考えてみるのも面白いのではないか。仮に昭和式がヨソの土地で競合することになっても、従来にない新たな価値をもって差別化を図るのだ。
やはり令和のスタンダードであるIT活用と今が旬のAI活用となろう。是非とも「デジタルタイムカプセル」というオプションを創造したいものだ。
櫛形山脈の山中のとある区画において、ここでしか読み取れない、複写できない、QRコードのような表示をつくり、スマホをかざして、個人の認証プロセスを経ると、ネットクラウド内にその人独自のタイムカプセル空間が作れるというものはどうか。
設定した年に居る”未来の自分”に向けたメッセージや今の自分が大事にすることを画像や動画などで入力保存するのであるが、一旦「鍵」をかけたら指定の年の日時にならないと自分ですら開けない、さらに、この櫛形山脈の現地に来て手続きしないと開錠できないという仕掛けにする。
しかし、それだけでは単なるデジタルアーカイブでしかなくて面白くないので、AI技術を活かしてみたい。
デジタルタイムカプセルを設定する箇所にウエブカメラを設置して、常時ないしは定時で周辺の樹々や環境の変化を映すほか、新発田地域における日々の出来事などを新聞やネットニュースなどにより情報蓄積していき、その映像と情報がカプセルを埋めた時に登録した自分のキャラクターにどのように影響を与えるかをAIが考える。つまり、貴方が、タイムカプセルという形で一時的に”心を置いて”後にした、この新発田地域に仮に暮らし続けた場合、歳月を経てカプセル開錠の時にはこんな風に変化したかもしれないと提示して見せるシステムを設けてはどうか。再来時に「この地に生きた場合の自分の可能性」が目の前に広がるのだ。
顔つきや身体という表面的なことでも良いのだが、結果によって当人を怒らせたりするリスクがあることなどに留意は必要で、できるだけ良い結果が出て、これからでも新発田地域を頻繁に来訪したり住んだりするのに遅くないかもと思わせるような、システム的なバイアス装置が必要であろう。それも結構面倒なので、文章や小説、場合によっては今後に向けた占いのお告げのようなテキスト形式が、人それぞれに都合よくイメージができて無難かもしれない。
自分自身という他に代えようがないものをもって、この新発田地域の櫛形山脈ならではの環境と仕組みにより、自分だけに創りだされるアウトプットが、しかもどのような結果になるか、その時にその場でなければ得られない形で得られるという趣向は、爆発的とはならずともじわりじわりと関心と参加を広げていくことに繋がるのではないだろうか。
デジタルタイムカプセルを是非とも地元の新発田地域に住む人により開発してもらえないかと思う。私のつたない発案など、ITやAIに関する知見や技術の高さのみであれば、都心の技術者によって造作なく構築されてしまうだろう。しかし、それではあたかも既製品として与えられて大勢の人々が夢中にさせられているデジタルゲームと同様な虚構になってしまうと思う。
例えば、地元の新潟県職業能力開発短期大学校で電子技術を学ぶ学生さんたちのように、新発田地域に身を置いて関連技術に関わっている若い人にこそ臨場感をもってシステムを構築して欲しい。最初はアイデアの部分的なところや単純なアーカイブ的システムから作って運用を始め、次第に内容を拡充したり高度化したりと成長していくのでも良い。
むしろ、そうした取り組みを先ずは始めることと、それが次第に展開されていくことそのものが報道されるなどして、デジタルタイムカプセル構想への関心や関与を呼び、目的である羽越本線を利用しての「櫛形山脈」への人の呼び込みとその沿線地域の盛り上げ活動のピーアールにもなるように思う。
新発田駅「以北」の羽越本線を活かした周辺地域の盛り上げについて、私なりの直感と感性による"なぶり書き"は以上のとおりで一旦の区切りとする。この粗野で荒唐無稽な"夢物語"が、原型無きまでにされても構わないので、けなされ叩き込まれるなどされて、有意で実効ある地域活性化案が生まれるような"引っ掛かり"にされないかと切に思うのだ。
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