他のどこでもなく「新潟での暮らし」を選んでもらうためには何をどうしていけば良いか…。
新潟へのUIターンを促進するための業務にあたる、新潟県庁での新潟暮らし推進課長職の2年間において、日々考え続けた課題です。
一人ひとりのものの考え方や生き様によりけり…と言ってしまえばそれまでなのですが、ふと思い出したのが、就職も含め幾つかの選択肢を悩んだ中で地元の大学への進学を選んだ時の心持ちでした。
就職して2年経た頃に書き起こしてみたものが30年ぶりに発掘(!)されたので掲載します。我ながら”屁理屈こき”だったなあと思ったり、今も変わってないかと呆れたり…です。
<<新潟大学を砂漠の中に目指した頃を思ふ>>
「もう一度!もう二度と?IGARASHI・DESERT・FRONT」
~私が新潟での進学を選んだ頃の心模様~
大学時代の4年間といえば,五十嵐砂漠(市街地からの医学部以外移転以降の当時はこう呼ばれていた)で過ごした,色々なものに対する戦いの日々が思いおこされてくるのですが,それは,何の障害物にも阻まれず通学中の身を直撃してくる猛吹雪であるとか,5m先も見えなくするロンドン並みの霧地獄とか,大きなサソリや毒グモの襲来(ウソ。あれは酔っぱらった悪友やノラ猫達だったかな?)であるとか……。 ところが,僕はどうして新潟大学だったのかな,ココを選んだのかな,ということについては,恥ずかしながら,卒業後の咋今になって,考えることが多いのであります。
昨年(88年)の夏に,新潟大学経済学部のオリエンテーション(受験生を対象)において,OBとしての立場から新潟大学について話してくれないかという依頼を受けました。大学時代の4年間の思い出を語るも良し,卒業後の今日の生活に,いかに大学時代に修得した財産が役立っているのかを語るのも良いな……あれこれ考えたのですが,結局,これから新潟大学を受験しようかどうしようかと迷われている生徒さん達へ話をするわけだから,何故自分が,他の大学でなくココの大学を選んだのか……という内容が参考になるだろうと考えたわけです。
はた……と考えてしまいました。どうして僕はココの大学を選んだのやら。
それこそ受験の時期は,新潟大学についてのちょっとした情報も貧欲に吸収し,合格発表前夜にあっては「とにかく受かっていてくれ!」と心で叫びまでした(本当かな)我がニーガタ大学なのに,何故ソコを選んだのかについては,印象の奥深くにしまい込まれてなかなか出てこないという事実。鳴呼,俺はやっぱりその場限りのイーカゲンな男だったのか?
何故,他の何モノでもなくココなのか,他とは違うということについての表現や証明は意外に面倒なものです。
世はボーダーレスの時代……ある特定の地域・ワク組みに縛られていてはいけないんだぞってなもんです。そして世はコンピュータによる情報化・システム化万能とも見える時代。どこに居ても同様な状態が現出できるようシステム化され,その構造は日々強化されているようにも見えます。職業人として日々を送る我々の生活の中でも,より積極的な対外(国際)交流の推進,電算幾による業務処理の汎用化,合理化といった社会全体に強化されているのと同じ型のシステムに個人として置かれ,全体の構造化をますます強化していっているというわけです。受験生という立場であれば,共通テスト(どこでも受けられる)や,偏差値(合理的にランクが把握できる)といったものが.正に象徴的に時代の趨勢を表してきたわけですね。かく言う私も共通一次世代,社会システムのトレンドにドップリでした。
しかし,一方で,ある意味でとても心強く,頼もしいことに,生物・物理・化学等あらゆるものの世界では何かの均衡が特定の方向に偏って傾きつつあればあるほど,それに対抗する傾向というものが表れてくるようで,昨今「アイデンティティ(独自性か?)の確立」なんてのが声高になってきていたのも,実はこうした社会の状況に対する反動に関連しているのではないかなと思うのでありますが,この類の議論の現況は,数限りある選択肢の選び方や揃え方といったことについての違いについてを競争し合っているかのように見えるのです。
個人的な直観として,いつも感じているのは,「ある意思決定をするための組織構造が根本的には同じものであれば,真に相手との違いについては客観的に認められない」というものです。例えば,仮に△型の組織が判断して表現するxというものに対抗しようとする組織が,根本的に同じ△型の構造であれば,結果として当事者達がどう言おうとも,第三者的に見てどちらも大差ないものに見える事柄が,今の社会現象には多いように思えるのです。
つまり,社会の全般に浸透し,今日の社会生活のあり方の基本にまで入り込んでいる原理・概念からまったく離れた立場でないと,この社会の中にあっての真の特自性を認められる判断や表現はできないのではないかということを考えるわけです。
今日の社会に深く浸透し,基盤としてますます強化されている原理・概念とは,全ての情報を離散的な数値の表現に置き換えとらえるという,計数型コンピュータの原理(バイト〔byte〕の概念)であると思うのですが,それではこの概念から離れて自らの表現を形づくっていくにはどうしたらよいのか。バイト概念の限界について考えていくとそのヒントが見えてくるようです。
「情報」といえば,人それぞれの持つイメージは色々あろうかと思いますが,例えば季節の移ろいや人の何かに対する思い入れや感情……こうしたものまでが,バイト概念にあっては,0と1の2進数で把握される。という言い方をすれば解り易いと思うのだけれど,この概念は,人間が物事をとらえ,計算していく上での計算合理性についてはとても優れている一方で,離散的計数で本来割り切れないハズのもの(数学用語で言えば無理数)についての処理には手を出せないシロモノのように思えます。表現能力についての有限性が,今の社会に全盛の原理の弱点のように思えるのです。
人間は,内在する感情や「思い」といった人間自身が制御できない無限の可能性を持つかもしれないもの(内在する自然)を捨て,人間が計算できる方法中心で近年,社会のシステム化を図ってきたように思えます。それはこれまでの科学の歴史と,その社会への反映の仕方(科学に投資された目的)を考えれば当然とも思えるのですが,今日の社会システムの基幹を成す原理の特質からくる「有限性」による「ワクあり社会」の認識が,今後現況に対しての反動的要因として広まっていくにつれ,それに対抗するような原理や概念が,明確化してくるのでしょう。ファジィ理論等が一般的な話題になっているのも,その一端ではないかと思えます。
人間の歴史は,自然を征服していく歴史だと言われることがあります。物理的な自然を征服しつくした人間は,人間自身が本来自然(の一部)であるという矛盾の中で,これからどこへ向かって行くのでしょうか。
話は大きく飛んで,頭書に戻ります。日々の仕事や生活のあれこれに浸透する計算合理性やバイト概念により強化されてきた,ものに対する考え方が,自分が何故ココの大学を選んだのかという,計数で置き換えることのできない,大志や理想や希望を織りまぜた感情・思考のダイナミズムを思考の奥底から取り出してきて表現することを難しくしていたのではないでしょうか。
僕が当時,新潟大学を選んだのは,ある意味で無限の可能性の中でのことだったのです。その有様を表現し,人に伝えるということは,正に自分自身の個性の表現になるということに気が付きました。
オリエンテーションの当日,僕はこうした立派な考えを持って演壇に立ち,コホンと咳払いをして,いざ!と構えたわけですが……結果は聞かないでください。大勢の受験生の真剣な眼差しの緊張からとんでもないことを話してしまっていたようです。
もう一度!もう二度と?五十嵐砂漠戦線活発あれ!!(平成元年12月記)
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