早いもので四万十川から2週間が過ぎました。
みなさんに多くの応援をいただきながら、惜しくも完走は出来ませんでしたが
ホントに良い経験が出来き、そしてなにより楽しかったです。
マークさんにいただいた資料はホント参考になりました。
ありがとうございました。
日本酒で準備不足?
やってしまいました・・・
出発の前日には早く帰宅して
荷物をまとめてしっかりと万全にしてと思っていましたが
めちゃくちゃ酒の強い友人と彼の家で飲んでしまい。
明日の四万十川のことを考え少し気持ちが高揚していたのでしょうか
いつものようにビールからそして日本酒のヒヤへと
そして気づいた時は 泥酔世界に入ってしまいました。
帰宅したときには天地が気持ちよく回っていました。
当然 明日の準備など出来るわけなく速攻でオヤスミです。
翌朝4時起床時には完全に酔ってました。
まわる頭の中で、そこら辺にあるものをバックに詰め込み
カミサンに駅まで送ってもらい羽田へと出発です。
集合時間前30分に到着したらすでに四万十川マラソンに参加と思われる
ランナーの方が数名いました。
横にいた方に話をしましたがなんと酒臭い自分がいました。
確かにまだ残っている・・・。
中村入り。
四万十川のスタート中村へは高知竜馬空港まで飛行機でそこからはバスで移動です。
う~やっぱり遠い
移動のバスの中では昨年の大会の模様が放映され気分は一気に高まり
気持ちはワクワク感と完走出来るか不安な気持ち半々での戦いです。
受付会場で地元のテレビ局のカメラがランナーのバスから降りるシーンから撮影していました。
受付を済ませ会場を見回すと会場のはじにきれいな石がたくさん並んでいるテーブルがあり、いったいなんだろうと近づいてみると地元の小中学生が
四万十川の石に絵の具で思い思いのデザインした石ではありませんか
そして石の裏側には応援メッセージが書いてありました。
ここまでの歓迎ムード満点はすごい感動でした。
福田屋旅館
夏に下見に来たときと同じ旅館です。
旅館の方も覚えていてくれていて、なんか「ただいま」って感じです。
3名の相室で、2人とも良い方でマラソン話で盛りあがりました。
同室の方と前夜祭に参加し、これもやっぱり熱烈歓迎で料理がすごい。
カツオたたきや郷土料理がずらりと、中でもうなぎのチャーハンがいけてました。
宿での夕飯もあるのですが、しっかり食べてしまいました。
もちろん夕飯時にはビールをおいしくいただきました。
ジョッキ1パイで我慢してこれで寝れるかな思いながら9時には布団に入りましたが、右を向いても左を向いても眠れず布団の中でじっとしていましたが、
いつ眠りについたかわからず3時には起床です。
スタート会場
バスで移動で4時半には会場に到着してすでに大勢のランナーが
会場内にはいっぱいでした。
ボランテアの方も大勢でこんなに早くからホント立派ですよね。
多くの方に支えられ大会が運営されていると実感しました。
なかには中学生らしき幼顔が残る子供たちもいて
思わず「眠くないの?えらいね」と声をかけてしましました。
会場入り口では太鼓の演奏で気分は一段とたかまりいよいよスタートです。
ペース配分
100キロの旅は初めてで、体力温存を頭におきながらスタートです。
大半の皆さんもスロースタートでフルの時とはやっぱりちがいますね。
5分くらいするとあたりは真っ暗になり空を見上げれば満天の星が、
東京では見れないきれいな星でした。
キロで6分30秒くらいで17キロの上り坂までいきました。
当初の計画通り17キロから22キロまでの上り坂は早歩きでキロ10分ペースです。
同じことを考えて歩いている人も数人いてなんか安心しました。
頂上までの5キロの間に403人に抜かれましたが、
ここは我慢と言聞かせ早歩きに徹しました。
それでも、下見にいった時に車で走った時にはすごい上り坂に感じましたが、
実際はそれほどたいしたこと無かったような気がします。
今にして思えば骨盤を使い走れば良かったと思います。
22キロからの下りも思っていたほどすごくなくて
ここで飛ばしてしまいたくなりましたが、我慢のランです。
下り坂も終わり、四万十川に33キロで出会います。
オーバーペースにならないように気をつけながら、
抑えて抑えてと自分に言聞かせ景色を楽しみながら走りました。
前向きに
33キロを通過したとき隣にいた同世代の男性と話しながら走っていましたが、
その方がようやく3分の1ですねと言われ、
そっかあと、いまの距離を2回走れば終わっちゃうんだと思ったときに
なんかもったいないと思う感覚になりました。
上岡龍太郎の「マラソンは愛と勇気と練習量」の本の中でのウルトラの感想で
「今日は一日走っていれる」とのコメントが頭に浮かびこれかと思いました。
景色は最高だし、ゆっくり走っているからつらくないし(多分乳酸が出ない位の速度)
そんな気分でゆっくりゆっくり快適に快調に先へ進みました。
やっぱり疲れたかな
40キロまでは計画どおり5時間できました。
42.195キロの標識を過ぎて45から50キロまではオーバぺースだったようで
50キロでもう半分しかないと思いながらもそろそろ足にはダメージがありました。
エイドにいすがあったので2分だけ座ろうと小休憩です。
休んでダメになる可能性もありましたが、
なんとびっくりするほどのかなりの回復で、今までのランが無かったかのような、
ここからフルのレース配分でも十分いける気分になりました。
実際インターバルばりに飛ばして、足の違う筋肉を使い疲れを癒すことができました。
いけるぞ完走
40から60キロまでに3時間かかりましたが、
気分も身体もそれほどきつく無く楽に走れました。
ここら辺では周りのランナーが抜きつ抜かれつし
顔見知りなり会話に花が咲きます。
なんかマラソン大会ではなく異次元の競技(あえていえば遠足)のようです。
10歳くらい年上の女性ランナーが「私すごく眠い5分だけ寝ようかしら」
でもここはエイドでないしここでは無理でしょう。
アスリートソルト舐めると眠気がとれますよと差し上げました。
これがしょっぱいのでシャッキとします。
レストステーション
62キロのレストステーションに着いたのは関門29分前でした。
歩いたり走ったりして疲れも回復していました。
ここで少し休んでも次の関門は大丈夫だろうと休憩です。
周りを見ると毛布をかけて爆睡してる人もいて
ついつられ入念なストレッチをし荷物の整理をして
時間を見たら19分経過していました。
さすがにまずいと思いながら出発です。
80キロ名物私設エイド
四万十川マラソンのエイドは充実していますが、
80キロにある私設エイドでは、
到着するなり、氷水で冷やしたタオルを出してくれて
なんとビールいかがですか?と勧めてくれます。
つまみもあったようで一瞬ここでやめて飲んでもいいかなと思いましたが、
いやいや、誘惑にまけずウーロン茶を頂き後ろ髪を引かれながら立ち去りました。
87キロ関門
70キロ過ぎから関門時間と体調維持の戦いです。
エイドで冷たいものをとると身体が冷えて震えがきました。
日陰に入り風にあたっても震えがきました。
これを解消するために身体を温めようと飛ばします。
帰宅してガーミンでみたらキロ5分ペースで走っていました。
ガーミンはフル充電で10時間しかもたないと
いわれてましたがこの日は12時間近く使えてました。
気持ちは何が何でも完走するぞと負けていませんでしたし、
70キロ過ぎでこれだけは走れれば、まだまだいける気がして、
あと皇居6週しか無いじゃんって思っていました。
走りと歩きを繰り返しながら87キロ関門5分前通過です。
やっぱりきたか
87キロ過ぎてのエイドでバンテリンを足にぬりまくり、
少し歩いて94キロの関門をめざします。
7キロを58分で走れば関門通過です。
まだ気持ちに余裕がありました。
周りの方に完走しましょうねといいながら頑張ります。
ところが、90キロを過ぎたところから
なんと足が上がらなくなってしまいました。
イーブンペースでなく飛ばしたのがいけなかったのでしょうか、
どうしてここでと思いながらも、とうとうきたかと覚悟もありました。
足に痛みはありましたが、激痛ではありませんし、不思議って感じでした。
痛みならこらえてでも走る気力はありましたが気持ちと足とバラバラです。
そんな状況で何とか歩いて回復を待ちましたが、時間は過ぎてしまいあせるばかりです。
収容車
それでも90キロまで走った貯金があるから
歩いてでも94キロ関門に間に合うかもとの期待もありました。
走り出すが走れない、少し歩いて走り出すが走れないの繰り返しをしているうちに
収容者を乗せたバスが後ろに来ました。
嫌だあれには乗りたくないと必死に歩きと走りを繰りかえしますが
バスを見てから15分くらいでついに94.2キロの関門時間ですとコールされました。
93キロの少し手前だったでしょう。
13時間17分で初ウルトラマラソンは終わってしまいました。
感謝です
残念ながら完走は逃しましたが、今回は大変いい経験になりました。
四万十の神様が来年も呼んでくれてると思います。
そしてなにより楽しかったです。
応援の方々の声には本当に力になりました。
後半は暗くなり風もあり温度も下がり、
きっと寒かったと思いましが最後まで大きな応援をいただきました。
いつもはあきて音楽を聴きながら走るのですが
応援の方に申し訳なく今回は出来ませんでした。
評判のいい大会とは聞いてましたが、その通りでした。
来年も再来年も是非参加したいと思っています。
長文になってすみません
最後まで読んでくれてありがとうございます。
みなさんに多くの応援をいただきながら、惜しくも完走は出来ませんでしたが
ホントに良い経験が出来き、そしてなにより楽しかったです。
マークさんにいただいた資料はホント参考になりました。
ありがとうございました。
日本酒で準備不足?
やってしまいました・・・
出発の前日には早く帰宅して
荷物をまとめてしっかりと万全にしてと思っていましたが
めちゃくちゃ酒の強い友人と彼の家で飲んでしまい。
明日の四万十川のことを考え少し気持ちが高揚していたのでしょうか
いつものようにビールからそして日本酒のヒヤへと
そして気づいた時は 泥酔世界に入ってしまいました。
帰宅したときには天地が気持ちよく回っていました。
当然 明日の準備など出来るわけなく速攻でオヤスミです。
翌朝4時起床時には完全に酔ってました。
まわる頭の中で、そこら辺にあるものをバックに詰め込み
カミサンに駅まで送ってもらい羽田へと出発です。
集合時間前30分に到着したらすでに四万十川マラソンに参加と思われる
ランナーの方が数名いました。
横にいた方に話をしましたがなんと酒臭い自分がいました。
確かにまだ残っている・・・。
中村入り。
四万十川のスタート中村へは高知竜馬空港まで飛行機でそこからはバスで移動です。
う~やっぱり遠い
移動のバスの中では昨年の大会の模様が放映され気分は一気に高まり
気持ちはワクワク感と完走出来るか不安な気持ち半々での戦いです。
受付会場で地元のテレビ局のカメラがランナーのバスから降りるシーンから撮影していました。
受付を済ませ会場を見回すと会場のはじにきれいな石がたくさん並んでいるテーブルがあり、いったいなんだろうと近づいてみると地元の小中学生が
四万十川の石に絵の具で思い思いのデザインした石ではありませんか
そして石の裏側には応援メッセージが書いてありました。
ここまでの歓迎ムード満点はすごい感動でした。
福田屋旅館
夏に下見に来たときと同じ旅館です。
旅館の方も覚えていてくれていて、なんか「ただいま」って感じです。
3名の相室で、2人とも良い方でマラソン話で盛りあがりました。
同室の方と前夜祭に参加し、これもやっぱり熱烈歓迎で料理がすごい。
カツオたたきや郷土料理がずらりと、中でもうなぎのチャーハンがいけてました。
宿での夕飯もあるのですが、しっかり食べてしまいました。
もちろん夕飯時にはビールをおいしくいただきました。
ジョッキ1パイで我慢してこれで寝れるかな思いながら9時には布団に入りましたが、右を向いても左を向いても眠れず布団の中でじっとしていましたが、
いつ眠りについたかわからず3時には起床です。
スタート会場
バスで移動で4時半には会場に到着してすでに大勢のランナーが
会場内にはいっぱいでした。
ボランテアの方も大勢でこんなに早くからホント立派ですよね。
多くの方に支えられ大会が運営されていると実感しました。
なかには中学生らしき幼顔が残る子供たちもいて
思わず「眠くないの?えらいね」と声をかけてしましました。
会場入り口では太鼓の演奏で気分は一段とたかまりいよいよスタートです。
ペース配分
100キロの旅は初めてで、体力温存を頭におきながらスタートです。
大半の皆さんもスロースタートでフルの時とはやっぱりちがいますね。
5分くらいするとあたりは真っ暗になり空を見上げれば満天の星が、
東京では見れないきれいな星でした。
キロで6分30秒くらいで17キロの上り坂までいきました。
当初の計画通り17キロから22キロまでの上り坂は早歩きでキロ10分ペースです。
同じことを考えて歩いている人も数人いてなんか安心しました。
頂上までの5キロの間に403人に抜かれましたが、
ここは我慢と言聞かせ早歩きに徹しました。
それでも、下見にいった時に車で走った時にはすごい上り坂に感じましたが、
実際はそれほどたいしたこと無かったような気がします。
今にして思えば骨盤を使い走れば良かったと思います。
22キロからの下りも思っていたほどすごくなくて
ここで飛ばしてしまいたくなりましたが、我慢のランです。
下り坂も終わり、四万十川に33キロで出会います。
オーバーペースにならないように気をつけながら、
抑えて抑えてと自分に言聞かせ景色を楽しみながら走りました。
前向きに
33キロを通過したとき隣にいた同世代の男性と話しながら走っていましたが、
その方がようやく3分の1ですねと言われ、
そっかあと、いまの距離を2回走れば終わっちゃうんだと思ったときに
なんかもったいないと思う感覚になりました。
上岡龍太郎の「マラソンは愛と勇気と練習量」の本の中でのウルトラの感想で
「今日は一日走っていれる」とのコメントが頭に浮かびこれかと思いました。
景色は最高だし、ゆっくり走っているからつらくないし(多分乳酸が出ない位の速度)
そんな気分でゆっくりゆっくり快適に快調に先へ進みました。
やっぱり疲れたかな
40キロまでは計画どおり5時間できました。
42.195キロの標識を過ぎて45から50キロまではオーバぺースだったようで
50キロでもう半分しかないと思いながらもそろそろ足にはダメージがありました。
エイドにいすがあったので2分だけ座ろうと小休憩です。
休んでダメになる可能性もありましたが、
なんとびっくりするほどのかなりの回復で、今までのランが無かったかのような、
ここからフルのレース配分でも十分いける気分になりました。
実際インターバルばりに飛ばして、足の違う筋肉を使い疲れを癒すことができました。
いけるぞ完走
40から60キロまでに3時間かかりましたが、
気分も身体もそれほどきつく無く楽に走れました。
ここら辺では周りのランナーが抜きつ抜かれつし
顔見知りなり会話に花が咲きます。
なんかマラソン大会ではなく異次元の競技(あえていえば遠足)のようです。
10歳くらい年上の女性ランナーが「私すごく眠い5分だけ寝ようかしら」
でもここはエイドでないしここでは無理でしょう。
アスリートソルト舐めると眠気がとれますよと差し上げました。
これがしょっぱいのでシャッキとします。
レストステーション
62キロのレストステーションに着いたのは関門29分前でした。
歩いたり走ったりして疲れも回復していました。
ここで少し休んでも次の関門は大丈夫だろうと休憩です。
周りを見ると毛布をかけて爆睡してる人もいて
ついつられ入念なストレッチをし荷物の整理をして
時間を見たら19分経過していました。
さすがにまずいと思いながら出発です。
80キロ名物私設エイド
四万十川マラソンのエイドは充実していますが、
80キロにある私設エイドでは、
到着するなり、氷水で冷やしたタオルを出してくれて
なんとビールいかがですか?と勧めてくれます。
つまみもあったようで一瞬ここでやめて飲んでもいいかなと思いましたが、
いやいや、誘惑にまけずウーロン茶を頂き後ろ髪を引かれながら立ち去りました。
87キロ関門
70キロ過ぎから関門時間と体調維持の戦いです。
エイドで冷たいものをとると身体が冷えて震えがきました。
日陰に入り風にあたっても震えがきました。
これを解消するために身体を温めようと飛ばします。
帰宅してガーミンでみたらキロ5分ペースで走っていました。
ガーミンはフル充電で10時間しかもたないと
いわれてましたがこの日は12時間近く使えてました。
気持ちは何が何でも完走するぞと負けていませんでしたし、
70キロ過ぎでこれだけは走れれば、まだまだいける気がして、
あと皇居6週しか無いじゃんって思っていました。
走りと歩きを繰り返しながら87キロ関門5分前通過です。
やっぱりきたか
87キロ過ぎてのエイドでバンテリンを足にぬりまくり、
少し歩いて94キロの関門をめざします。
7キロを58分で走れば関門通過です。
まだ気持ちに余裕がありました。
周りの方に完走しましょうねといいながら頑張ります。
ところが、90キロを過ぎたところから
なんと足が上がらなくなってしまいました。
イーブンペースでなく飛ばしたのがいけなかったのでしょうか、
どうしてここでと思いながらも、とうとうきたかと覚悟もありました。
足に痛みはありましたが、激痛ではありませんし、不思議って感じでした。
痛みならこらえてでも走る気力はありましたが気持ちと足とバラバラです。
そんな状況で何とか歩いて回復を待ちましたが、時間は過ぎてしまいあせるばかりです。
収容車
それでも90キロまで走った貯金があるから
歩いてでも94キロ関門に間に合うかもとの期待もありました。
走り出すが走れない、少し歩いて走り出すが走れないの繰り返しをしているうちに
収容者を乗せたバスが後ろに来ました。
嫌だあれには乗りたくないと必死に歩きと走りを繰りかえしますが
バスを見てから15分くらいでついに94.2キロの関門時間ですとコールされました。
93キロの少し手前だったでしょう。
13時間17分で初ウルトラマラソンは終わってしまいました。
感謝です
残念ながら完走は逃しましたが、今回は大変いい経験になりました。
四万十の神様が来年も呼んでくれてると思います。
そしてなにより楽しかったです。
応援の方々の声には本当に力になりました。
後半は暗くなり風もあり温度も下がり、
きっと寒かったと思いましが最後まで大きな応援をいただきました。
いつもはあきて音楽を聴きながら走るのですが
応援の方に申し訳なく今回は出来ませんでした。
評判のいい大会とは聞いてましたが、その通りでした。
来年も再来年も是非参加したいと思っています。
長文になってすみません
最後まで読んでくれてありがとうございます。