●音楽班に入る(その2)
他に取り組みたいものがないけど何もしないのも空しい。そんな”よこしま”な考えから小学校の音楽班に入ったのは私だけでは無かった。真っ当で純粋な音楽好きの子供たちの大方は、春の進級のタイミングで、その志向や能力を把握した教諭に勧められて入部するのであるが、新学年が始まってから暫く経って悶々とした上で門戸を叩くような者も少しは居るものだ。
小学5年生の夏休み明けのころであったか。比較的仲の良かった友達が陸上など体育会系のグループ活動に夢中になっている一方で、私はそれほど仲が良いということでもなかった級友と3人で吹奏部担当の教諭のところに入部相談に行こうということになった。
放課後に様々な楽器を練習する音が乱れ聞こえる校舎の離れのように位置する音楽室。そのとなりの小部屋を訪ねると、担当の教諭は我々3人から一人ずつ入部希望の理由とどの楽器をやりたいのか出来るのかを丁寧に聞き取っていったが、皆が殆ど楽器経験が無くて憧れとか”ものは試し的”な思惑であることを知ると、微笑みを保ちつつの表情は変えないまでも「使える連中ではなさそうだな」と感じていたことが私にはなんとなく分った。
教諭は、当然ながら、独りで旋律を奏でるような楽器やパートに充てることはできないと考えたようで、我々三人に複数人で体制を組む金管楽器を吹けるような練習を始めなさいと諭した。いきなりトランペットなど本体を持つのではなく、楽器の吹き口にあたる部分で小さな漏斗のような形をした「マウスピース」だけをもって唇に当てて「ブゥー」と草笛のように吹く練習から始めなさいというのだ。
マウスピースには入門者練習用のプラスチック製のものがあるのだという。人差し指くらいのサイズのそれを教諭は引き出しから3つ取り出して、我々一人ずつに手渡してくれた。教諭自身がトランペットの仲間みたいなコルネットという楽器の名手だったらしいのだが、先ずは自ら練習用マウスピースを我々の目前で「ブゥー」と吹いてくれて、「こうな風な音がでるように練習してね。そして同じ音のままでとにかく長く吹けるように。この段階では楽器演奏を練習する他の児童たちと音楽室で一緒にはなれないから、どこかその辺の校舎の隅でても練習して」と言い残すと、教諭は出来の良い児童が楽器を構えて待つ音楽室へと向かっていった。
最初から楽器を格好良く構えて手取り足取りで演奏を教えてくれるものだと思っていた我々は、顔を見合わせるとお互いに落胆していたのが分ったが、そこは皆が昭和の男児というべきか、ここまで来たら後には引けないとばかり、「直ぐ裏の中庭に面した外階段の踊り場あたりで練習するか」と誰とも無く言い出して、その場に向かった。
木造校舎に設けられて白く塗装された鉄製の外階段の2階部分の踊り場あたりに3人は並ぶと、夏の終わりの夕方に傾き始めた日差しの橙色を浴びながら、「ブゥー」「ブゥー」「ブゥー」と滑稽な音を吹き始めた。階下の音楽室からは教諭の指揮の下で合奏練習が始まったのであろう、スムーズな曲調が漏れ聞こえ始めていた。
我々3人のみすぼらしさや惨めさと比べてなんというコントラストだろう。考えてみれば体育系であろうが文化系であろうが何か物事を人に観て貰うレベルにするにはそれなりの努力を皆がしているのだろう。「ブゥーブゥー」と情けない音を吹き出しながら私は何事にも下積みがあるということをしみじみと思うのだった。
(「柏崎こども時代32「音楽班に入る(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代33「音楽班に入る(その3)」」に続きます。)
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