7月27日の「有識者会議の論点整理について(男系男子論の意義の確認の必要性)」という記事の中では、皇位継承の在り方を考えるに際して、価値観が問題になるということを盛んに述べたが、今回は、筆者なりの、女系容認の根拠となる価値観について、述べることにしたい。
ここで、筆者が問題意識を有する価値観とは、皇室というご存在の意義をどのように考えるか、ということである。
国民にとって、皇室というご存在はどのような意義を有するのかという問題があり、皇位継承の在り方については、このご存在意義を損なうことになるか、より高めることになるか、あるいは無関係であるか、そういう思考のプロセスが、必要であると思うのである。
筆者なりに理解している皇室というご存在の意義について、このブログでは、既に何度も同じようなことを述べてきたが、繰り返せば、それは、皇室と日本人との歴史的な絆ということである。皇室におかれては国の平安と国民の幸せを祈られ、国民はそのような皇室を大切に思い、そのような皇室と国民とが、長く共に歩んできたことによって築かれた絆ということである。
筆者のこのような考え方は、今も基本的には変わっていないが、ただ最近、このような皇室の在り方というのは、実は非常に現代的なものなのではないかと思うようになった。
国民に対する皇室の在り方、存在意義については、百二十五代の中では、多様性があったであろう。まったく、同じような在り方で続いてきたわけでは、ないはずである。
力ある支配者として、権力者としての側面が強く打ち出された時代もあったであろうし、権力については貴族・武家等に委ねつつ、権威ある存在としてのみの側面が強く打ち出された時代もあったであろう。
このように考えれば、男系男子ということが、なるほど、強く求められた時代もあったかもしれないと思われる。
すなわち、権力者としての側面が強く打ち出された時代においては、力の象徴として、男系男子ということが求められたであろう。
権威者としての側面が強く打ち出された時代においては、権威の源泉としての伝統的裏付けが重視されることになり、伝統的裏付けの内実としての皇位継承ルール、すなわち男系男子ということが求められたであろう。
それでは、現在における皇室の存在意義とは、如何なるものであるか。ここで、筆者としては、上述のように考えるわけである。
この上述のような皇室の在り方については、歴代天皇の御詔勅、御製の中にも見ることができ、「現代的」という言い方をしたが、決して、歴代天皇の歴史の中に無かったものが唐突に表れたというつもりはない。
ただ、非常に強く、表面化されてきたのは、現代の、特に戦後においてではないかと、筆者は感じるのである。
そのことが端的に表れているものの一つとして、昭和21年1月1日の、「年頭、国運振興ノ詔書」がある。
これは、新日本建設に関する詔書とも言われる(一般には「人間宣言」という方が、通じやすいであろうか。)ものであるが、この中の有名な一節に、
「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。」
という箇所がある。
筆者が盛んに「絆」ということを述べるのも、実は、この中の「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯」という言葉から手がかりを得たものである。
ここで、皇室というご存在の意義について、改めて考えてみることにする。
まず、現在においては、権力者としての側面を有しておられないことは、明らかであろう。
それでは、権威者としての側面は、如何であろうか。
この側面については、戦後においても、なお暫くは存在していたであろう。
ただ、それは、明治憲法下における、統治権の総覧者としてのイメージが残っていたことによるものと言うべきではないか。
皇室におかれては、すでに昭和天皇にして、昭和21年の詔書を出されていたわけであり、「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」るところの皇室と国民との関係を目指されておられたのではないか。
そして、その試みは成功し、現在において深く定着し、将来においても維持されるものと、筆者は考える。
さて、そのような、国民と「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」る皇室というのは、かつての権威者とは異なるものであろう。
すなわち、雲上人としての権威者ということではないはずである。国民から見て、問答無用の、無条件に価値の認められるべき伝統を背景とした、上からの原理に立脚した存在ではないはずである。
仮に、現在の皇室について権威者として捉えるとしても、その根拠となるのは、国民との心の通い合い、共感、その集積としての絆であろう。
これは上からの原理でも、下からの原理でもないものであり、君民一体というと古くさい印象があるが、結局これこそが象徴ということなのではないか。
さて、このように、現在及び将来における皇室というご存在の意義につき、皇室と国民との絆として考えれば、皇位継承の在り方を考える際の優先順位としては、まずは、できるだけ現在の皇室の中から、女系を容認してでも、継承者を見出すべきということになるであろう。
ここで、筆者が問題意識を有する価値観とは、皇室というご存在の意義をどのように考えるか、ということである。
国民にとって、皇室というご存在はどのような意義を有するのかという問題があり、皇位継承の在り方については、このご存在意義を損なうことになるか、より高めることになるか、あるいは無関係であるか、そういう思考のプロセスが、必要であると思うのである。
筆者なりに理解している皇室というご存在の意義について、このブログでは、既に何度も同じようなことを述べてきたが、繰り返せば、それは、皇室と日本人との歴史的な絆ということである。皇室におかれては国の平安と国民の幸せを祈られ、国民はそのような皇室を大切に思い、そのような皇室と国民とが、長く共に歩んできたことによって築かれた絆ということである。
筆者のこのような考え方は、今も基本的には変わっていないが、ただ最近、このような皇室の在り方というのは、実は非常に現代的なものなのではないかと思うようになった。
国民に対する皇室の在り方、存在意義については、百二十五代の中では、多様性があったであろう。まったく、同じような在り方で続いてきたわけでは、ないはずである。
力ある支配者として、権力者としての側面が強く打ち出された時代もあったであろうし、権力については貴族・武家等に委ねつつ、権威ある存在としてのみの側面が強く打ち出された時代もあったであろう。
このように考えれば、男系男子ということが、なるほど、強く求められた時代もあったかもしれないと思われる。
すなわち、権力者としての側面が強く打ち出された時代においては、力の象徴として、男系男子ということが求められたであろう。
権威者としての側面が強く打ち出された時代においては、権威の源泉としての伝統的裏付けが重視されることになり、伝統的裏付けの内実としての皇位継承ルール、すなわち男系男子ということが求められたであろう。
それでは、現在における皇室の存在意義とは、如何なるものであるか。ここで、筆者としては、上述のように考えるわけである。
この上述のような皇室の在り方については、歴代天皇の御詔勅、御製の中にも見ることができ、「現代的」という言い方をしたが、決して、歴代天皇の歴史の中に無かったものが唐突に表れたというつもりはない。
ただ、非常に強く、表面化されてきたのは、現代の、特に戦後においてではないかと、筆者は感じるのである。
そのことが端的に表れているものの一つとして、昭和21年1月1日の、「年頭、国運振興ノ詔書」がある。
これは、新日本建設に関する詔書とも言われる(一般には「人間宣言」という方が、通じやすいであろうか。)ものであるが、この中の有名な一節に、
「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。」
という箇所がある。
筆者が盛んに「絆」ということを述べるのも、実は、この中の「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯」という言葉から手がかりを得たものである。
ここで、皇室というご存在の意義について、改めて考えてみることにする。
まず、現在においては、権力者としての側面を有しておられないことは、明らかであろう。
それでは、権威者としての側面は、如何であろうか。
この側面については、戦後においても、なお暫くは存在していたであろう。
ただ、それは、明治憲法下における、統治権の総覧者としてのイメージが残っていたことによるものと言うべきではないか。
皇室におかれては、すでに昭和天皇にして、昭和21年の詔書を出されていたわけであり、「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」るところの皇室と国民との関係を目指されておられたのではないか。
そして、その試みは成功し、現在において深く定着し、将来においても維持されるものと、筆者は考える。
さて、そのような、国民と「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」る皇室というのは、かつての権威者とは異なるものであろう。
すなわち、雲上人としての権威者ということではないはずである。国民から見て、問答無用の、無条件に価値の認められるべき伝統を背景とした、上からの原理に立脚した存在ではないはずである。
仮に、現在の皇室について権威者として捉えるとしても、その根拠となるのは、国民との心の通い合い、共感、その集積としての絆であろう。
これは上からの原理でも、下からの原理でもないものであり、君民一体というと古くさい印象があるが、結局これこそが象徴ということなのではないか。
さて、このように、現在及び将来における皇室というご存在の意義につき、皇室と国民との絆として考えれば、皇位継承の在り方を考える際の優先順位としては、まずは、できるだけ現在の皇室の中から、女系を容認してでも、継承者を見出すべきということになるであろう。