のぼさん趣味のブログ

Railway and Dish
鉄道と料理の紹介です

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

2022年03月14日 | 痴呆症

退院して1週間目の2月24日早朝に旅立った父なのですが、

亡くなる前日と当日の事を少し書いてみたいと思います。

☆☆☆

私の記憶が前後していて記憶内容の時間関係が曖昧な点がありますので、読みづらいと思います。内容が内容なのでお許しいただければ幸いです。

前日、この日は「私が作った車椅子カバー」を父に試して貰うために父に車椅子に座ってもらいました。

これは「餓鬼」みたいになった父の体が直接金具に振れて痛くならないように私が柔らかいタオルをミシンを使い加工したものです。

それをセットして昼過ぎに父に座ってもらった。

というより、無理やり座らせたというのが正しいかも

既に父は私の肩に手を掛けれる状態ではなかったので、私が無理やり載せた感じです。

この時、母に「ここを手伝って」とイライラして怒った事を覚えています。

怒った理由は「簡単」普段は仕事で私と妻が日中留守にするから、自分でする練習をして欲しいということ。

これは、無用の心配で終わりましたけど、その状況を踏まえて、妻には「母」が音を上げるかも知れないと伝えています。

また、その時は24時間看護施設も話を私が済ませていたので慌ててはいません。

ただ、看護士さんの在宅看護・介護等を改めてお願いする必要は退院直後から感じていました。

そしてそれ以上に「危ない」とも感じていました。もう長くないと・・・・

その時は「兄弟に連絡する」ことはしなかった。

これにも理由があって、こちらから何回も同じ電話をするのは嫌だと感じていたからです。

この時の父は「麻薬の影響」で意識が薄かったと思います。

車椅子の感想は聞けず仕舞いです。

その後、私はコロナの後遺症!?でダウンして床についています。

そして翌朝

母が妻に父の様子がおかしいと伝え、直ぐに私も階下の父のそばに向かいました。

その時は、私が触っても手が暖かい状況(その時既に亡くなっていたと思います)で

みな、母が連絡入れた看護士さんを待っていた。

私は叔父さんと私の兄弟に連絡を入れたのですが、その前に看護士の方が来られたのか

その後に看護士さんが来られたのか記憶が曖昧です。

看護士さんの説明では「呼吸と心臓が停止している状態です」と亡くなられていると思います。

ということで「父の目を閉じて」下さいました。

ただ、先生の判断が要るので「先生が来られるように手配します」とのこと。

看護士の方が帰られたあとに、私が父の顔をお湯で湿らせた「ガーゼ」で拭いたのですが、

父の右目から「涙」が流れました。

昔、ドラマで亡くなる寸前に一粒の涙が流れ落ちるシーンを見たことがありますが、そのシーンと同じ状況でした。

そして、暫くして「父の目が乾いて」いくのが目に見えて解りました。

私が「父の死」を確信した瞬間です。

その後、先生が到着して改めて「父の死」を告げられました。

先生は淡々と死亡診断書を記入されておられました。本当に気を遣うお仕事だなと感じました。私はこういう仕事には向いていないとも感じた。

そして、看護士さんから「葬儀社の手配は?」と言われたのを辛うじて覚えています。

ただ、そのあと直ぐに葬儀社に連絡したのかは覚えていません。


☆☆身近な人の死を受け止めれますか?☆☆

私は2週間以上経っても受け止めていないようです。

私は50代になりましたが、同居家族が亡くなったのは初めてです。

誰もが通る道と存じますが「辛くて悲しい」としか思えないです。

私は父が長くない事を受け止めていたのですが、亡くなることは別ですね。

ただ、コロナ禍のため火葬場の順番まで時間があったので

父を5日程自宅で休ませることが出来たのが救いでした。

しかし、娘と息子がお爺ちゃんの死を受け止める事が出来なかったようです。

ずっと一緒に住んでいたので、受け止めるには時間がかかりそうです。

後日弟に聞いた事ですが

私の父は私の子供が孫の中では「特別かわいい」と弟に話していたようです。

父がそのように私の子供に接してくれていたと思うと嬉しくて溜まりません。

そう思えば、それを受けてきた私の子供たちが辛いのも頷けます。

 

父がまだ暖かったことや一筋の涙は忘れることは無いと思います。

そして、死を迎えた事で目が乾いていくことも忘れないと思う。

私は父に「死んでから、良くしてもらっても嬉しくない」と散々聞いていましたが、

それを叶えることが出来たのでしょうかね???


父が私の腕を「トントン」して「もうええよ!」と伝えてくれたのが、父からの感謝の思いだと信じています。じゃないと辛すぎます。

次回は暖房のつけすぎと葬儀社さんに指摘された事を書いてみたいと思います。


最後までご拝読ありがとうございました。

初回からのリンクが下欄にありますので、興味があれば読んで戴ければ嬉しいです。

【第1回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと

【第2回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、不治の病が発覚!?

【第3回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、私の兄弟との不協和音始まる!!

【第4回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 父を帰宅させることに決まった!?

【第5回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 兄弟はやはり他人だよ

【第6回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと エエ年末を迎えることが出来た?そして現状

【第7回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 今年最初の在宅診療

【第8回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 緊急入院したwww

【第9回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 未だに退院できず

【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

【第11回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 入院長引く

【第12回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 永眠しました

【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

【第15回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 暖房は控えるようにと言われたよ

【第16回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 同居していなかった兄弟との温度差

【第17回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 納棺師の方への感謝

【第18回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 火葬場にて

【第19回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 亡くなった時に必要な手続き

【第20回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 変われなかった兄弟


【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

2022年03月10日 | 痴呆症

父が2月17日に退院しました。

亡くなる1週間前です。

その前に、看護士・薬剤師・言語聴覚士の方より「父の現状」を伺う事が出来ました。

食事が上手くとれていないこと

嚥下が出来難いこと・・・

聞く限り相当悪いように感じた?

エエ~先生より聞いている話と違うやんというのが、私と母の感想

そう、一日単位で病気が進行している事を私たちが忘れていたのです。


☆☆先生からお聞きしていた病状について☆☆


先生からは入院(1月15日)後には毎日、病状の報告の電話がありました。

ご飯を食べないとか、水分が取れないとか、点滴を外してしまうとか、ものすごく詳細にありました。

また、看護士さんを蹴っていた?らしいとの報告も・・・

電話なので私しか聞いていない(緊急連絡先が私だった為)

入院先の病院は「家族でも病室に入れない」、今のご時世を考えると当然だと思います。

冷静に考えればですが

先生が「とても元気」と話していたのは、ステージ3若しくは4という指標から見ればと言うことなんでしょう。

病院からの連絡内容は、母には直ぐに報告しておりました、でも、この頃は二人とも父が元気に退院を信じていたのでした。


☆☆父に会えるまでの待ち時間☆☆

着替えの服をお渡しして、父が車椅子(私が持参)に乗って部屋を出るまでが凄く長かった。

その間亡くなられた方がストレッチャーで私たちの前を通りました。

その時、父が一週間後に亡くなるとは思ってもいません。

あの家族の方、可哀そうだな・・・ぐらいにしか思えなかった。

その前に父の荷物を預かったのですが、半端ないぐらいな量???

私たちが持って行った「水等の補助食品!?」がそのまま返却

大量のオムツ・・・

これも、今思えば父の状態が芳しくなことを物語っていますね。

ですが、それを冷静に考えること受け止める事は出来ない状態でした。

私たちは30分くらい待ったように思います。


☆☆父との再会☆☆


私は「父の名前」を呼ぶつもりでいたのですが、そのような状況・状態ではなかった。

車椅子からずり落ちそうな勢いの父を見て、えぇ~という心の叫びが出ました。

妹には家で待機するように伝えたのですが、同行してもらうべきだったです。

その時の状況はそれ以外覚えていません。

ナースステーションにお礼を言ったように思いますが、記憶が怪しいです。

看護士さんの付き添いありでエレベーターで下まで降りたのですが、

そこからが大変でした。

車が病院の駐車場に止めれなかったので、まず、車を取りに行き

父を車に乗せようとしたのですが、父に体力がなく

乗せるのは大変苦労しました。

父が軽くなったのも幸いで何とかなりましたが、母だけでは無理だったと思います。

ただ、父は私の「あぁ~して・こぉ~して」の意味が何となく理解していたようで

少し安心した記憶があります。


☆☆自宅に到着☆☆


車から降りるのも大変・・・・ここは割愛しますね

父には、自宅ベットで横になってもらう。

これが午前中の出来事

午後には「ケアマネージャー」「訪問看護の看護士」の方々が自宅に来てくれました。

これは、私が事前に「退院日」と今後の事を相談していた事が実っただけなのですが、

母や私の兄弟はその事を知らない・・・・

そして、ケアマネジャーの方とは今後の介護用品(車椅子)の手配・看護サービス手配について打合せを行いました。

そして、看護士の方の意見もお聞きするようにと助言を戴きました。

その後、看護士の方(入院前の状況もご存じの方)も来られ、

車椅子への誘導、そしてベッドへの誘導方法、父を立たせる方法を教えて戴き

また、オムツ等の交換方法も教えて戴きました。

そう、この時点で自力で「トイレ」に行く事が出来なくなっていたのです。

私は「もう駄目だから、自宅で看取れるよう」に配慮してくれたのではないかと看護士に伝えると、

静かに私もそうだと思いますと申されました。

私は入院先の先生に家で看取りたいと伝えた記憶がないのですが、おそらく、ネットワークの力で伝わっていたのかなと思います。


☆☆母と妹伝えたこと☆☆


私の経験上「内臓疾患の方は急に息を引き取る(一週間前まで意識があったのに・・・)」可能性があること

父もこの事を実姉で経験していること

父には私達の会話が聞こえていること

を伝えました。


☆☆家族の反応☆☆


私達家族がコロナに罹患した(退院時は全員完治)ことも影響があると思いますけどね、

私達はそう思わないとやってられん・・・こんな心境です。

実のところ、生前に御見舞いに来た兄弟は居ません。

これが現実なんです(笑)

妹には「噛み砕いて説明」していたのに本当に情けなく思います。

妹が後悔したくないと話していたことは果たし誠なのだろうか?

弟には小学1年生の子供が居るので万が一でも「罹患」させたくないと伝えたことを後悔しています。

判断をしたのは弟ですが、判断を狂わす材料を提示したのは私だし

退院後に母と妹に伝えた内容(前述)を説明していなかった。

これは本当に悔みます。

叔父さんには退院した旨と状況を伝えてはいたのですが、芳しくないことは伝えなかった。

兄には連絡はしたけど、相変わらずの反応だったので・・・・割愛


☆☆父が生前に話していたこと☆☆


当たり前と思いますが「生きてる間に幸せにして欲しい」散々申していました。

まぁ~優しくしてねとも取れるし、死んでからやってもらっても嬉しくないとも取れます。

このことは私も同意見です。死んでから色々面倒見たとしても

目を瞑らないと会話できない!

父に伝わるかも知れないが、父からの返事・感想は聞けない・・・・

これを私の兄弟は理解できていないと思う。

私は散々喧嘩したけど、その分仲が良かったとも思っている。

そう思うのはですね・・・↓


☆☆父があまり言わなかった・言えなったこと☆☆


父は父の両親とは、父が三男(実質は次男)という関係で実家とは距離があったと思います。

ですが、頻度は不明ですが、土曜日(当時は会社が午前中勤務)の午後から実家に泊まりに行ったりしてました。私も同行して泊まった記憶があります。

そして、父母が入院になった時は週末は病院にお見舞いに行き

父母が好きな食べ物を持って行っていたようです。

また、勤め先から栄転(所長として、他県に赴任)を父母の病状を勘案して辞退します。

これが、この勤め先を退職するきっかけになっているのですが、私の兄弟は知らないと思う。

そして、実姉が亡くなるまでの期間

相当、姉には迷惑をかけていたのか「お見舞い」を頻繁に行っていました。

当然、入院前はそれなりの付き合いもしていました。

私も聞いていたのですが、父の長兄(医学薬学に詳しい)からは使用している薬を見る限り

もう長くないと話していました。

父がこのことをどう解釈してかは聞いていないし知らないですが、

私も亡くなる一週間前に叔母さんい会っているので、私はどうみても死に行く人には見えなかった。

私が叔父に「背中が痛いの解るから、正常じゃないの?」と言ったこと

(実は、肝臓が腫れているための「痛み」だったので、末期症状だったんですよね)

これも、そういう考えもあるのねと軽く受け止めてくれた叔父さん

これらの会話を父は聞いていたと思う。

ただ、父も一週間後に実姉が亡くなるとは想像も出来なったのではないかと思う。


☆☆痴呆症とは???☆☆


脳の障害とだけ書きます。

父は、自分が死ぬいく運命であること・・・そしてそれが近づいていることを知っていたと思う。

いや、理解していたと考えます。

それを言葉で表現できなかったなのだと思う。

そうじゃないと辻褄があわない事があります。

私は、父とアイコンタクトが取れていたんですよね

私が聞いたことを目で答えてくれていました。

当然、拒否することもありましたけど

そして、亡くなる数日前に

ありがとうの意味で「私の腕をトントン」と叩いてくれたんです。

そして「もう良いよ!」って言ってくれた。

これが、私の記憶に残る「最後の言葉」です。

この時の状況を後ろで「母と妻」が見ていた。

母がどう感じたのかは解らないけど、妻が良かったねと言ってくれた。

私は、父が自分の思いを表現出来難い状況になっただけだと思います。

アルツハイマー型認知症の一部は完全に記憶が無くなる訳ではないと・・・・

 

私が痴呆症の父に暴言を吐いていた状況を知ってる方は何を偉そうに書いていると思うでしょう!

これは「否定しません」

ですが、考え方を変える事が出来たことも知って欲しいです。

そして、変わるきっかけを作っていただいた、老人ホームの関係者の方々、看護スタッフの方々に感謝しています。

常々、絶対に後悔しないことは有り得ないと話しておりますが、

私はやることやって後悔する方が、得るものが沢山あると思います。

 

今回は「亡くなるまでの一週間」

を書いてみようと思いましたが、当然、そのつながりをもって書き進めたのですが

それは今書けないことに気付きました。

内容が重いのではなく、その事を私がまだ受け止めれていないと感じたからです。

私は父が「旅経つまでの身支度」を納棺師の方々にお願いして手伝わせて頂きました。

手伝ったことに一切後悔はないですし、良い体験が出来たと思っています。

これも体験談として備忘録的にご紹介できたらと考えています。

 

父が亡くなって2週間経ちますが、私はこれからどうなるでしょうかね?

今回はこのあたりでお開きにしたいと思います。

最後までご拝読ありがとうございます。

1回からのリンクが下欄にありますので、興味があれば読んで戴ければ嬉しいです。

【第1回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと

【第2回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、不治の病が発覚!?

【第3回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、私の兄弟との不協和音始まる!!

【第4回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 父を帰宅させることに決まった!?

【第5回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 兄弟はやはり他人だよ

【第6回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと エエ年末を迎えることが出来た?そして現状

【第7回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 今年最初の在宅診療

【第8回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 緊急入院したwww

【第9回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 未だに退院できず

【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

【第11回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 入院長引く

【第12回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 永眠しました

【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

【第15回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 暖房は控えるようにと言われたよ

【第16回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 同居していなかった兄弟との温度差

【第17回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 納棺師の方への感謝

【第18回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 火葬場にて

【第19回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 亡くなった時に必要な手続き

【第20回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 変われなかった兄弟


【第12回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 永眠しました

2022年03月08日 | 痴呆症

父が2022年02月24日に永眠しました。

2月17日に退院でき最後の一週間は自宅で過ごすことが出来ました。

生前父が「自宅で亡くなりたい」と話していた希望は叶えることが出来たみたい。

ただ、父に正解かどうか聞くことが叶わないので、私は暫く悩むことになると思います。

一時期、母との同居解消なんて暴言を書いてしましましたが、取り消します。

本当に介護・看護、お疲れ様ですm(__)m

悲しいけど良いこともあるかと思うので、落ち込まないで居ましょう(^^♪

私も微力ながら、介護・看護・そして葬祭をお手伝いして、ふと感じた事があります。

色々あり過ぎて整理できないですが、私の仕事「建築設計・工事」に生かせることも見つけました。

やはり、いろいろ行うことが無駄ではないというのが正しく思えるのが少しうれしいです。

備忘録ではないですが、落ち着いたらご紹介出来ればと思っております。

一先ずご報告まで

【第1回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと

【第2回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、不治の病が発覚!?

【第3回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、私の兄弟との不協和音始まる!!

【第4回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 父を帰宅させることに決まった!?

【第5回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 兄弟はやはり他人だよ

【第6回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと エエ年末を迎えることが出来た?そして現状

【第7回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 今年最初の在宅診療

【第8回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 緊急入院したwww

【第9回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 未だに退院できず

【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

【第11回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 入院長引く

【第12回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 永眠しました

【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

【第15回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 暖房は控えるようにと言われたよ

【第16回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 同居していなかった兄弟との温度差

【第17回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 納棺師の方への感謝

【第18回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 火葬場にて

【第19回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 亡くなった時に必要な手続き

【第20回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 変われなかった兄弟


【第11回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 入院長引く

2022年02月05日 | 痴呆症

脱水症状を脱したと思ったら、熱が出たようです。

原因:誤嚥性肺炎

少なからず食事は取れていて、本人も元気とのことです。
しかし、病院からの電話(毎日報告あります)で疲弊しています。
今回の「発熱」に関しては兄弟や叔父には連絡しません。
連絡が面倒なのが原因
それ以上に「待つ辛さ」が私の体を蝕んでいます。
妻には感謝しかないです。
このご時世なんで「在宅勤務」を希望したいのですが
建設業界には「在宅は難しい」ようです。
毎日の通勤で疲弊して、仕事で疲弊して、家でも疲弊して

でも、父も病院で頑張っているのだから

じゃないと私も頑張れない

【第1回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと

【第2回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、不治の病が発覚!?

【第3回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、私の兄弟との不協和音始まる!!

【第4回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 父を帰宅させることに決まった!?

【第5回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 兄弟はやはり他人だよ

【第6回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと エエ年末を迎えることが出来た?そして現状

【第7回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 今年最初の在宅診療

【第8回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 緊急入院したwww

【第9回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 未だに退院できず

【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

【第11回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 入院長引く

【第12回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 永眠しました

【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

【第15回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 暖房は控えるようにと言われたよ

【第16回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 同居していなかった兄弟との温度差

【第17回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 納棺師の方への感謝

【第18回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 火葬場にて

【第19回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 亡くなった時に必要な手続き

【第20回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 変われなかった兄弟


【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

2022年02月02日 | 痴呆症

「親族への連絡」

これが一番面倒くさいと感じています。

同じことを何回も説明せなアカンし、向こうの都合に合わせて連絡せなアカン

それに比べて「諸官庁手続き」は、印鑑と身分証明書さえあれば何とかなるし

窓口の方に新設に教えていただける場合が殆どです。

もし、報告連絡を受ける側の方が見られているのであれば

連絡しなければならないのは「貴方だけではない」

と理解して頂けると幸いです。

また、連絡内容が「単純で感情がない」と感じる方も多いと思います。

しかし、同じ内容を何回も説明するのに「感情」を入れてしまうと

どこまで説明したのか、話している私も解らなくなります。

だから、感情がない内容になっていると思って頂きたいです。

そんな風に私が思っていても、情報が間違って伝わるときがあります。

特に、私以外の兄弟同士で「感情ある話」をしていた場合です。

私が話した(説明した)内容に尾ひれがついたりして、

笑うに笑えないです。

伝言ゲームが難しいことは承知してますが、勝手に想像するのは控えて欲しいです。

そして、遠慮して連絡してこないとか

受け側が「自己満足」で本当に満足するのはやめて欲しい

こっちにも都合があるので、全てに対応できるわけではありませんが、

いちいち、そちらの自己満足に対応するのも、面倒です。

【第1回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと

【第2回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、不治の病が発覚!?

【第3回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと、私の兄弟との不協和音始まる!!

【第4回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 父を帰宅させることに決まった!?

【第5回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 兄弟はやはり他人だよ

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【第8回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 緊急入院したwww

【第9回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 未だに退院できず

【第10回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 面倒なこととは

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【第13回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 退院した日のこと

【第14回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 一筋の涙と乾いてしまった目

【第15回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 暖房は控えるようにと言われたよ

【第16回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 同居していなかった兄弟との温度差

【第17回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 納棺師の方への感謝

【第18回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 火葬場にて

【第19回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 亡くなった時に必要な手続き

【第20回】アルツハイマー型認知症と診断されて一年と半年が経過した実父から学んだこと 変われなかった兄弟