ギタ-の生徒の中で「実は芝居の研究生もやってます」
という生徒がいた。、
彼はニューヨークの芝居の学校の『アクーズ・メッソッド』という技法を
日本で紹介していて、劇団も主宰されてる方のもとへ通っている
とのことだった。
彼はまだ1年位しか通ってないのだが主宰者から
来年2月(?)に行われる銀座の舞台の主役級の台本を渡されたそうだ。
『アクーズ・メッソッド』というのは
芝居を芝居らしくなく芝居する、といった概念だそうだ。
芝居をしよう・・・とした瞬間に伝わらない芝居になる、
ということが基本概念にあるようだ。
(違ったらスミマセン)
芝居の役はもちろんあるのだが練習でしっかり役作りをして
本番ではなるべく芝居をしようとしない素の自分で芝居をする、
芝居のパワーは普段の会話と同じように、相手からもらう、
(会話のキャッチボール)という様な内容だった。
演奏も全く同じことが言えるのではないか、
伝える演奏をしようとした瞬間に
伝わらなくなる演奏になってしまう、ということだ。
分かっていたつもりが改めて違う場面に置き換えると
反省するべき点が浮き彫りになってくる。
という生徒がいた。、
彼はニューヨークの芝居の学校の『アクーズ・メッソッド』という技法を
日本で紹介していて、劇団も主宰されてる方のもとへ通っている
とのことだった。
彼はまだ1年位しか通ってないのだが主宰者から
来年2月(?)に行われる銀座の舞台の主役級の台本を渡されたそうだ。
『アクーズ・メッソッド』というのは
芝居を芝居らしくなく芝居する、といった概念だそうだ。
芝居をしよう・・・とした瞬間に伝わらない芝居になる、
ということが基本概念にあるようだ。
(違ったらスミマセン)
芝居の役はもちろんあるのだが練習でしっかり役作りをして
本番ではなるべく芝居をしようとしない素の自分で芝居をする、
芝居のパワーは普段の会話と同じように、相手からもらう、
(会話のキャッチボール)という様な内容だった。
演奏も全く同じことが言えるのではないか、
伝える演奏をしようとした瞬間に
伝わらなくなる演奏になってしまう、ということだ。
分かっていたつもりが改めて違う場面に置き換えると
反省するべき点が浮き彫りになってくる。
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