「正論」平成26年5月号に,八木秀次氏の「憲法巡る両陛下ご発言 公表への違和感」と題する記事がある。
冒頭で,元内閣官房副長官の石原信雄氏との懇談についての紹介があるのだが,随分と偉くなったものである。
いわゆる保守系の知識人として,現政権に重用されていることの反映ということなのであろうか。
ただ,この紹介における石原氏の扱いは,少々気の毒な感じがしないでもない。
石原氏の経験として,「日本という大国の元首のご葬儀に相応しいものにしなければならないと考えた」と述べられたそうなのであるが,この懇談の内容を踏まえて,八木氏は以下のように述べる。
----引用開始----
昨年11月に宮内庁は天皇皇后両陛下のご喪儀と御陵についての見解,すなわちご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針を発表したが,石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた。
石原氏の話はこれくらいにして,別の問題について宮内庁への違和感を述べておきたい。
----引用終了----
八木氏は,「石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた」と述べ,自分に都合良く利用しながら,「石原氏の話はこれくらいにして」とポイッと放り投げるように切り替える。
筆者には,石原氏の真意は分からないし,八木氏の感じたように「ご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針」に批判する意識があったのかもしれないのだが,それにしても,それなりに大物であるはずの石原氏の扱いとして,随分粗末であるように感じたのである。
さて,このブログでは,これまでにも八木氏の主張について度々取り上げてきたところであるが,今回の記事についても,これまでと同様,八木氏の頭の悪さというものを改めて感じてしまった。
筆者が,この記事を読んで,まず,これは酷いと思ったのは,以下の箇所である。
----引用開始----
陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
----引用終了----
「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」とあるのだが,最近の「正論」の読者というのは,こういう言い方に違和感を抱かないのであろうか。
要するに,八木氏は,天皇皇后両陛下という御存在について,「宮内庁のマネージメント」の対象として捉えているわけである。
政府にとって好ましくないご発言がなされないように,政府の一部である宮内庁が両陛下の口を塞ぐべきということを言っているわけであるが,(いわゆる保守派のかねてよりの本音であったとしても)あまりにもあからさますぎる。
筆者としては,この「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」という箇所がまず非常に印象的であったわけであるが,八木氏がそこまで問題視している天皇皇后両陛下のご発言を改めて読み返すと,いよいよ八木氏の頭の悪さというものが明らかになってきた。
正確を期するためにそれぞれ宮内庁HPから直接引用すると,八木氏が取り上げた両陛下のご発言は,以下のとおりである。
----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
----------------------------------
----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
----------------------------------
皇后陛下のご発言は,明治時代の早期において,非常に熱意と先見性のある日本人が存在したということに触れられたものであり,天皇陛下のご発言は,戦後の復興に向けた人々の尽力に触れられたものであり,いずれも深い洞察と感性を感じさせる内容であるが,現政権の憲法改正の方向性については,何も触れておられない。
当然であろう。
それなのに,八木氏は,以下のように述べるのである。
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
これは,是非ともじっくりと考えてみるべき発言である。
すなわち,上記の両陛下のご発言が,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」のブレーキとして作用するということであるならば,逆に,そのようにブレーキがかけられるところの「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性とは,一体どういうものなのか,ということである。
筆者としては,現行の日本国憲法については,その基本理念である基本的人権,民主主義,平和主義といったことについて,引き続き十分な尊重を行いつつも,現在の国内外の状況を踏まえた見直しを行っていくということは必要だと思うし,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」にしても,これらの基本理念の尊重は十分踏まえた上での見直しなのではないかと思っていたのであるが,どうもそうではないようだ。
続けて,八木氏は,「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」とまで述べる。
八木氏によれば,両陛下のご発言は「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性と対立している「その一方の立場に立たれ」たものということのようであるが,両陛下のご発言が,基本的人権,民主主義,平和主義の十分な尊重ということであるとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,それとは対立するものということになる。
まさかとは思うが,八木氏の発言を踏まえれば,論理的には,このように考えざるを得なくなる。
以上を踏まえた上で,今回の八木氏の記事における後半部分を読み返すと,何とも滑稽である。
----引用開始----
仄聞するところによれば,両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は,あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
(略)
それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。
----引用終了----
八木氏は,「両陛下の誤解」というようなことを述べ,これまた,随分と両陛下を見くびっていると思うのであるが,ここで,筆者としては,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性そのものを知っているわけではないし,また,その方向性について両陛下がどのように受け止めておられるかについては分からないので,「誤解」が本当に存在するのかどうかは判断できない。
ただ,八木氏の言うところの「誤解」とは,上記引用箇所からすると,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性について,「あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように」受け止めることを指しているように解される。
そして,この「誤解」について,八木氏は「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。」と述べている。
まったくナンセンスとしか言いようがない。
両陛下の側近が「誤った情報をすすんでお伝えしている」と妄想しているわけであるが,筆者にしてみれば,(仮に本当に「誤解」が存在したとした場合の話だが)そのような「誤解」を生じさせているのは,むしろ八木氏の方なのではないか。
少しくどくなるが,両陛下のご発言と八木氏のコメントを見比べてみて欲しい。
----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
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----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
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両陛下のご発言に対する八木秀次氏の発言
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」
「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」
まとめ
今回の八木氏の記事で判明したこと
①「誤解」が「誤解」であったとすれば,そのような「誤解」を招いているのは八木氏のような人たちであるということ
②「誤解」が「誤解」でなかったとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,基本的人権,民主主義,平和主義の最大限の尊重ということと対立的なものであるということ
冒頭で,元内閣官房副長官の石原信雄氏との懇談についての紹介があるのだが,随分と偉くなったものである。
いわゆる保守系の知識人として,現政権に重用されていることの反映ということなのであろうか。
ただ,この紹介における石原氏の扱いは,少々気の毒な感じがしないでもない。
石原氏の経験として,「日本という大国の元首のご葬儀に相応しいものにしなければならないと考えた」と述べられたそうなのであるが,この懇談の内容を踏まえて,八木氏は以下のように述べる。
----引用開始----
昨年11月に宮内庁は天皇皇后両陛下のご喪儀と御陵についての見解,すなわちご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針を発表したが,石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた。
石原氏の話はこれくらいにして,別の問題について宮内庁への違和感を述べておきたい。
----引用終了----
八木氏は,「石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた」と述べ,自分に都合良く利用しながら,「石原氏の話はこれくらいにして」とポイッと放り投げるように切り替える。
筆者には,石原氏の真意は分からないし,八木氏の感じたように「ご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針」に批判する意識があったのかもしれないのだが,それにしても,それなりに大物であるはずの石原氏の扱いとして,随分粗末であるように感じたのである。
さて,このブログでは,これまでにも八木氏の主張について度々取り上げてきたところであるが,今回の記事についても,これまでと同様,八木氏の頭の悪さというものを改めて感じてしまった。
筆者が,この記事を読んで,まず,これは酷いと思ったのは,以下の箇所である。
----引用開始----
陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
----引用終了----
「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」とあるのだが,最近の「正論」の読者というのは,こういう言い方に違和感を抱かないのであろうか。
要するに,八木氏は,天皇皇后両陛下という御存在について,「宮内庁のマネージメント」の対象として捉えているわけである。
政府にとって好ましくないご発言がなされないように,政府の一部である宮内庁が両陛下の口を塞ぐべきということを言っているわけであるが,(いわゆる保守派のかねてよりの本音であったとしても)あまりにもあからさますぎる。
筆者としては,この「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」という箇所がまず非常に印象的であったわけであるが,八木氏がそこまで問題視している天皇皇后両陛下のご発言を改めて読み返すと,いよいよ八木氏の頭の悪さというものが明らかになってきた。
正確を期するためにそれぞれ宮内庁HPから直接引用すると,八木氏が取り上げた両陛下のご発言は,以下のとおりである。
----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
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----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
----------------------------------
皇后陛下のご発言は,明治時代の早期において,非常に熱意と先見性のある日本人が存在したということに触れられたものであり,天皇陛下のご発言は,戦後の復興に向けた人々の尽力に触れられたものであり,いずれも深い洞察と感性を感じさせる内容であるが,現政権の憲法改正の方向性については,何も触れておられない。
当然であろう。
それなのに,八木氏は,以下のように述べるのである。
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
これは,是非ともじっくりと考えてみるべき発言である。
すなわち,上記の両陛下のご発言が,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」のブレーキとして作用するということであるならば,逆に,そのようにブレーキがかけられるところの「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性とは,一体どういうものなのか,ということである。
筆者としては,現行の日本国憲法については,その基本理念である基本的人権,民主主義,平和主義といったことについて,引き続き十分な尊重を行いつつも,現在の国内外の状況を踏まえた見直しを行っていくということは必要だと思うし,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」にしても,これらの基本理念の尊重は十分踏まえた上での見直しなのではないかと思っていたのであるが,どうもそうではないようだ。
続けて,八木氏は,「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」とまで述べる。
八木氏によれば,両陛下のご発言は「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性と対立している「その一方の立場に立たれ」たものということのようであるが,両陛下のご発言が,基本的人権,民主主義,平和主義の十分な尊重ということであるとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,それとは対立するものということになる。
まさかとは思うが,八木氏の発言を踏まえれば,論理的には,このように考えざるを得なくなる。
以上を踏まえた上で,今回の八木氏の記事における後半部分を読み返すと,何とも滑稽である。
----引用開始----
仄聞するところによれば,両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は,あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
(略)
それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。
----引用終了----
八木氏は,「両陛下の誤解」というようなことを述べ,これまた,随分と両陛下を見くびっていると思うのであるが,ここで,筆者としては,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性そのものを知っているわけではないし,また,その方向性について両陛下がどのように受け止めておられるかについては分からないので,「誤解」が本当に存在するのかどうかは判断できない。
ただ,八木氏の言うところの「誤解」とは,上記引用箇所からすると,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性について,「あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように」受け止めることを指しているように解される。
そして,この「誤解」について,八木氏は「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。」と述べている。
まったくナンセンスとしか言いようがない。
両陛下の側近が「誤った情報をすすんでお伝えしている」と妄想しているわけであるが,筆者にしてみれば,(仮に本当に「誤解」が存在したとした場合の話だが)そのような「誤解」を生じさせているのは,むしろ八木氏の方なのではないか。
少しくどくなるが,両陛下のご発言と八木氏のコメントを見比べてみて欲しい。
----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
----------------------------------
----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
----------------------------------
両陛下のご発言に対する八木秀次氏の発言
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」
「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」
まとめ
今回の八木氏の記事で判明したこと
①「誤解」が「誤解」であったとすれば,そのような「誤解」を招いているのは八木氏のような人たちであるということ
②「誤解」が「誤解」でなかったとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,基本的人権,民主主義,平和主義の最大限の尊重ということと対立的なものであるということ
>「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
この八木という人の言い分では、
天皇は時の総理大臣の意向に反する意見を持ってはいけないと言っている事になりますね。
民主主義国では選挙によって総理大臣の意見が180度変わる事も有り得る筈です。
そうすると総理大臣が変わる度に、
天皇陛下はご自分のご意見を、
憲法遵守から、
現憲法は不備が多いから改正必要と、
その都度、変えられねばならないものだと、八木氏は思っておられるのでしょうか?
それとも天皇は憲法等気にしてはいけないと?
しかし天皇の地位は憲法によって決められているのですから、
天皇陛下としては「憲法を守る」と言われるのは当然の事ではないでしょうか?
大体公務員には憲法遵守が要求されているのに、
その憲法の下で国会議員になった者達が、率先して憲法改正や解釈改憲を唱えるのはおかしいのではないでしょうか?
憲法の規定からすると、公務員には憲法改正を言い出す権利は無い筈です。
国民多数がが憲法に不備を感じた時、、
国民が必要な数の署名を集めて関係機関に提出し他時初めて、憲法改正の審議は行われるべきものなのではないでしょうか?
憲法とはそれくらいに変えにくいものでなかったら、
憲法とは言えないのではないかと私は思うのですが・・・・・・
又、憲法を守ると仰る天皇陛下のご発言が、安倍政権の意向に反するから、宮内庁の者は天皇の考え方を正す様に働けとは、
天皇陛下への敬意の欠片もない事を示していると言えるでしょう。
こんな人たちが「天皇制国家主義者」と呼ばれている事自体が、おかしいと言えるのではないでしょうか。
天皇陛下は太平洋戦争の責任者に仕立て上げられた昭和天皇のご苦労を真近でご覧になって、
天皇はもう2度と戦争の名義人にはならない、と決心されているのだと思います。
天皇制国家主義者なる者達は、
天皇陛下への敬意が皆無の者の集まりで、
自分達の悪事の責任を天皇陛下になすりつけようとしている者達であると私は思います。
天皇陛下を国民統合の象徴として敬う気がある者だったら、戦争回避のために全力を尽くすはずですのに、
戦争になった時どうするかという事ばかりに心を使って、外交努力を疎かにする安倍政権は、戦争をしたがっていると言われても仕方ないでしょう。
戦争とは大量殺人を行う事であるという事を、
私達国民はもっと強く意識する必要があるのではないでしょうか?
昨年から「皇室と国民主権」というテーマを掲げておられましたが、ある種の言論人とマスコミは、国民主権を履き違えれば、こうなる、という先駆けのような言動を繰り返して来たので、八木氏の論考には驚きませんでした。何のテーマでしたか、「今上陛下お一人の御心と、連綿と続く天皇の総意の大御心は違う。畏れながら今上は間違っている(・・・本当に畏れているのか怪しいと思いますが)」と言い放った人もいるので、真正面から天皇陛下のお言葉を否定する表現の自由も認められるほどに(ある意味)民主主義も成熟してきたのだと思います。
私自身は、たとえ陛下の御言葉に対してであっても、異論を述べられる世の中の方が、異論が一切禁じられる世の中よりは良いとは思うのですが、奇妙な感覚は否めません。なぜなら、八木氏などは「我こそは尊皇派の代表」のような立ち位置を強調されますが、一国民の自分の意見が陛下の御意見と異なると、真っ先に陛下のお言葉を否定してかかられますし、立太子の礼を経た唯一のご存在であられる皇太子様へは(平気で)罵詈雑言を投げつけられるからです。
こういった言動の数々こそが、皇室の権威を失墜させるのだとお分かりにならないはずもないでしょうにと不思議な気持ちでいつも見ているのです。
ただ、これは私の感覚・印象にすぎませんが、10月に皇后様の誕生日のご感想を拝読して、そして、12月23日に天皇陛下の御会見を拝見して感じたことは、「両陛下は、安倍総理の憲法改正(色々な意味で方向性)には反対なのだ」ということでした。
これは、安倍総理の再登板以降、「両陛下は女性宮家を望んで談判使者まで官邸に向けられているのに、安倍総理は旧皇族と親しいため、安倍総理である限り女性宮家は望めない。両陛下は安倍総理がお嫌いで、悲しみのためティアラを外して新年祝賀を受けられた」(女性誌などの趣旨)、「陛下が中等科に上がられた年に、日本国憲法が成立したので、陛下は日本国憲法に特別に思い入れがおありになる(ご学友が語っていたかと・・)」とマスコミが書きたてていたことから、そのような印象が導かれたのだと思いますが、このように印象操作されうる記事は流されるがままでした。
他にも、両陛下の側近が「皇太子様は人気がない」と囁き美智子様がショックを受けられたと記事になったり、昨年のオランダご訪問に際してはオランダからの御配慮もあるのに、宮内庁幹部は皇太子ご夫妻を何度も会見で侮蔑したり、と訝しく思う事は多いです。
そういった意味においては八木氏の「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」という疑念にも感ずるところはありますが、意味する所が違うので、平行線のままに過ぎるでしょうが・・・
ここで「皇室と国民主権」のテーマに戻ると、天皇陛下が時の総理がお嫌いで(その)方向性を懸念された場合、そのお気持ちを何らかの方法で表明される事は「国政に関する権能を有しない」(4条一項)との関係で、どうなのか。
昭和天皇ご自身は平和を願い、戦争に突入する前の御前会議で、明治天皇の平和を祈る御歌まで例に引き平和を望まれたそうですが、立憲君主制という制度もまた重視されたため、それ以上は踏み込まれなかった。しかし終生悔まれるお気持ちは消えず、それが晩年の独特の御表情(口元のチック)の原因であられた、と読んだことがあります。
そういった点を鑑みれば、小学生時代に疎開を経験され、戦後の見事な復興とともに歩まれた両陛下の想いが語られる事を、政治的関与の一言で退けるのは如何なものかと考えますが、その一方で・・・私は下世話でしつこい人間なので、西田様にはまだそこに拘っているのかとお叱りを受けるかもしれませんが・・・法律について国会で議論しようとしている最中に、抵抗しがたい形で国民の議論を封じ込められ、現在もご意向や忖度されたお気持ちが再三再四マスコミを通じて漏れ伝えられるのは、政治的関与の観点で、どうなのか? 割り切れなさを拭えず、許される政治的関与とそうでない事柄の線引きが明確に出来ないのなら、いっそ政治的案件には一切関わられない方が良いのではないかとも思います。
難しいテーマですが、昭和天皇と昭和の辛い悲劇を繰り返さないためにも、憲法学者や左右両方の言論人はきちんと議論せねばならないと思っています。
と言っている正に現在・・・「天皇皇室と政治」議論は、オリンピック招致活動でも注目され、天皇陛下が誕生日の会見でも述べられているというのに、なし崩しになっていますね。
4日オバマ大統領が「国賓」として訪日される事が閣議決定されました。『オバマ大統領は日程がタイトなため国賓も国賓待遇も望んでいなかったが、堅固な日米関係を強調するため日本側が「国賓」に拘った』と報じられています。到着が23日未明になるのか24日なのか決まらないままに「国賓」だけが先行し、両陛下との御会見が決定されたのが、御会見の20日前。これなども、例の30日ルールと照らし合わせ、どうなのでしょう?
両陛下が伊勢神宮御参拝なのに皇太子御一家はスキーとばかりバッシングされていますが、両陛下の伊勢神宮ご訪問は「私的訪問」とわざわざ発表される事の(憲法上の)意味に言及する記事には出くわしません。
憲法の下にいらっしゃる天皇という認識を私は持っていませんが、
今上陛下ご自身が即位後朝見の儀で「皆さんとともに日本国憲法を守り」と宣言されているのですから、皇室と憲法について真面目な議論がされて然るべきと思います。
人口問題は待ったなしで、2050年には国土の6割が無人化するともいわれる日本は、オールジャパンで事にあたっていかなければならないので、色々模索している政府に対して疑問ばかりを投げかけるつもりもはありませんし、一代限りの女性宮家には反対ですから、政策ごと個々に見ているつもりですが、事の本質を見極めないままに対処療法で誤魔化しているうちに、制度や理念の根幹がなし崩し的に失われるのは違うと思っています。
難しいテーマでコメントの書き方にも苦慮しますが、考え続けることは大切だと思うので、どうぞ宜しくお願い致します。
内奏は、宮内庁HPのご日程に記載されているのでざっと確認したところ、安倍総理就任後、安倍総理の内奏はこの四月までに計6回。
6回の内、4回は昨年の皇后陛下のお誕生日以前。
つまり、八木氏が懸念している皇后陛下のお話が出されたお誕生日以前に、陛下は4回も安倍総理から直接政治に関する説明を受けているわけです。
内奏の内容は公表されませんが、政治に関する報告もそれに対する天皇の質問も政治的関与にあたらない為、簡単な報告のみといった形式的なものではなく、かなり鋭い質問もなされる。
それに答えることで総理大臣の考えが深まるという話が昭和時代洩れ伝わっています。
陛下が安倍総理と顔を合わせ話をされる機会は、他にも親任式や毎年年末に必ず行われる内閣閣僚との食事会など幾つもあり、恒例の両陛下と総理大臣夫妻(安倍夫妻)との食事会も、皇后陛下のお誕生日以前にありました。
しかも、安倍総理の総理就任は今回が2度目。
前回の総理就任時代でも内奏はほぼ2ヶ月に1回の割合で行われ、計8回。
両陛下が安倍総理の人柄や政治理念、方向性を理解されるに十分な機会があった。
誤解されるようなことはないと思いますが。
天皇の「内奏」について八木氏が知らない筈はない「誤解」「宮内庁のマネージメント」と言うのには何か思惑があるように感じます。
両陛下は、安倍総理の方向性を誤解してはいないし、安倍総理の方向性は憲法の基本的理念に沿っている・・・と思います。
まとめの1や2ではなく、その他ではないでしょうか。
陛下は節目の年の会見では、必ず「憲法を守る」という発言をされます。
昨年は、傘寿になられた節目の年でした。
また、民主主義の重要性、自分は(天皇は)民主主義を守る立場にあるということもしばしば言及されてきました。
皇后陛下が民間の憲法草案についてお話されたこと、草案の中身以上に民間人が憲法を作ろうとした事実を取り上げられたことに重みを感じます。
草案を作るということは、憲法が自分達のものであるという強い意識なくしては行えないでしょう。
また、条文を考えるには法律や政治の知識が必要で、例え草案が採用されなくても憲法への理解を深めるという意義がある。
憲法議論は、マスコミや一部の過激な人達に惑わされることなく、冷静に行われるべきであることを示唆しているように思います。
昨年の10月15日の所信表明演説で安倍総理は「積極的平和主義」という言葉を使いました。
参考までに抜粋します。
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平成25年10月15日第百八十五回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説
五 現実を直視した外交・安全保障政策の立て直し
相互依存を深める世界において、世界の平和と安定に積極的な責任を果たすことなくして、もはや我が国の平和を守ることはできません。
これは、私たち自身の問題です。
戦後六十八年にわたる平和国家としての歩みに、私たちは胸を張るべきです。しかし、その平和を将来も守り抜いていくために、私たちは、今、行動を起こさねばなりません。
単に国際協調という「言葉」を唱えるだけでなく、国際協調主義に基づき、積極的に世界の平和と安定に貢献する国にならねばなりません。「積極的平和主義」こそが、我が国が背負うべき二十一世紀の看板であると信じます。
石垣島で漁船を守る海上保安官。宮古島で南西の空をにらみ、ジブチで灼熱(しゃくねつ)のもと海賊対処行動に当たる自衛官。極限の環境でも高い士気を保つ姿を目の当たりにしました。彼らは、私の誇りです。御家族にも感謝の気持ちで一杯です。
彼らは、現場で、今この瞬間も、「現実」と向き合っています。私たちも、安全保障環境がますます厳しさを増す「現実」から、決して目を背けてはならない。
私は、「現実」を直視した、外交・安全保障政策の立て直しを進めてまいります。
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この所信表明演説は、憲法の基本的理念、平和主義・基本的人権と対立するようなものなのか。
海外派遣はインフラ整備などの支援、戦闘地域には派遣しないからと自衛隊員を丸腰で行かせる。
集団的自衛権は有するが行使できないという不思議。
「現実」を直視した、外交・安全保障政策の立て直しを望む国民は非常に多いでしょう。
安倍総理は所信表明演説の結びで、以下のように憲法改正に触れています。
<憲法改正について、国民投票の手続を整え、国民的な議論を更に深めながら、前に進んで行こうではありませんか。
皆さん、「決める政治」によって、国民の負託にしっかりと応えていこうではありませんか。>
それ以前の施政方針でも、民主主義・平和主義を明確に肯定しています。
所信表明演説があった10月15日は、皇后陛下のお誕生日の5日前。
そのお誕生日に発表されたのは、記者会見ではなく、文書によるご回答でした。
皇后陛下が民間の憲法草案を取り上げた文書はいつ書かれたものか。
文書には、西田様の引用された文章の他、伊豆大島の台風による被害に触れられたところがあります。
伊豆大島に台風が直撃したのは16日未明。
積極的平和主義を打ち出した安倍総理の所信表明演説の翌日以降に文書が作成されたことが伺えます。
両陛下なら、総理大臣が今後の方針を表明する所信表明演説を全文確認されるでしょう。
国会中継、官邸のHP、新聞、総理の所信表明は様々な方法で全文確認することが出来ます。
何より、この10月15日は国会の開会式があった日であり、陛下ご出席の下に開会式が挙行されています。
>両陛下のご発言に対する八木秀次氏の発言
>「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」
>「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや>「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」
>「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」
西田様が挙げられた八木氏の記事を読むと、
両陛下は皇居の奥に暮らされていて社会とは全く接点がなく、情報も宮内庁職員を通じてしか詳しくは入らない。
日本は民主主義で、憲法の基本的理念として平和主義、基本的人権の尊重が明記されているが、それは普遍的なものではない。
日本国民の中には、民主主義、基本的理念に賛成派と反対派がある。
そのどちらか一方の立場に立ってはいけない。
と、八木氏が考えているように受け取れます。
確かに日本国民の中には(日本国民を装っているという気がしますが)、反民主主義者、反平和主義者がいることは感じます。
しかし、天皇や皇室が民主主義・平和主義を普遍的なものとして推進する立場をとってはいけない・・・という考え方は解せません。
「天皇(皇室)が国民と共に歩む」「天皇(皇室)は国民の心に寄り添う」という皇室のあり方は民主主義だからこそ。
また、民主主義でなければ国民統合の象徴はいらないし、国民に対しても公平でなくても良い。
実は八木氏自身が民主主義に対して反対なのではないかという印象を受けました。