8月となると,ごく一部ではあるが,天皇陛下の靖国神社参拝を望む声が聞かれたりする。そこで,今回は,靖国神社の問題について,いくつか述べておくこととしたい。
靖国神社については,左翼の側から,戦争を賛美する施設であるとか,戦死することを喜ぶ人間を作り出す施設だとか,そのように言われることがある。また,一方では,戦死者を顕彰するのは当たり前のことであるとし,中国からの干渉に対して反発する意見,A級戦犯の合祀との関係で東京裁判の効果と結び付ける意見などが見られる。
筆者としては,既存の議論とは少々異なる問題意識,見方を有している。
まず,靖国神社の意義であるが,戦場という,殺し殺されるという極限状況において亡くなった方の思いに応えるという意味合いがあろう。
まず,人は,誰でも,殺し殺される状況などは,どこまでも避けたいはずである。当たり前のことであろう。この点で,左翼の主張というのは,あまりに人間という視点が欠落していると言わざるを得ない。
さて,それでは,そのような極限状況に,人が身を置くというのは,いかなる場合であるのだろうか。
そこには,もちろん,逃亡することに対する処罰といった強制の契機もあったであろう。ただ,そのような強制の契機のみでは戦争は成り立たないはずであり,やはり,そこには,「国に対する忠誠心」というものがあったであろう。現在において「国に対する忠誠心」と言うと,なかなか実感の沸かない観念的な言葉であるかもしれないが,家族,地域社会など各共同体での人と人との繋がり,絆があり,そのような共同体の集積として,国というものがあり,それぞれの共同体における絆の集積として,国に対する忠誠心というものがあったであろう。
そういう意味では,「国に対する忠誠心」といっても,各人必ずしも一様ではなく,家族に対する思いが強い者,ふるさとに対する思いが強い者,様々であったと思われるが,そのような絆を大事に思い,自分の命を投げ出しても尽くしたいという思いがあったはずである。
そして,そのような思いに応えるということこそが,靖国神社の意義なのであろう。
であるから,それは,追悼ということではダメなのである。そのような思いに応えるためには,「よくぞ立派に戦ってくれました」という,絆の当事者としての言葉が必要なのであろう。顕彰でなければ,ダメなのである。
ただ,ここからが一番重要なのであるが,そのような顕彰の必要性というものは,共同体における絆故に生じるということである。すなわち,共同体内部の絆の問題なのであって,国策としての戦争に対する外の世界からの評価とは次元の異なる問題であるということである。
国策としての戦争が正当なものであったとしても,そうでなかったとしても,戦死者に対する顕彰は共同体内部において,その絆故に必要となるものである。また逆に言えば,そのような顕彰を行ったとしても,それは国策としての戦争の正当化を外部に訴えるという問題ではないはずなのである。
この二つのことを混同しないということは,国を運営する立場において,十分に認識していなければならない知恵であったと思うのだが,靖国神社に関しては,この二つのことが混同されてしまっているように思われる。それが現在の混乱の原因なのであろう。
そもそもが,中国との外交問題として位置づけてしまったことが誤りであったし,また,解決するために外交問題として位置づけることも誤りであろう。更には,東京裁判の不当性を訴えるというのも,問題の解決にはおよそ繋がらないであろう。
それでは結局,どうすればよいのかということであるが,それは原則に立ち返り,共同体内部の絆の問題と,国策としての戦争の評価の問題とは,次元の異なるものであることを明らかにするしかあるまい。
毎年毎年,総理大臣の靖国神社参拝ということが話題になるが,肝心なのは,靖国神社に出かけたかどうかということではなく,何をしに行くのかということである。
不戦の誓いとか,戦死者への哀悼というのでは,どこか表層的であり、不十分である。
国の運営を担う立場の者として,戦死者との絆をかみしめながら,絆の当事者としての顕彰と感謝であるべきであろう。そして,絆の当事者としての,過去に遡っての悔恨であるべきだろう。そして、それらを踏まえてこそ,不戦の誓いというものが,中身のある,説得力のあるものとなろう。
そして,このことは,決して戦争賛美なのではなく,むしろ,戦争を避けるための大きな力になるであろう。
なぜならば,そもそも戦争は,何故いけないことなのか,避けるべきなのかということである。
それは,経済的な無駄であるとか,そのようなことではなくして,根本的には,絆ある者を失う悲しみということなのではないか。
そして,絆の問題というのは,特定の関係にある者同士の問題のようでありながら,他の国々において,それぞれの絆があることに思いを致せば,絆の大切さ,絆ある者を失うことの悲しみということは,実は普遍性のある話であり,他の国々とも理解し合うことが可能であろうはずだからである。理解し合うということが楽観論にすぎるにしても,少なくとも説得力のあるメッセージにはなろう。
ところで,天皇陛下の靖国神社ご参拝については,このような絆という観点からは,とても大きな意味を有しているが,外交問題,政治問題の焦点となってしまっている現状では,不可能と言うしかないであろう。
また,ナショナリズムを喚起する手段として、天皇陛下のご参拝を求めようとする考え方があるとすれば,筆者としては、断固反対である。
実に,お気の毒なことであり,切ない話ではあるが。
靖国神社については,左翼の側から,戦争を賛美する施設であるとか,戦死することを喜ぶ人間を作り出す施設だとか,そのように言われることがある。また,一方では,戦死者を顕彰するのは当たり前のことであるとし,中国からの干渉に対して反発する意見,A級戦犯の合祀との関係で東京裁判の効果と結び付ける意見などが見られる。
筆者としては,既存の議論とは少々異なる問題意識,見方を有している。
まず,靖国神社の意義であるが,戦場という,殺し殺されるという極限状況において亡くなった方の思いに応えるという意味合いがあろう。
まず,人は,誰でも,殺し殺される状況などは,どこまでも避けたいはずである。当たり前のことであろう。この点で,左翼の主張というのは,あまりに人間という視点が欠落していると言わざるを得ない。
さて,それでは,そのような極限状況に,人が身を置くというのは,いかなる場合であるのだろうか。
そこには,もちろん,逃亡することに対する処罰といった強制の契機もあったであろう。ただ,そのような強制の契機のみでは戦争は成り立たないはずであり,やはり,そこには,「国に対する忠誠心」というものがあったであろう。現在において「国に対する忠誠心」と言うと,なかなか実感の沸かない観念的な言葉であるかもしれないが,家族,地域社会など各共同体での人と人との繋がり,絆があり,そのような共同体の集積として,国というものがあり,それぞれの共同体における絆の集積として,国に対する忠誠心というものがあったであろう。
そういう意味では,「国に対する忠誠心」といっても,各人必ずしも一様ではなく,家族に対する思いが強い者,ふるさとに対する思いが強い者,様々であったと思われるが,そのような絆を大事に思い,自分の命を投げ出しても尽くしたいという思いがあったはずである。
そして,そのような思いに応えるということこそが,靖国神社の意義なのであろう。
であるから,それは,追悼ということではダメなのである。そのような思いに応えるためには,「よくぞ立派に戦ってくれました」という,絆の当事者としての言葉が必要なのであろう。顕彰でなければ,ダメなのである。
ただ,ここからが一番重要なのであるが,そのような顕彰の必要性というものは,共同体における絆故に生じるということである。すなわち,共同体内部の絆の問題なのであって,国策としての戦争に対する外の世界からの評価とは次元の異なる問題であるということである。
国策としての戦争が正当なものであったとしても,そうでなかったとしても,戦死者に対する顕彰は共同体内部において,その絆故に必要となるものである。また逆に言えば,そのような顕彰を行ったとしても,それは国策としての戦争の正当化を外部に訴えるという問題ではないはずなのである。
この二つのことを混同しないということは,国を運営する立場において,十分に認識していなければならない知恵であったと思うのだが,靖国神社に関しては,この二つのことが混同されてしまっているように思われる。それが現在の混乱の原因なのであろう。
そもそもが,中国との外交問題として位置づけてしまったことが誤りであったし,また,解決するために外交問題として位置づけることも誤りであろう。更には,東京裁判の不当性を訴えるというのも,問題の解決にはおよそ繋がらないであろう。
それでは結局,どうすればよいのかということであるが,それは原則に立ち返り,共同体内部の絆の問題と,国策としての戦争の評価の問題とは,次元の異なるものであることを明らかにするしかあるまい。
毎年毎年,総理大臣の靖国神社参拝ということが話題になるが,肝心なのは,靖国神社に出かけたかどうかということではなく,何をしに行くのかということである。
不戦の誓いとか,戦死者への哀悼というのでは,どこか表層的であり、不十分である。
国の運営を担う立場の者として,戦死者との絆をかみしめながら,絆の当事者としての顕彰と感謝であるべきであろう。そして,絆の当事者としての,過去に遡っての悔恨であるべきだろう。そして、それらを踏まえてこそ,不戦の誓いというものが,中身のある,説得力のあるものとなろう。
そして,このことは,決して戦争賛美なのではなく,むしろ,戦争を避けるための大きな力になるであろう。
なぜならば,そもそも戦争は,何故いけないことなのか,避けるべきなのかということである。
それは,経済的な無駄であるとか,そのようなことではなくして,根本的には,絆ある者を失う悲しみということなのではないか。
そして,絆の問題というのは,特定の関係にある者同士の問題のようでありながら,他の国々において,それぞれの絆があることに思いを致せば,絆の大切さ,絆ある者を失うことの悲しみということは,実は普遍性のある話であり,他の国々とも理解し合うことが可能であろうはずだからである。理解し合うということが楽観論にすぎるにしても,少なくとも説得力のあるメッセージにはなろう。
ところで,天皇陛下の靖国神社ご参拝については,このような絆という観点からは,とても大きな意味を有しているが,外交問題,政治問題の焦点となってしまっている現状では,不可能と言うしかないであろう。
また,ナショナリズムを喚起する手段として、天皇陛下のご参拝を求めようとする考え方があるとすれば,筆者としては、断固反対である。
実に,お気の毒なことであり,切ない話ではあるが。
この問題は、手強いので、とりあえず表層的な私見を述べます。
まずは、共同体の論理と国際社会の論理の二つの問題が混在されているという西田さんの理解は、正しいと思います。でも、二つの問題が切り離せないところに、このテーマのややこしさがあると思います。
簡単にいえば、東京裁判を前提にして日本は、日本は戦後の独立の道を選びました。他方、国民の多くは、少数の戦犯が罪を負うことについて、誰かが貧乏クジをひくのは、仕方がないというとの口実で、戦争責任を自らの痛切な問題として引き受けることを避けてしまったことに、ねじれの根源はあります。
です。ここからみれば、二つの問題は、明確には切り離せなくなってしまったというのが、とりあえずの私見です。
ですから、小泉首相の参拝については、遺族から見れば「当然」、近隣諸国から見れば、当事国のナショナリズムや政治の矛盾を転化させる意味はあるにはしても、批判されるのもやむをえません。
ここから、私の意見はつんのめります。小泉首相の靖国参拝を非としては認めがたい気持ちがあるからです。
ただし、西田さんの「追悼」ではなく、「顕彰」であるべきだとの考え方には、明確に否定したいと思います。「顕彰」という言い方には、規定的な意味が含まれます。これは、多様な遺族の意見を踏まえて、「追悼」にとどめておくべきでしょう。
私は、共同体、身近な家族のために命を捧げた人たちを否定する気持ちは毛頭ありません。「靖国で会おう」と言って散った特攻隊員の言葉も、その言葉通りに受け止めるべきだと思います。ですから、戦後民主主義の水位を当然のようにして、過去を裁断すべきだとは全く考えていません。
でも、多くの戦死者の犠牲の上に立って、戦後社会が成立したことは紛れもない事実です。いやな表現ですが、「負けるが勝ち」という言い方も成り立ちうると思います。ですから、戦死者を「顕彰」すべきではなく、「お陰様で」と頭を垂れるべきだというのが、私見です。
西田さんと意見が分かれるのは、別な観点もあります。私は、国内の死者ではなく、二千万人を超すアジアの死者にも「追悼」すべきだと思っています。結果的に、アジア太平洋戦争で独立の道を勝ち得たアジア諸国は少なからずありますが、「大東亜共栄権」の論理は後知恵でしかありません。
ですから、私は、「むごい戦争で死なれて、本当にご苦労さまでした」とただひたすら犠牲者を追悼し、祈るのが、本来の姿だと思います。
明仁天皇夫妻が、九五年以来、自主的に被災地を巡礼しているのが正しいと考えます。サイパンを訪れた際に、予定にはない沖縄出身者や韓国系住民の慰霊碑まで立ち寄り、拝礼したことはねすごく立派なことだと考えます。
小泉首相が、このような姿勢を見せれば、「靖国問題」から「戦後処理」の問題へともう少し、前進できたかも知れません。
以上は、私の雑ぱくな意見です。この問題は奥が深いので、反論をお待ちしています。
もし、「顕彰」という価値観を表に掲げたら、遺族の心理は様々で複雑ですから、「靖国問題」は、国内問題に転化しかねません。
心理的には分かるにしても、死者を「顕彰」するという姿勢は、国内の遺族そのものをも分断する危うさを秘めています。
ですから、西田さんの「顕彰」しようとする姿勢には、断固として反対します。この一線は譲れません。
しかしながら,今でも未解決の話でありますし,日本人の一人として,何らかの考えを持っておくべきではないかとも思ったのですが,私自身,まだ十分に消化し切れていないところがあります。
ただ,感じるのは,共同体内部での人と人との絆という問題と,国際社会の問題とが,混在してしまっており,そのことが混乱を招いているように思いました。
そして,これらは次元の異なる問題であるし,そうである以上,分けて考える必要があるのではないか,と思ったわけです。
この点,両者が切り離せないところに,この問題の難しさがあるとのことで,それは確かにそうなのですが,切り離すのが無理にしても,別次元の問題が混在しているのだということは,念頭に置いておく必要があるように思います。
特に,人と人との絆の問題を,ナショナリズムに結び付けようとする傾向があるとすれば,それは危険なことだと考えます。
さて,そのように,異なる次元の問題があるとして,絆の問題について考えた場合,戦死者に対する関係と,他の戦没者との関係とは,やはり異なるのではないかということが,私の感覚です。
戦死者については,祖国の人々,そしておそらくは,私を含む未来の日本人をも想い,命を捧げられたかと思いますので,それに報いるためには,他の戦没者に対する言葉とは,何か別な言葉があるのではないかと感じるのです。
本文にては,顕彰という言葉を用いましたが,確かにこの言葉には,特別な色づけがなされてしまっているかもしれません。
戦死なさった状況を思いめぐらしますと,顕彰という言葉が思い浮かんだのですが,しかし,すでに戦後60年。現在は戦時中ではなく平和国家の時代ですし,時間の経過と状況の変化ということを改めて考えてみますと,少なくとも,戦時中のそのままの意味での「顕彰」ということは,戦死者との絆という観点から考えても,当てはまらないのかもしれません。
この点では,中野さんのコメント中の,「「お陰様で」と頭を垂れるべき」という方が,ピンとくるように思いました。
また,遺族の感情というのは,確かに複雑だと思います。
靖国神社に対して,拒否感を抱く方も居られるようです。愛する人の命を奪うという悲劇をもたらしたことについて,正当化するようなことは許せないというお気持ちがあるのだろうと思います。
私自身としては,絆の問題と,国策の評価の問題とは,別次元の問題と考えており,「顕彰」と表現することについて,下心はないつもりですが,「顕彰」という言葉によって,むしろ混乱を招くということであれば,用いるべきでないということについて,異論はありません。
なお,以上については,戦死者に対する関係の問題で述べたのですが,外国の犠牲者について放っておくべきと言うつもりはありません。
人と人の絆ということを踏まえ,その絆が限定的な関係で成り立つものであるということを自覚すれば,アジアの犠牲者に対しては,私たちは,どこまでも加害者の立場でしかないのだと思います。
たとえ,国策たる戦争に正当性があったとしても,それぞれの国において,それぞれの絆のある,愛する人の命を奪ったことに対しては,どこまでも加害者でしかないはずであり,謝罪の気持ちが必要になってくると思います。ただ,逆に言えば,謝罪をするとしても,卑屈になる必要はないのではないかとも思います。
一つ一つの関係性ということに着眼すれば,それに応えるべき気持ちというものも,変わってくるのではないか,というのが私の考えです。
ところで、私は最近まで朝毎読の三紙の戦後六十年の「八月十五日」社説の分析を通して、読者の鏡ともいえる新聞の歴史認識の検証作業をしてきたのですが、驚かされた点がいくつもありました。
その一つは、死者への追悼が忘れされれてきた点にあります。「死者への追悼」を最も早く取り上げたのは毎日新聞ですが、なんと戦後20年近くたった1964年でした。朝日新聞は1969年、読売新聞は1978年でしかありませんでした。調べていくうちに、「死者への忘却」の上に立つ戦後民主主義に怒りにも近い気持ちを持ちました。
真っ先に「死者をとむらう心」を掲載した毎日社説の一部を引用します。
「幾百万の戦没者たちは、戦争の勝敗にかかわらず、少なくとも『お国のため』と信じて散華したはずだった。これに対して、あの戦争がかりに無意味な戦争であったとしても、たまたま生き残ったわれわれに、どうしてそれを『無意味な死』と片づけることが許されるであろうか。もとより、この戦没者たちの霊を慰めるためにも、われわれは二度と戦争の誤りを繰り返さないことを改めて誓おう。しかし、それは彼らの死を『無意味』といい『犬死』とすることであってはならない」
正直に言って、この社説に巡り会ってホッとしましたね。多分、西田さんの「顕彰」という言葉の真意は、この社説に代弁させることができるのでしょう。その意味であれば、言葉の使い方はともかく、私も同感します。
「靖国問題」には、「靖国=日本文化」論、A級戦犯合祀の是非論、外圧に屈するな論、さらには「大東亜戦争」肯定論が複雑にからんでいます。私は、これらの論は一つづつ整理してみせる自信はありますが、小泉首相の靖国参拝を「非」と断定しえないのは、「靖国問題」を理屈ではなく、感情論を含めて透析しなければならないと考えるからです。
まず、なぜ、かくも長い間、戦死者は忘却してきたのかを反省しなければなりません。死者に「お陰様で」「忘れてしまって申し訳ありませんでした」と素直に詫びる必要があるように思います。同様に近隣諸国の人たちにも「ごめんなさい」と謝り、態度で示す必要があるように思います。
昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の証言によれば、天皇はA級戦犯の合祀を快く思ってはいなかった節がうかがえます。明仁天皇夫妻に至れば、95年以降、各地への自主的な慰霊の旅を続けています。
その意味においても、戦後民主主義はかろうじて皇室に支えられていると言えるかも知れません。かつては生粋の左翼であった私が天皇制度に着目し、擁護しようという立場に変わったのも、この戦後民主主義の逆説に直感的に気付かされたからです。
また、西田さんのプログに着目したのは、貴殿が硬直したナショナリストではないと感じたからです。
「靖国問題」を論じる際にも最も大切なのは、声高な議論ではなく、素朴な感情論であり、「割り切れなさ」にあるように思います。その「割り切れなさ」を念頭に置かない議論は、右左を問わず欺瞞だと考えています。
解決策のヒントを明仁天皇夫妻が態度で示しているのに、どうして多くの人たちは気付かないのでしょう。多分、多くの論者たちは、「靖国問題」を自説、もしくはイデオロギーを裏付ける材料として利用しようとしているからでしょうね。
そのことを詰めていくと、積極的に従軍した人たちは「顕彰」すべきであり、いやいや従軍した人たち、もしくはヒロシマ、ナガサキで原爆投下で亡くなった方々とを差別することになりなねないからです。
また、その論理は左翼が主張する「なぜ靖国は日本の戦死者のなかでも軍人軍属を祀り、民間人を祀らないか」といった矮小化された議論に屈服するしかないからです。
戦死者も戦没者も、程度の差はあれ、一億火の玉となって戦った結果、敗れたとの素朴な認識で良いのではないでしょうか。
もちろん、個人的には、積極的に身を投げ出した戦死者に対しては、特別な思いは拭い切れませんが。
でも、ここらを厳密につめすぎると、戦死者の中でも、誰が積極的に身を投げ出したか、そうでないか、などといった不毛な議論につながりかねません。
ついでに言えば、私は、遺族年金の階級別の支給の仕方にも問題があると考えています。
また、民間人や近隣諸国で戦争に巻き込まれた人たちのうち、希望者を「顕彰」する姿勢を靖国神社がみせれば、政治の論理や国家神道の枠組みを離れて、伝統的な神道理解に戻るように思いますが、靖国神社は「大東亜戦争は是」の立場を捨ててはいませんから、難しいでしょうね。
国家神道と在野神道とはまったく異なりますが、靖国ないし明治維新以来の「国家」に固執する方々には、その差異が視野には入ってこないのが現状です。
本来の在野神道は、そうした国家に貢献した人だけを祀る「政治理念」とは別なところにあったように思われますが、神道自体への曲解も残念ですね。
ただし、個人的には、ここ数年間、毎年、靖国を訪れています。でも、靖国は猥雑化されすぎて雰囲気は良くないなあ。
ところで、私は明日から小旅行に出ますので、しばらくはこのプログでのコメントを書けません。
あしからず。
今年の各紙の社説は,どのような内容になるのでしょうか。中国との関係や,総理の参拝がどうなるかとか,そういう記事はもうかなり出ましたので,日本人の心に訴えかけるような,自覚を促すような記事を期待したいところです。
戦死者と戦没者の区分けということについては,私は,軍人というものは,共同体,国との関係において,一般の者とは異なる特別な関係に立つのではないかと思います。差別ということではなくて,何か違いがあるのではないかと。
そして,神社も様々なものがありますが,そういう特別な関係を専門とするのが靖国神社なのだと思います。
ですから,もちろん,他の戦没者も追悼されるべきだと思いますが,それを敢えて靖国神社に行わせる必要性は,ないのではないでしょうか。
ただ,戦死者と戦没者の区分けということについては,時間の経過とともに,意味合いが薄れていくような気はします。
今でも,個々の神社に祀られている神様の由来について,多くの人は結構無頓着にお参りしているように見受けられますし,何十年か先の将来においては,靖国神社の個性というものも,だいぶ薄くなっているかもしれません。
でも、戦死者と戦没者を区分けするのは、以外に難しいのですよ。
例えば、沖縄戦では、師範学校・中学生は鉄血勤皇隊として銃をもたされ、高等女学校の生徒もひめゆり部隊となどの通称で動員されているうえ、一般の住民も前線に放り出され、「最後まで敢闘し悠久の大儀に生きるべし」として、抵抗することを余儀なくされたように。
最後には、前線と銃後も混在し、その区別も付かないまま戦闘は続けられてしまったのだから。
区分けにこだわるあまり、追悼の対象に入らなくなってしまう人たちが生じてしまうというのは問題です。そして、それを仕方のないことと片づけてしまうのでは、そもそもの追悼の心に反するとも思います。
そこでどうするかですが、一つには、靖国神社にて祀る対象の拡大ということがあるかもしれません。ただ、これについては、靖国神社側の自律性というものも、尊重されるべきだと思います。
このようにして考えてみますと、新しい追悼施設を作るということも、意義のあることかもしれません。
靖国神社の代替施設というのではなくて、戦争で亡くなった様々な立場の人たちの悲劇を受け止め、追悼する、そして、平和の大切さを再確認する、そのような施設を、国として設けるべきであるのかもしれません。
中野さんのコメントの中でも示唆されておりましたが、実は、靖国神社をめぐる最大の問題というのは、現在の国民一人一人の無自覚さであるように思われてきました。
政治的妥協とうことではなく、そのような無自覚さへの反省の上に立った追悼施設であるならば、意義があると思います。