皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇位の永続性を願うという視点

2005-08-07 23:16:24 | 皇室の話
皇位継承の在り方について、男系男子を主張される方は、125代続いてきた「男系」の重みということを言う。また、今「女系」にしてしまうと、125代続いてきた「男系」という在り方を変えてしまうということを言う。
筆者として、思うのは、これらは、ひたすらに過去を重視する考え方であり、未来志向ではないということである。
そして、皇位の永続性を願うためには、未来志向も必要なのではないか、ということを改めて思う。
過去、125代、確かに男系という限定的なルールで皇位は継承されてきた。ただ、それは、側室による庶系継承ということを不可欠の前提とするものであったのではないか。
庶系が認められなければ、早晩行き詰まることについては、まさに、今の状況が、それを証明している。
旧宮家復活・養子案により、一時的に男系男子の継承資格者を増やしたとして、この先、何代、安定的な継承が確保できるというのか。
男系男子を主張される方は、万世一系ということを言われることがあるが、本当に万世にわたる皇位の永続を願うという気持ちがあるのだろうか。
皇室の歴史は確かに長いものであるが、万世という視点で見れば、まだ125代である。
「万世」というのが比喩的な表現であるとしても、この先、さらに100代、200代と、皇室が存続することを願うのであれば、今までの125代の男系継承ということについて、そこまで自縄自縛的な原理として見なしてしまうことが、果たして適当であるのかどうか。
これは神話の話であるが、天孫光臨の際に、天照大神が下された天壌無窮の神勅というものがある。
「豐葦原の千五百秋の瑞穂の国はこれ吾が子孫の王となるべき地なり。宜しく爾皇孫、就でまして治せ。 さきくませ。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。」という限りない未来志向の内容であるが、ここには男系男子ということはなく、「吾が子孫」とあるのみである。また、天照大神自身、女性神であられた。 125代の男系の歴史ということを重視するあまり、皇統が絶えてしまう危機が生じることになるとすれば、それは、このご神勅の趣旨からみても、まったく予想外の、不本意なことなのではないか。
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