新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代17「えんま市(その1)」

●学童の立ち寄り先・えんま市(その1)

 生まれながらの地に根付いている文化や風習というのは物心ついた時から常識だと思うもので、柏崎市に生まれ育った私や身の回りの人々にとってその代表格の一つが「えんま市」という催事だ。
 昭和40年代の頃は、親子で楽しめるような娯楽が少なく、一方で現代のように趣味や嗜好が個別化してそれに応えるメディアや道具等の充実も相まって各々で楽しみを追求できるというのでもない時代だったので、家族皆で繰り出しつつ、立ち並ぶ多様な露天商を巡りながら大人や子供が各々の好き好きにより観たり買ったりして楽しめるこの催事は、市民全体で大いに盛り上がるものだった。
 「えんま市」は毎年6月半ばの三日間と日取りが定められた「縁日」であったが、神社仏閣を中心とする催事にありがちな神輿や山車などのメイン行事があるわけではない。柏崎市の中心市街地のメーンストリートを数キロにわたり数百の露天商が賑々しく連なる中をひたすら行き来して、普段お目にかかれない関西方面の食べ物や、安っぽいけどもの珍しさのある装飾品や玩具などを見て歩きながら、思いつきのように買って食べたり、射幸心をあおるクジ引きなどで景品の入手を試みたりという具合だった。
 派手で注目されるような核になる神事などが無く、ただの露天の寄り集まりという無秩序な雰囲気に、地域振興や移住定住の観点で物足りないと嘆く声も時折聞かれるが、ただ歩くだけで物珍しい色々なものが次々と目に飛び込んでくる長い距離の露天ストリートそのものが、ある種アミューズメントパークのようだと言えなくもない。露天の構成や連ね方には今後もまだまだ人寄せや郷土愛につなげる工夫の余地はあると思う。
 さて、そもそも「えんま市」というくらいなので、基本になるのは、露天が立ち並ぶ中央付近にある「閻魔堂」に安置された閻魔様の木造に、年に一度くらいは皆でお参りしようということなのだと思う。堂内に掲げられた極楽と地獄の絵図は、生きている間の所業により先行きを閻魔様に裁かれるのだと当時の児童くらいまでは信じさせるようなおどろおどろしいもので、私も空想の絵図ということを知りつつも、手を合わせて「悪ふざけしないで勉強します」などとと心の中で誓いを立てたものだ。小学校の低学年くらいまでだったけど。
 先ずは閻魔様にお参りをしてから露天を眺め歩くとというのが定例のパターンであった。小学校高学年以降は食い意地が強くなってきて、昭和40年代半ばの柏崎市では見ることのなかった「たこ焼き」や「お好み焼き」といった関西の粉ものが珍しくて、買い込む定番となったのだが、小学校4年くらいまでは毎年必ず買う別のものがあった。それは”オカヤドカリ”だ。

(「柏崎こども時代17「えんま市(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代18「えんま市(その2)」」に続きます。)
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