新潟久紀ブログ版retrospective

仕事観の形成と就職するまで編1「異動内示の日」

<仕事観の形成と就職するまで編1>-----------------------------------
●「異動内示の日」…実は希望が叶った異動先。

 1992年3月半ばの一日。勤務先の福祉事務所では、始業前に順次出勤してくる同僚達が、気候のことやら昨晩のテレビ番組の話題やら、朝の挨拶に続けて和やかな雑談が繰り広げられるのが恒例だが、この日は軽い緊張感のような雰囲気が事務所全体を包み、聞こえてくる話し声もどこか控えめだ。
 来る新年度4月1日付けの人事異動の内示が伝達される日なのだ。本日がその日であることは、通例により昨日夕方に全職員に周知されており、自分もしくは同僚の生活を一変させるかもしれない新たな職場の発表を間近に控えていると思うと、職場の上長から末席担当まで皆が何となく落ち着かないのだ。
 人事当局の日程管理の下で、午前10時に次長が、在所している職員皆に対して、これから人事異動の内示伝達を行うことを宣言した。結果が好むものか好まざるものか、蓋を開けてみなければ解らない、年に一度の大イベントの幕開けだ。特に、大卒採用者の配属に関して「最初本庁3年、次に出先3年が定例」と漏れ聞いていた異動"当確"の私は、緊張が高まる。
 「人事異動でここまで盛り上がるほど公務員は暇なのか…」と思うなかれ。某テレビのドラマ番組で「銀行員は人事が全て」とのセリフがあったが、公務員も然り。公共土木から産業政策、教育、文化等々…分野が幅広い上に業務内容も多岐にわたる行政業務は"仕事のデパート"であり、異動により自身の知見はもとより仕事の繁閑等によっては生活までもが激変してしまう。異動は次の数年間の生活を左右する一大事なのだ。
 ましてや、新採用で「企業会計」という、一般的感覚からすると「県庁職員の仕事にそんなのあったんだ」と思われるような職場に配属され、散々苦労させられた私は、引き続き、口の悪い友人の言う"キワモノ路線"をひた走るような先行きになるのか、ここが"天下の分け目"かのように肩に力が入っていたのだ。
 順次名前を呼ばれた者が、一人ずつ所長室へと入っていく。入れ替わりで出てくる者に、同じ係の同僚から「(異動先は)何処だ?」との声が掛かり、その答えが聞こえる都度、所内のあちこちで「おおっ」「すごい」「良かったね」などと声が上がる。職場で末席に近い私は、緊張感が最高潮の中で最終盤についに呼び込まれた。
 福祉事務所3年目の一年間ご一緒した所長は、高卒で入庁以来、様々な分野の勤務を経て県庁を幅広く知る50歳代後半の男性だ。叩き上げらしく大抵のことを見透かしているような、それでいて穏やかな目線を私に向けて「ご苦労様」と声を掛けた後、確認するように手元の紙を見てから、私に向き直って明瞭な声で話した。「平成5年4月1日付けで農林水産部・農政企画課の主事に異動とする」。
 思わず「はい。ありがとうございます。」と口をつく私に、しばらく固めの表情で溜めを作ってから「それでいいんだろう?」と破顔の所長。人事異動に関しては"一応"職員から希望を書かせる機会が毎年年末までにある。それは、本人や家族等に病気や介護など配慮すべき事情を捕捉しておくといったところが主眼だと思われ、私ごときが業務分野ましてや職場名の希望まで書いたところで相手にはされないだろうと考えていた。
 そんな認識だったので、職員調書においては異動先に関して、毎年「特に希望無し」的に記載していたのだが、この所長は異動適齢期を迎えた私を昨年末に個別に所長室に呼び込み、「真剣に良く考えて書いてごらん」と諭してくれていた。その答えとして自分が記載しておいた希望の異動先が正に「農政企画課」だったのだ。希望の叶った異動内示には本当に驚いた。
 数日後、公用車で所長と二人きりになる機会があり、異動に関する配慮をいただいたとの思いからお礼を述べると、所長は話してくれたものだ。「人事に影響ほ及ぼすような力は私には無い。君の希望が叶ったのは偶然と巡り合わせだと思うよ。ただ、君が真剣に考えて書き出してくれた仕事の希望と熱意は人事担当によるヒアリングではしっかりと伝えさせてもらったよ。」
 斜に構えずに真っ直ぐに真剣な思いと熱意を伝えなくては運すらも近づいてこないぞ…。所長の声掛けには説教臭さは全く無いものの、沁みる諭しのように県職員としてのあるべき態度をじんわりと感じさせられたものだ。毎年定期に異動希望を問う職員調書はほんの紙切れでしかないが、そのときの所長の指摘により、県職員を目指す腹を固めるにあたり発熱して寝込む位に悩み込んだ頃の思いを呼び覚まし、書き込むことができたことは、仮に異動内示の内容が別の結果であったとしても、自分を見つめ直す重要な契機であっただろうと、今も思い出すのだ…。

(「仕事観の形成と就職するまで編1」終わり。 「2高校生バイトが原体験」に続きます。)
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コメント一覧

グローバルサムライ
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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