本当になるかも知れない。それはそれで目出度いことだ。
明日15日は「小正月(女正月とも言う)」
子供の頃、この時期になると、注連縄を貰いに家々を回っていた
以前は、15日は休みと決まっていた(成人の日だった)。
15日は朝早くから、子供も親も広場に寄って、集めてきた注連縄を
燃やすものと、決まっていた。一般的には「どんと焼き」という。
(Wikipedia)で「どんと焼き」を入力したら「左義長」と出てきた
-------------------------------
左義長(さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い
竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き
初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食べると
その年の病を除くと言われている。
また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言わ
れている。 道祖神の祭りとされる地域が多い。
-------------------------------
・・・と書かれている。
子供の時には、何故、15日の朝、注連縄を燃やすのか、その意味さえ
知らなかった。ただ火を焚いて暖まる・・・それしかなかったように思う
親たちが火の中へ薩摩芋などを入れ、焼いて食べるのも楽しみだった。
どんと焼きが過ぎた頃から、朝必ず焚き火が始まる。登校する前の
ほんのつかの間、火に当たり暖まって駈けだしていったものだ。
その焚き火が何時まで続いていたかは記憶にない。
何時だったか、そんなある日、ズボンが燃えている事に気が付かず
火傷をした。足の付け根の微妙な箇所に、今もその痕跡が残っている
が、熱かった、とかいう記憶はない。ズボンが燃えた・・その程度の
記憶である。
今の時代にそういう事が起きたとしたら、一大事になるのでしょうね
焚き火をしていた人の責任問題になりかねません。なんか寂しい世の
中になってしまいましたね。
今にして思えば、小正月から1月末の大寒までが、寒さが厳しい時期
で、そんな中、登校する子供達のことを思い、お年寄りが焚き火を
してくれていたのだと思います。有り難いことでした。