新潟久紀ブログ版retrospective

活かすぜ羽越本線100年7「新発田駅以南編・京ヶ瀬駅」

■JR羽越本線100年を機に新発田地域の振興を考えます。
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◆新発田駅以南編・京ヶ瀬駅

 新発田地域振興局管内を通過する羽越本線の各駅とその周辺の現地を巡りながら、羽越本線の利用増や地域振興を考えてみる"行脚"は、管内南端の駅となる阿賀野市の「京ヶ瀬駅」に到達した。
 ひとつ前の水原駅の周辺が、阿賀野市の中心たる市街地にあって住宅や商店はもとより、市役所や市民病院などの市の基幹的施設に囲まれて少し賑やかだったのに比べると、小さな駅舎と稲作水田に囲まれた殺風景さは、遠目で見ると、ここより以前に見て来た極小無人駅と同様に感じられた。
 それでも、羽越本線に並走する国道460号から細い乗り入れ道路を通って駅舎前に至ると、駅前の舗装敷地が比較的広く確保されていて、パークアンドライドと思しき乗用車が数台並んで停まっている。ロータリーもバスの乗り入れと取り回しがしやすいような造りだ。これは少し意外だった。
 車を降りて周囲を歩くと、家屋や農業用らしき作業小屋など100軒近くがまとまった集落があり、敷地が大きくて"御屋敷"とでも呼べるような住宅で立派な石垣や壁に囲まれたのが随所に建ち並んでいる。価格低迷が続く稲作収入でここまで立派な住居が建てられるものなのかと考えてしまうほどだ。
 ただ、国道を挟んだ対面を見回すと、この集落の五、六倍くらいの面積はあろうかという工業団地が広がっている。田園地帯に唐突に機械などの製造や建設、食品加工、運送などの工場や施設が複数建ち並んでいるのだ。歩きながらスマホで航空写真を見ると、敷地の隅には縦200m横300m程のソーラパネル設置区画も並んでいる。続けてスマホで調べると、阿賀野市に合併する前の京ヶ瀬村時代の30年程前に県と村で造成した工業団地だったようだ。
 そう考えてみると、その頃と重なる数十年前に建築されたと思しき立派な御屋敷が散見されることに合点がいく。開発で田圃を手放して得た財源が効いているのかもしれない。
 そして、近くに工場など働く場が創出されたことでこの地周辺の集落は住民が維持され、その家族による近隣の都市部への通勤等のためのパークアンドライドで需要があると想像すると、京ヶ瀬駅前の駐車スペースの広さに合点がいく。
 新潟県は車社会であり、道路の整備が良く、郊外に立地する企業は車通勤を想定して十分な従業員用駐車場を用意するのがほぼ常識なのであるが、都市部中心に立地する小売やサービス系の企業や職場に通勤するとなると、車だと周辺から同じ時間帯に集中してしまい、折角の地方暮らしなのに渋滞で辟易してしまうことがままある。人が密集する市街地から郊外へ同じ時間帯に人を移動させようとするような"逆"もまた同様かもしれない。
 そうなると、鉄路の「渋滞知らずと定時性」が生きてくる。鉄路の活性を考える時に、「限られた時間帯に比較的高い密度で人を行き来させる」という要素が実効を上げるための鍵になりそうだ。
 しかしながら、この果てなくだだっ広く感じる稲作田園を走り、時々稀に表れるように点在していて街中とはいえ人口がさほど多くない市街地を繋ぐのみのこの羽越本線の沿線において、そんな需要がそもそも有るのか、又は、創出できるのか。
 旧京ヶ瀬村のこの地には、あの”親鸞聖人”が植えた種から育ったもので八重に咲くと言う「八房の梅」、同じく親鸞聖人が数珠を掛けたら花が長く房のようにつながって咲くようになったという「珠数掛桜」と、狭い地域ながら「越後七不思議」とされるものの二つがある。いずれも数の多さというか密度の珍しさを誇るものだ。
 そんな奇跡でも何でも引っ張り出して「密度」の創出を考えてみようじゃないかと思いながら再び車に乗り込んで京ヶ瀬駅のロータリーを後にした。

(「活かすぜ羽越本線100年7「新発田駅以南編・京ヶ瀬駅」」終わります。「活かすぜ羽越本線100年8「新発田駅以南・総括提案(その1)」」に続きます。)
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