落書き帳

皇室評論家って、つまらない奴ばかりなので
専門家とか、ホントに?

河西秀哉氏の逆効果記事

2023-10-12 12:05:42 | 皇室の話(3)
「文芸春秋」令和5年11月号に「美智子さまが狙われている」と題する河西秀哉氏の記事が掲載されている。

ネット上にみられる上皇上皇后両陛下への誹謗中傷コメントの問題について論じた記事であり、筆者としても同意できる部分はそれなりにある。

ただ、皇室への誹謗中傷ということを論じるのであれば、平成の時代における皇太子御一家バッシングというものがどのようなものであったか、当時の状況や背景について、きちんと把握する必要があったのではないか、というのが筆者の全体的な感想である。
この問題は後に述べることとして、さて、記事を読み始めて、「白内障手術の日程が問題に」という小見出しの付された段落までは、筆者も基本的に同意である。

また、210ページ上段の以下の記載については、なるほどと思う。
----引用開始----
新聞を見ると、どの面のどの位置に記事が掲載されているかによって、その記事の軽重がわかる。さらに、写真がどのように掲載されているか、記事の大きさはどうかなども判断する材料になる。ところがネットニュースの記事は、そのあたりがフラットになりわかりにくくなる。掲載位置による記事の軽重も、もちろんネットからではわからない。その結果として、天皇・皇后の記事と上皇のそれが同じ扱いになっているようにネット上では見えてしまい、まるで上皇が天皇・皇后の国葬参列を邪魔するかのように考えてしまった人がいるのだろう。
----引用終了----

ただ、「「爺」「婆」「皿婆」などと」という小見出しの付された段落になってくると、違和感を感じてきてしまう。
こういった表現が「人として礼儀を欠く」ものでありけしからんというのは、筆者としてももちろん同意なのだけれど、こういう悪口のようなものは、それを紹介することによって、知らなかった人々に対してまで拡散するという効果があるのではないだろうか。

現に、ヤフーニュースでは、今回の文芸春秋の記事について、以下のタイトルを付した紹介記事が掲載されている。

《「爺」「皿婆」…》上皇・上皇后へのネット誹謗中傷の深刻な実態 名古屋大・河西秀哉氏が指摘

筆者は、ここしばらく、皇室関係の記事はあまり読んでいなかったのだが、「皿婆」という表現は、今回の河西氏の記事で初めて知ることとなった。
これは、「さらばぁ」と読むのだろうか。何だか「サラダバー」に近い音感であり、妙に頭の中に刻まれてしまう。
そういう注意を引き付ける効果があるからこそ、ヤフーニュースでは上記のようなタイトルが付されたのであろう。
そういう意味では、河西氏は、悪口を拡散させることに加担しているということになるのではないだろうか。

なお、「帽子が、小皿のように見えると揶揄」というのは、最近に始まったものではない。
平成18年11月19日、日比谷公会堂にて、週刊金曜日主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪」というイベントがあり、そこで行われた芝居で、猿のぬいぐるみで悠仁親王殿下を表したりとかもあったのだが、皇后陛下に見立てた人物の頭に茶たくを載せたりしていたのである。

要するに、「小皿のように見える」帽子について、素晴らしいと思う人もいれば、滑稽だと思う人も、昔から居たというわけであろう。河西氏は「「衣装代に多額の税金をつぎ込んでいる」という印象付けをしようとする意図も感じられる」と分析しているが、衣装代の問題は問題としてあるとしても、それはちょっと違うのではないかと思う。

さて、次に、「秋篠宮家に「裏切られた」」という小見出しの付された段落になってくると、説得力がほとんど感じられなくなってくる。
秋篠宮家に対する「税金の無駄遣いという指摘」の背景として、第一に、分断化する日本社会の中で「勝ち組」への反発、第二に、平成の皇室が作り上げた「「私」より「公」を重視するイメージ」の反作用ということを述べているように思われるが、筆者にはどちらもいまいちピンとこない。

税金という観点からの秋篠宮家への批判は、もっと生々しく直接的な原因によるものであろう。
河西氏の記事では「小室さんの母親の金銭問題の浮上」ということが、一応言及されているけれども、これは本当に、もともとはたかだか400万円のお金の問題であった。

この問題で、皇室の権威がこれだけ損なわれてしまったということを考えると、もっと上手な対応の仕方はなかったのだろうか。

それはあくまでも小室家の問題であるとして、それを解決するために自分たちがお金を出すようなことはしないというのは、それはそれで筋であるとも思われるが、他方で、秋篠宮家改修工事に係る数十億もの費用の問題。
このアンバランスさ。

また、平成30年11月22日の記者会見で、秋篠宮殿下は、兄である皇太子殿下の御即位に伴う大嘗祭につき、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。」と述べておられた。

これも一つの見識ではあろうけれども、他方で、秋篠宮家改修工事に係る数十億もの費用の問題。
このアンバランスさ。

筆者としては、秋篠宮家に対し、あまり税金という観点からの批判意識は有していないのであるが、敢えて問題にするとすれば、こういったアンバランスさのもたらす気持ち悪さが原因なのではないかと想像する。

日本社会が、いよいよ闇の時代となっていけば、河西氏の言う第一、第二の背景に基づく批判というのは、実際に展開されるようになっていくのかもしれない。
その場合には、今とは比べ物にならないほど、悲惨な状況になるであろうことは間違いない。
ただ、現在、すでにこれらを背景とする批判が展開されていて、この程度で済んでいるという認識に立っているとすれば、それはあまりにも甘い認識であると言わざるを得ないであろう。

さて、次に、「逆風を乗り越えた天皇一家」という小見出しを付された段落となる。
この内容は、筆者としては、到底看過できるものではない。
こういう分析をするのであれば、きちっとやってもらいたいものだ。
中途半端に論じていいようなことがらではない。

筆者としても、上皇上皇后両陛下、秋篠宮家に対するバッシングについて、もちろん、よくないものであるとは思っているが、それを論じるに当たり、かつての皇太子御一家へのバッシングの問題と、安易に絡めて論じるべきではないと思うのである。

平成の時代における、皇太子御一家へのすさまじいバッシング。
河西氏は、本当にきちんんと、当時の状況、背景について、把握しているのだろうか。

河西氏は、以下のように述べている。
----引用開始----
一方で、雅子皇太子妃の病気療養、愛子内親王の不登校問題など、皇太子一家は様々な問題を抱え、それが週刊誌などのメディアで批判的に取りあげられることも多かった。こうした状況を作り出したのが、当時の天皇・皇后であった上皇・上皇后だと見ている人々がいるのである。そして彼らが、皇太子一家が苦しんでいた状況を放置、もしくは積極的にそれを作りあげたと考える。しかし、そう思考する根拠が示されているわけではない。あくまで憶測である。
----引用終了----

このブログを古くから読んで来られた方がいたとしたら、このような河西氏の主張に対して、筆者がどれほど複雑な気持ちになるか、分かっていただけるのではないだろうか。

平成の時代における皇太子御一家への中傷記事をきちんと読めば誰にでも分かることだが、バッシングの出所は、そのほとんどが、当時の天皇皇后両陛下周辺だったのである。
バッシング記事の中には、「千代田関係者」なる人物が何度も何度も出てくる。

ここで、「千代田関係者」というのはあくまで匿名の存在であり、実在するのかどうかも怪しいという議論もあるであろう。

それでは、「平成皇室論」の著者である橋本明氏はどうであろうか。
橋本氏は上皇陛下の御学友で、「美智子さまの恋文」という本を書き、恋文を入手できたほどのコネクションを有していた人物であるが、「平成皇室論」の中で、皇太子同妃両殿下に対し、別居、離婚、廃太子について提言していたのである。

バッシングの出所の多くが当時の天皇皇后両陛下周辺であったことにつき、筆者としても認めたくない気持ちがあって、相当に悩みながら分析していたのであるが、どうしても認めざるを得ないというのが結論であった。

筆者のブログには、その問題を論じた記事が無数にあり、それらを見れば、どんなに鈍感な者であっても、当時の天皇皇后両陛下周辺の異常性は、嫌でも実感することになるであろう。

筆者としては、現在においては、かつてのような「千代田関係者」によるバッシングも無くなり、上皇上皇后両陛下を責めるような記事を公開し続けるのもどうかと思うようになって、かつてのブログ記事は非公開にしているのであるが、河西氏のような記事を目にしてしまうと、改めて公開した方がよいのだろうかと思いに駆られてしまう。

さて、次に、「もうやっていられない」という小見出しを付された段落となる。
河西氏は、「テニスコートの出会い」について、「知らなくてもよい」と言う者に対し、反知性主義的な態度であると批判する。
確かに「テニスコートの出会い」については、知っている方が望ましいエピソードの一つではあるだろう。
ただ、象徴天皇制の問題を論じるというのであれば、「テニスコートの出会い」といったエピソードよりも、平成の時代における皇太子御一家へのバッシングの問題の方が、遥かに理解するべき事柄なのではないだろうか。
そのことをきちんと把握することなく、今回のような記事を書く河西氏の方が、遥かに深刻な反知性主義的態度であると言うべきであろう。

さて、次に、「雇均法第一世代の「恨み」」という小見出しを付された段落となる。
河西氏は、上皇上皇后両陛下、秋篠宮家を攻撃する者たちついて、以下のような分析を述べる。
----引用開始----
成長が停滞した平成の時代に、うまくいかなかった自分たちの境遇を、同じように苦しんだ雅子皇后に投影し、「皇太子妃時代にいじめた」として、恨みを晴らすかのように上皇・上皇后、秋篠宮家を攻撃するという構図である。
----引用終了----

まぁ、そういう人もいるかもしれないとは思うが、それが全てではないのではないだろうか。
上皇上皇后両陛下への攻撃というのは、筆者にはあまり理解できないのだが、秋篠宮家への攻撃というのは、秋篠宮家にかなり問題があるからなのではないだろうか。

ここまで読んで見て、今回の河西氏の記事の狙いは何なのだろうかと、だんだんと不思議な気持ちになってくる。
一見すると、上皇上皇后両陛下、秋篠宮家への攻撃が無くなることを願っているかのようである。

ただ、攻撃をしている人に対し、それを止めさせたいというのであれば、まずは、そういった人たちの動機をきちんと把握するということが必要なのではないか。
その把握が中途半端であり、その中途半端さを無自覚なままに露わにし、「という構図である」というように断定的に論ずるというのは、全く逆効果なのではないだろうか。

あるいは、攻撃が無くなることを願うかのような体裁をとりつつ、攻撃を煽りたいというのが、その真意なのだろうか。

また、河西氏は以下のように述べる。
----引用開始----
たとえば、彼らは愛子内親王を「敬宮様」と呼ぶべきだと主張する。(中略)名前ではなく、人々とは異なる称号を使うべきとの主張は、国民に近づいてきた象徴天皇制・皇室のあり方を否定することにも繋がる。
----引用終了-----

「敬宮」という称号は、皇子、皇女に与えられるものであるので、愛子内親王殿下のお立場を尊重しようとする人たちは、「敬宮様」と呼ぶべきと主張するというのは、ありそうな話ではあるが、上皇上皇后両陛下、秋篠宮家を攻撃する人に共通して見られると特徴とまで言い得るのだろうか。

それに、河西氏は、「人々とは異なる称号を使うべきとの主張は、国民に近づいてきた象徴天皇制・皇室のあり方を否定することにも繋がる」といった批判を展開するが、河西氏は「敬宮」という称号の意味を、ちゃんと分かっているのだろうか。

「敬宮」という称号は、「愛子」というお名前と共に発表されたもので、お名前を直接お呼びするのは失礼であり憚られるという感覚が一般にあるという前提の下、お名前の代わりに用いることのできる呼び名として定められたものである。

この「失礼であり憚られる」というのは、河西氏によれば「国民に近づいてきた象徴天皇制・皇室のあり方を否定することにも繋がる」ということになってしまうのかもしれないが、一般の人の間でも、いきなり誰かをファーストネームで呼ぶことについては躊躇する感覚、いきなりファーストネームで呼ばれた場合に戸惑うような感覚というのは、あるのではないだろうか。

もちろん、「愛子様」という表現は広く普及しており、現在において、「愛子様」とお呼びして失礼ということはないであろう。
筆者としては、「敬宮様」とお呼びするべきとあまり強く主張するのも、逆に、そのような主張は「国民に近づいてきた象徴天皇制・皇室のあり方を否定する」と主張するのも、どちらも極端なもののように思えて仕方が無い。

さて、次に「「お前は平成派だ」「秋信だ」」という小見出しの付された段落であるが、筆者がまず気になったのは、河西氏は「天皇一家への無条件の称賛」とか「短絡的に天皇家を称揚することは」というよう表現を用いていることである。

まるで、天皇御一家を称賛している人たちが、十分な根拠なく称賛していると言っているかのようである。
しかしながら、誰がどう考えても、天皇御一家を称賛している人たちというのは、御一家が素晴らしい存在であるからこそ称賛しているのであって、そこには十分な根拠があるのであり、「無条件」でも「短絡的」でもないのではないだろうか。

天皇御一家への称賛の在り方につき、筆者としても問題意識がないわけではない。
ヤフーニュースにて、天皇皇后両陛下の御活動が報じられる際、そのコメント欄を読むと、天皇皇后両陛下への称賛と併せて、記事とは全く関係ないのに、秋篠宮家に対する批判をあわせて書き込んでしまっている例が結構ある。
そういうのを読むと、ここではそういうのを書かない方がいいのになと、少し残念な気持ちになったりすることはある。
ただ、河西氏には、そういう問題意識は全くないようである。

さて、この段落で、次に筆者が気になったのは、以下の箇所である。
----引用開始----
今は天皇家には追い風が吹いているが、「理想と違う」となればいつ豹変するかわからない恐怖感は、皇太子時代にバッシングを受けていた本人たちも感じているのではないか。今まさに、シーソーのように秋篠宮家との評判が逆転しているように。
----引用終了----

全く冗談ではない。
かつての皇太子御一家へのバッシングと、今の秋篠宮家へのバッシングとは、全く性質の異なるものである。

その性質が異なるということについては、その出所を見れば、極めて明白であろう。
秋篠宮家へのバッシングは、秋篠宮家での出来事があまりに異常であることから、多くの国民があきれてしまっていることに由来するものであり、少なくとも、今の天皇皇后両陛下の周辺が出所ではない。

シーソーというのは、タイミングとしてそのように見えるということはあるかもしれないが、現象の原理では全くないのであり、極めて不適切な表現である。

素人が用いるのであればまだしも、河西氏は歴史学者とのことであるが、社会的な現象を述べる専門家ということであるなら、完全に失格なのではないだろうか。

こんなに頭の悪い学者というのが存在するのか。

さて、河西氏は以下のようにも述べる。
----引用開始----
ネット上の声は、一見すると男系男子主義の保守派とは異なるが、窮屈な権威的天皇像を構築しようとする点では同根だと思われる。
----引用終了----

このような言い方に対する筆者の何とも言えない複雑な気持ちというのは、平成の時代における皇太子御一家へのバッシングを目の当たりにした者でなければ分からないかもしれない。
ただ、当時のバッシングを目の当たりにし、それに傷ついた者であれば、ものすごい違和感を感じることとなるであろう。

平成の時代におけるバッシングの時期というのは、当時の皇室典範論議、皇位継承資格の女性・女系拡大の議論の時期とも重なっていたのである。

そして、皇位継承資格の女性・女系拡大ということは、愛子内親王殿下に皇位継承資格を認めるという効果をもたらすこととなるため、女性・女系拡大に反対する保守派の勢力は、皇太子御一家を潰すべき敵とみなして、大規模なバッシングを展開していたのである。

これが、皇太子御一家へのバッシングのもう一つの大きな出所であったわけだが、当時のバッシングがどれほど恐ろしい拷問魔じみたものであったことか、このブログでもさんざん取りあげた。

当時の状況を少しでも知っていれば、天皇御一家を応援する人たちを、「男系男子主義の保守派」になぞらえるような表現というのは、絶対にできないのではないだろうか。
少なくとも筆者にはできない。

結局、河西氏の今回の記事というのは、何が言いたかったのだろうか。
筆者としても、上皇上皇后両陛下、秋篠宮家へのバッシングが良いことであるとは思っていない。
少なくとも、根拠のない批判、中傷は、無くなるべきであると思う。
しかし、河西氏の記事で、そのような効果があるとは到底思えず、むしろ、あまり批判するつもりのない者たちを批判に駆り立てることとなるのではないか。

筆者も、ついつい、長い記事を書いてしまったところである。

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