私は68才、年金を受給しております。
私が年金受給の申請に行ったときのことを思い出しています。
田舎から東京へ出て来て、誰も頼る人のいない中で生きていかなければならなかった20代の時、仕事は転々と変えざるを得ず、すべての勤務先を覚えていなかった。
受給申請に当り、私は厚生年金手帳2冊、国民年金手帳1冊合計3冊の年金手帳があったのです。
申請に行った社会保険事務所の担当官は、非常に高飛車な物言いをする人たちで、机に座っている事務方とは一線を越えた扱いをされた威張った担当官でした。
私は受給資格を得るために、過去勤務した会社へ在籍証明書を発行してもらわなければならず、随分と手間隙かけて、最低の受給資格を得る年数を探し出しました。
その後アノ会社へ勤務していた。この会社にも、という過去の勤務先を思い出しましたが、一応年金がもらえるからよしとするか。
といった諦めが先にたち、社会保険事務所へは行くことをしなかったのですが、良く考えると、年金の支給額に大きく影響するのだと言うことを考えると申請をするべきが筋だったと悔やんでおりました。
私が年金受給の申請に行ったときのことを思い出しています。
田舎から東京へ出て来て、誰も頼る人のいない中で生きていかなければならなかった20代の時、仕事は転々と変えざるを得ず、すべての勤務先を覚えていなかった。
受給申請に当り、私は厚生年金手帳2冊、国民年金手帳1冊合計3冊の年金手帳があったのです。
申請に行った社会保険事務所の担当官は、非常に高飛車な物言いをする人たちで、机に座っている事務方とは一線を越えた扱いをされた威張った担当官でした。
私は受給資格を得るために、過去勤務した会社へ在籍証明書を発行してもらわなければならず、随分と手間隙かけて、最低の受給資格を得る年数を探し出しました。
その後アノ会社へ勤務していた。この会社にも、という過去の勤務先を思い出しましたが、一応年金がもらえるからよしとするか。
といった諦めが先にたち、社会保険事務所へは行くことをしなかったのですが、良く考えると、年金の支給額に大きく影響するのだと言うことを考えると申請をするべきが筋だったと悔やんでおりました。