今回は2回目の一時帰宅の事を書きます。
一回目の一時帰宅の、一週間後に再度父を迎えに行きました。
その前に伝えておかないことがあります。
前回施設でお別れ時に「また5回寝たら迎えに来るよ!」と伝えていました。
父は意味が解らないと微妙な表情を見せた、仕方ないけどそんなもんなんだろうと思う
(でも私は、解っていても忘れるから、解ったと言えないと感じている)
今回は兄弟には来るなと母から言ってもらいましたが、また、妹が来た!?
義弟から「後悔の無いよう・・・・」と言われたそうですが、私からすれば「今更感ありあり」なんだよね(笑)
ただ、改心したのであれば「不問」にすべきと日ごろから私は考えているので「改心」が見られるのかが焦点(笑点ではない!)
しかし、来るなと説明している尻から来るもんで「改心」ではないと感じてます。今のところ・・・
それはさておき、今回は施設の状況に合わせるために「テーブルセット」を購入したものが届いております。
我が家は座卓で食べるスタイルだったのですが、急遽変更してます。
私の考えでは「何事も弱者(良い言い方が見つかりませんでしたm(__)m)」を基準にして行動をしてます。
それが「父」であり、赤ちゃんのように「成長する」ことは無い、これも無礼な言い方ですねm(__)m
1回目を見た限り「座卓」は難しいと感じた、理由は足腰が弱っているのと慣れないように感じたからです。
ひょっとしたら「床に座る」ということを忘れたのかも知れないです。
それ以上に介護する側から見ると「立ちあげようとする介護」がとても難しく力が必要と感じたからでもあります。
私は平日は仕事で外出するもんで、介護する母を基準に考えると自ずと出た答えです。
父は前回帰宅した事を忘れていますが、家に直ぐに馴染んだようでした。
理解してるつもりなんだけど、少しでも環境が変わるのは「痴呆症」の患者には難しいようです。
私は、新しく覚える云々ではなく、如何に今出来ることを継続的に続けれるのかが重要と思います。
そういう意味では頻繁に模様替えするのはダメと考えてます。
今回は、今後も考えて食事は私と妻で作りました、
しかし、沢山は食べれず・・・
これは食事の環境が変わったのも影響していると思われます。
また、母と父が横並びで食べていたのを「対面」で食べるように変えました。
現時点では、食事の介助は要らないので、食べる動作を確認できる対面が良いと判断した結果です。
ですが、ここで失敗した。
従前のように目の前に配膳しても、どれが自分の物なのか解らないということが判明
これは、後日トレイを買って環境を変えたのですが、
私は入院経験があるのに(精神科の入院だったので、皆さん同じテーブルで食事)個人用トレイがあるのを完全に忘れてました(笑)
それと「家内用の靴」を買った方が良いとも感じました(これも翌週に購入)
足元がおぼつかないので、足の指をケガする恐れがあります。
まぁ~私の記憶もかなり欠如してますが、2回目は父に関して大きなトラブルは無し
ただ、腹痛を訴える父に対しての母の対応が遅いように感じたし、本当に家で介護出来るんかいなとも感じた。
私の経験から言えば「何事も自分で動かんと何とかならない」ということが母はかなり欠如してます。
解らなかったら誰かに聞けばいいと私は思うのですが、変に頭が固いのは笑えないかな(笑)
また、心の隅で他の兄弟を頼りにしている風にも感じた(後日このことで大喧嘩します)
そして感謝しかないのですが、この一時帰宅でもケアマネージャーの方がご来訪していただきアドバイスを頂きました。
これらは私が事前にお願いしていたからなのですが、母はそれを解ろうとしない。
これが「何とかなる」と思っていると感じる要因でもあります。
何事もパソコンで直ぐに調べれる時代に付いていけないのは理解できますが、あまりも受動態過ぎるのには呆れたのは妻しかしらないけど
私は2回一時帰宅してもらい「在宅介護に問題はない」と私は感じた
というより、私は何であれら家で看取るつもりだった。
母は何を基準に考えたか解らんが、問題なしと判断した?
色々ありましたが、翌週に父を家に迎えることになります。
ここで、1回目の帰宅で起きたトラブルを思い出したので書いておきます。
あえて邪魔しに来たと書きますが、母が兄弟を玄関で見送りつつ世間話をしている間に
父が2階に上がって、私の息子に暴言!?を吐いたそうです。
詳細は私の留守中の出来事でしたので、解らない。
ただ、2階に上がることは予見できたハズなのに「母」が目を離したのには「あぁ~あ」と呆れるしかない。
「父」そして「同居している私たち家族」よりも私の兄弟の方が大切だと思っているバカな母です。
こういうことを踏まえてなんですが、
私は介護する方の立場になり、それに加え父の余命を告げられて思った事があります。
それは、邪魔はしないで欲しいということ
上辺だけの話は要りません、変に頼れると思い勘違いが生まれます、今の母が勘違いしているように
そして、実家だろうが私達家族の事も考慮して、来るなら「連絡ぐらい」は入れて欲しい。
私が施設入所前に連絡しても「用事がある」とか言って来んかった事を忘れてる(怒)
当然、私達家族(父母も含めて)にも用事があるんだよ!
「礼儀を重んじる」のは当たり前ではないかな?
私は「甥や姪」に肝心な時にあんたの親は来んかったと将来伝えます。
非情な事かも知れませんが、親戚としての礼儀を教えるのは「親」では無いということです。
そんな私???でも気がかりなことがあります。
実はこれら私の言動を、私の子供達がどう思ってるのか聞いていません。
ですが、これとは別に例えをあげて日頃から教えていることがあります。
それは、結論を出すのは「自分」だと言うことです。
何事も自分決めているのに、人の意見に流され言い訳する人が実に多い(人に責任を押し付けるの情けないと思ってる)
生きていくうえで大切なことは、間違いをどう正すかだはないでしょうかねと偉そうに書いてみた(笑)
そしてチャレンジすることです。
知らないから間違えるのであって、間違いを正す策が色々なところに落ちていて経験できる術を知らない
私は、知らない人に道を尋ねられて一緒にそこまで行ったり、車いすを押したりとか、救急隊の手伝い(たぶん邪魔?)とか
なんか色々な事で人と接しています(これが色々な事に役に立つんだよね)
今は例の病気で外国の方とは縁がないですが、知ってる知識を駆使すれば何とか案内できるんです(実際してた)
この経験で外国の方の荷物は、心許してくれるまで持たない方が良いと学んだ(持ち逃げすると勘違いされたのは人として情けないけど)
これらの経験で色々失敗してるから私は色々知ってる訳であって、本やネットだけで学んでいるわけではない
こういうことを子供たちに伝えたいと思っております。
読み返したら、本当に無茶苦茶書いてますね(汗)
次は父が帰ってきた時の事を書ければと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
最後までご拝聴ありがとうございました。