●学童の立ち寄り先・えんま市(その2)
柏崎市は海岸に岩場もあり、子供のころから多様な磯の生き物と十分に触れ合うことができることが今も大いなる魅力だと思うのだが、磯遊びの時に海中を動き回る小ぶりのヤドカリの挙動や姿形にとりわけ面白みを感じて、幾つか捕まえては空き瓶か何かに入れて砂浜で飽きずに眺めていたものだ。
ただ、海中の生き物だから自宅に持ち帰ることまではできないと子供心に理解していた。一度だけ自宅で小さな水槽の中にて疑似的な海水をつくる薬品や空気ポンプなどを使って飼育を試みたことがあったが、さすがにほんの数日で死滅してしまった。磯遊びから引き上げる時に獲物を海へリリースするたびにため息が出たものだ。小鳥などの小動物が好きなら自宅でペットとして愛でられるのに当時の自分の好みがヤドカリであることに落胆するような思いだった。
そんな学童の前に現れたのが「えんま市」の露天でのオカヤドカリだった。大きなタライのような入れ物が三つくらい並んでいる中で、ひしめく様にカサカサと動いていた。大きさによるのか担いでいる貝殻の希少性によるのかで振り分けられてタライ別で一匹数百円ほどで値付けされいたと思う。
驚いたのは水の無いところで元気が良い事と、貝殻が見たことも無いような模様や形であること、そして本体は薄い紫色でハサミや足などしっかりとした造りで、海で捕まえる地味で野暮ったい風体のものに比較して、魅力的な玩具のようにアピールしてくる造形だった。
一見して魅了された私は、露天周りの最後に親にねだって3匹ほど買ってもらい、金魚すくいで使うようなビニール袋に入れられたそれの動きを手に感じながら、できるだけ足早に家に向かった。帰宅すると使っていない小さなプラスチック製の風呂桶に入れて動きを喜々と眺め続け、なんとか逃げ出そうとして桶の内側に爪をかけるも滑ってはその衝撃で貝殻の中に瞬間で入り込む姿などを飽きずに寝落ちするまで見守っていた。
面倒な水の管理が不要で餌も野菜を与えれば済むということだったが、元々は暑い南国の砂浜の生き物。気温など飼育環境を適切にコントロールできるような裕福な我が家では無かったし、また恐らくは雑菌など本来の生息地には無い脅威があったと思えて、えんま市のある6月半ばから数週間程度は生き永らえるのであるが、朝起きるたびに一匹ずつ貝殻から身を出して死んでいる姿を見ることとなった。
相当に悔しいような切ないような気持ちになるのであるが、小学生の私は懲りずに毎年「えんま市」でオカヤドカリを買っては、死なせてしまうことを数年間続けていた。毎度同じ事の繰り返しとは分かってはいるものの、露天でその姿を見ると、飼わずにはいられなかったのだ。
小学5年生くらいの年に急に意識が変わって「今年は止めよう」と思い立ち、それ以降は一切買っていないし露天で見ても関心が持てなくなった。”気持の卒業”というのは生きていると色んな時期に色んな場面で突如訪れるものだ。私は昔から割り切りと切り替えだけは早くて徹底している質(たち)のようでもある。
今から思えば、地獄行きをさけるべく閻魔様に誓いを立てたその足で弱き生き物に残酷なことするのを繰り返していたのだなあと反省する。しかし子供には、幼少のときだからこそ、昆虫など相手にそうした所業を経験しておくことが、大人になるに向けての慈悲や優しさを身に着けるに必要なのではないかと勝手ながら思えてならない。
果たしてそんな言い訳は私が死して裁きを受ける時に通用するのかどうか。如何ような審判になるかは、えんま市を通じて子供のころから顔なじみのように思えてならない閻魔様のみぞ知るということか。
ただ、海中の生き物だから自宅に持ち帰ることまではできないと子供心に理解していた。一度だけ自宅で小さな水槽の中にて疑似的な海水をつくる薬品や空気ポンプなどを使って飼育を試みたことがあったが、さすがにほんの数日で死滅してしまった。磯遊びから引き上げる時に獲物を海へリリースするたびにため息が出たものだ。小鳥などの小動物が好きなら自宅でペットとして愛でられるのに当時の自分の好みがヤドカリであることに落胆するような思いだった。
そんな学童の前に現れたのが「えんま市」の露天でのオカヤドカリだった。大きなタライのような入れ物が三つくらい並んでいる中で、ひしめく様にカサカサと動いていた。大きさによるのか担いでいる貝殻の希少性によるのかで振り分けられてタライ別で一匹数百円ほどで値付けされいたと思う。
驚いたのは水の無いところで元気が良い事と、貝殻が見たことも無いような模様や形であること、そして本体は薄い紫色でハサミや足などしっかりとした造りで、海で捕まえる地味で野暮ったい風体のものに比較して、魅力的な玩具のようにアピールしてくる造形だった。
一見して魅了された私は、露天周りの最後に親にねだって3匹ほど買ってもらい、金魚すくいで使うようなビニール袋に入れられたそれの動きを手に感じながら、できるだけ足早に家に向かった。帰宅すると使っていない小さなプラスチック製の風呂桶に入れて動きを喜々と眺め続け、なんとか逃げ出そうとして桶の内側に爪をかけるも滑ってはその衝撃で貝殻の中に瞬間で入り込む姿などを飽きずに寝落ちするまで見守っていた。
面倒な水の管理が不要で餌も野菜を与えれば済むということだったが、元々は暑い南国の砂浜の生き物。気温など飼育環境を適切にコントロールできるような裕福な我が家では無かったし、また恐らくは雑菌など本来の生息地には無い脅威があったと思えて、えんま市のある6月半ばから数週間程度は生き永らえるのであるが、朝起きるたびに一匹ずつ貝殻から身を出して死んでいる姿を見ることとなった。
相当に悔しいような切ないような気持ちになるのであるが、小学生の私は懲りずに毎年「えんま市」でオカヤドカリを買っては、死なせてしまうことを数年間続けていた。毎度同じ事の繰り返しとは分かってはいるものの、露天でその姿を見ると、飼わずにはいられなかったのだ。
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(「柏崎こども時代18「えんま市(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代19「カナヅチ苦労(その1)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
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☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
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