こんにちはS藤です。
早いもので四万十川マラソンから2週間が過ぎました。
昨年もこの書き出しでしたが・・・。
みなさんに多くの応援をいただき、何とか制限時間2分前に完走は出来きました。
おかげさまで昨年のリベンジが出来きありがとうございました。
めずらしく事前準備
いつも旅行の時は当日の朝に荷物をまとめるのですが、
大き目のバックにかまわず詰め込んだだけですが、
しっかりと前の晩に荷物をまとめました。
前日は昨年と同じでめちゃくちゃ酒の強い友人と彼の家で飲んでいましたが、
翌々日の四万十川のことを考えビールからそして日本酒のヒヤへといったのですが
今回はかなり自重して日本酒一杯で切り上げました。
翌朝は羽田に集合1時間前に到着しビールを飲みたかったですがここは我慢しました。
中村入り。
四万十川のスタート中村へは高知竜馬空港まで飛行機でそこからはバスで移動です。
う~3時間近いバスはやっぱり遠い。
昨年は空港で缶ビールでしたが、今年は途中のドライブインまで我慢して乾杯です。
移動のバスの中では昨年の大会の模様が放映され気分は一気に高まり、
気持ちはワクワク感と完走出来るか不安な気持ち半々での戦いです。
DVDで完走できなかったランナーを見いて自分がいないか探しました。
昨年のタイムアップの93キロ地点をなんともいえない気持ちで見てましたら、
羽田で知り合った方に「ここですねと」と言われてしまいました。
受付会場
会場で受付を済ませ、昨年同じ部屋だった方と偶然の再会しました。
その方も前年は完走できずリベンジに来ていました。
会場でマラソンの記録のDVDを5,500円で販売していて、
自分のゴールシーンが写ると言われ昨年も購入しましたが、
完走できずゴールシーンは無く、一度は見ましたが買ったことを後悔しました。
今年は悩みましたが、完走するための励みになると思い
懲りずにまた申し込んでしまいました。
福田屋旅館
これで3回目の宿泊で旅館の方も覚えていてくれていて、「ただいま」って感じです。
旅館のお子さんで3歳のお嬢さんが前回はずーと離れずに食事のときは一緒に食べてたのに今年は人見知りが始まり構ってもらえず寂しかったです。
3名の相室で、2人とも良い方でマラソン話で盛りあがりました。
前夜祭に参加し、ブログで有名な姫さんにお会いしました。
姫さんも昨年完走できずリベンジですが、最近12時間走で優勝されたそうでした。
カツオたたきがおいしそうでしたが、
余裕でビールを飲んでいたらあっという間無くなりました。
宿での夕飯もあるので、会場では何も食べずにビールだけ飲んでいました。
もちろん夕飯時にもビールをおいしくいただきました。
結構いい気持ちで7時半には布団に入りぐっすり寝てしまい目が覚めたら11時でした。
右を向いても左を向いても眠れず布団の中でじっとしていましたが、
4時間が過ぎて3時には起床です。
スタート会場
バスで移動で4時半には会場に到着してすでに大勢のランナーたちで
会場内にはいっぱいでした。
ランナーもボランテアの方も応援の方も大勢いましたが
ボランティアの方はありがたいですよね。
多くの方に支えられ大会が運営されていると実感しました。
やはり2回目で気持ちにはかなり余裕がありました。
昨年より温度が高くレース中の気温が心配される声があちこちから聞こえてきました。
会場入り口では太鼓の演奏で気分は一段とたかまりいよいよスタートです。
峠越え
体力温存を頭におきながらスタートです。
大半の皆さんもスロースタートでフルの時とはやっぱりちがいますね。
空を見上げれば満天の星がきれいな夜明け前でした。
キロで6分半くらいで17キロの上り坂までいきました。
昨年はあえて計画して歩いた坂を今年はほぼ走りました。
この峠のために坂の練習を中心に今年はやりましたので、
600メートルの上り坂を飛ばさず歩かずいい感じで行けました。
下りはここで飛ばしてしまいたくなりましたが、我慢のランです。
下り坂も終わり、四万十川に33キロで出会います。
オーバーペースにならないように気をつけながら、
抑えて抑えてと自分に言聞か景色を楽しみながら走りました。
変な感じ
やはりいためていた四頭筋をかばって走っているのでしょうか、
35キロごろに脚に異変がおきました。
左足の痛みに加え右足が重く感じるようになりました。
まだ65キロあるし、この状態では完走はかなり厳しいのではと脳裏によぎりました。
でもマラソンはつらくなってからが本番と言われた言葉を思い出し、
気を取り直して前に進みました。
我慢の連続
40キロまではほぼ計画どおり4時間55分できました。
歩かず休憩もほとんど取らず昨年より10分早いタイムです。
でも脚は一段と鉛のように重く、つらさが増してきました。
昨年はきれいな景色を見ながら、ほかのランナーとの会話を楽しみながら、
エイドではボランティアの方と話しながら楽しく走りましたが、
今年は対照的に身体がきつくて全然楽しくないというより辛いでした。
でも仲間から激励のメールを頂き元気がでました。
ビールの画像には思わずのどが鳴りました。
皆さんホントありがとうございました。
レストステーション
40から60キロまでに3時間2分で、
62キロのレストステーションに着いたのは関門55分前でした。
少しは休みたかったですが足の状態を考えると休憩時間はとれず、
プロティインだけ飲んですぐに出発です。
80キロ名物私設エイド
四万十川マラソンのエイドは充実していますが、
80キロにある私設エイドでは、
到着するなり、氷水で冷やしたタオルを出してくれて
なんとビールいかがですか?と勧めてくれます。
昨年は完走を目指して断りましたが、今年はビールを飲んで大丈夫なことが、
奥武蔵ウルトラマラソンでわかりましたから、なんの迷いも無く頂きました。
これがおいしいこと、ホント感動的でしたよ。
ビールを飲んだら、うそのように身体が軽くなりましたがそれも3キロぐらいで
また元に戻ってしまいました。
60から80キロまでは3時間13分で昨年より12分掛かっていました。
誘われて
85キロ過ぎに60歳くらいの男性にゴール目指して
一緒に走りましょうと声をかけていただきました。
若い女性と二人で走らいましたが、私を誘ってくれました。
その方が元気が出るからとポテトの棒状の揚げたお菓子を2つ下さって口にしました。
考えみたら今回のレース中に今まで何も固形物を口にしてないことに気つきました。
いつもウルトラはパワージェル中心ですが、
それでも少しは食べますが今回はその余裕すらなかったです。
その方たちについていけず先に行っていただきました。
93キロ地点
忘れもしない収容車に乗せられた地点に来ました。
真っ暗でしたがこの場所は忘れません。
昨年のあの瞬間がよみがえります。
悔しかったこと、情けなったこと、そして翌年には必ず完走しようと誓った場所です。
今年はまだ収容車は見えなかったです。
思わず後ろを向いて確認しました。
最終関門
今までの貯金をすべて使い果たして、
94.2キロの関門の通過は10秒前でした。
20秒前のカウントダウンが始まりなんとか通過できました。
ここを過ぎればゴールまで収容車に乗せらずにゴールまで行けます。
あとはメダルをいただけるかどうかです。
もう足は限界にきていました。
43分で5.8キロ、頭の中で計算しますが身体のことを考えるとかなり厳しいです。
その時最終関門を私の後ろで通過した方がまだ大丈夫、
頑張りましょうと声をかけられて気合が入りました。
この頃から沿道の声援が「お帰りなさい」に変わりました。
今頑張らなくていつ頑張るだと自分に言聞かせて最後のゴールめざしました。
ゴール
街中に入ると応援の方が増えてきて、
その「おかえり」「あとすこし」の声に一段と後押しされて元気になりました。
最後の上り坂はひたすら下を向いて走っていましたが、
ふと見るとかがり火がたかれランナーを迎えています。
ホントに暖かい大会で参加者名簿が配られナンバーで確認して名前で呼んでくれます。
今年もその声に何回も勇気と元気をいただきました。
13時間58分12秒でゴールをきることが出来ました。
80から100キロは2時間46分でした。
ゴールしてからイスに座ったら動けませんでした。
ボランティアの中学生がビニールに入った氷を持ってきてくれました。
周りを見ると同年代の方が完走の感動で泣いていて思わず声かけたくなりましたが、
脚が痛くて立つことが出来ず、そばに行けませんでした。
感謝です
四万十の神様が呼んでくれてありがたかったです。
そして辛かったですがいい経験になりました。
評判のいい大会ですが、その通りでした。
来年も是非参加したいと思っています。
四万十の神様が呼んでくれることを願います。
長文になってすみません
重ねて写真も絵文字も無くてすみません。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
追記
中村の街のスナックで飲んで歌って盛り上がり2時過ぎに帰りました。
内臓は日ごろの鍛錬でかなり丈夫です。
早いもので四万十川マラソンから2週間が過ぎました。
昨年もこの書き出しでしたが・・・。
みなさんに多くの応援をいただき、何とか制限時間2分前に完走は出来きました。
おかげさまで昨年のリベンジが出来きありがとうございました。
めずらしく事前準備
いつも旅行の時は当日の朝に荷物をまとめるのですが、
大き目のバックにかまわず詰め込んだだけですが、
しっかりと前の晩に荷物をまとめました。
前日は昨年と同じでめちゃくちゃ酒の強い友人と彼の家で飲んでいましたが、
翌々日の四万十川のことを考えビールからそして日本酒のヒヤへといったのですが
今回はかなり自重して日本酒一杯で切り上げました。
翌朝は羽田に集合1時間前に到着しビールを飲みたかったですがここは我慢しました。
中村入り。
四万十川のスタート中村へは高知竜馬空港まで飛行機でそこからはバスで移動です。
う~3時間近いバスはやっぱり遠い。
昨年は空港で缶ビールでしたが、今年は途中のドライブインまで我慢して乾杯です。
移動のバスの中では昨年の大会の模様が放映され気分は一気に高まり、
気持ちはワクワク感と完走出来るか不安な気持ち半々での戦いです。
DVDで完走できなかったランナーを見いて自分がいないか探しました。
昨年のタイムアップの93キロ地点をなんともいえない気持ちで見てましたら、
羽田で知り合った方に「ここですねと」と言われてしまいました。
受付会場
会場で受付を済ませ、昨年同じ部屋だった方と偶然の再会しました。
その方も前年は完走できずリベンジに来ていました。
会場でマラソンの記録のDVDを5,500円で販売していて、
自分のゴールシーンが写ると言われ昨年も購入しましたが、
完走できずゴールシーンは無く、一度は見ましたが買ったことを後悔しました。
今年は悩みましたが、完走するための励みになると思い
懲りずにまた申し込んでしまいました。
福田屋旅館
これで3回目の宿泊で旅館の方も覚えていてくれていて、「ただいま」って感じです。
旅館のお子さんで3歳のお嬢さんが前回はずーと離れずに食事のときは一緒に食べてたのに今年は人見知りが始まり構ってもらえず寂しかったです。
3名の相室で、2人とも良い方でマラソン話で盛りあがりました。
前夜祭に参加し、ブログで有名な姫さんにお会いしました。
姫さんも昨年完走できずリベンジですが、最近12時間走で優勝されたそうでした。
カツオたたきがおいしそうでしたが、
余裕でビールを飲んでいたらあっという間無くなりました。
宿での夕飯もあるので、会場では何も食べずにビールだけ飲んでいました。
もちろん夕飯時にもビールをおいしくいただきました。
結構いい気持ちで7時半には布団に入りぐっすり寝てしまい目が覚めたら11時でした。
右を向いても左を向いても眠れず布団の中でじっとしていましたが、
4時間が過ぎて3時には起床です。
スタート会場
バスで移動で4時半には会場に到着してすでに大勢のランナーたちで
会場内にはいっぱいでした。
ランナーもボランテアの方も応援の方も大勢いましたが
ボランティアの方はありがたいですよね。
多くの方に支えられ大会が運営されていると実感しました。
やはり2回目で気持ちにはかなり余裕がありました。
昨年より温度が高くレース中の気温が心配される声があちこちから聞こえてきました。
会場入り口では太鼓の演奏で気分は一段とたかまりいよいよスタートです。
峠越え
体力温存を頭におきながらスタートです。
大半の皆さんもスロースタートでフルの時とはやっぱりちがいますね。
空を見上げれば満天の星がきれいな夜明け前でした。
キロで6分半くらいで17キロの上り坂までいきました。
昨年はあえて計画して歩いた坂を今年はほぼ走りました。
この峠のために坂の練習を中心に今年はやりましたので、
600メートルの上り坂を飛ばさず歩かずいい感じで行けました。
下りはここで飛ばしてしまいたくなりましたが、我慢のランです。
下り坂も終わり、四万十川に33キロで出会います。
オーバーペースにならないように気をつけながら、
抑えて抑えてと自分に言聞か景色を楽しみながら走りました。
変な感じ
やはりいためていた四頭筋をかばって走っているのでしょうか、
35キロごろに脚に異変がおきました。
左足の痛みに加え右足が重く感じるようになりました。
まだ65キロあるし、この状態では完走はかなり厳しいのではと脳裏によぎりました。
でもマラソンはつらくなってからが本番と言われた言葉を思い出し、
気を取り直して前に進みました。
我慢の連続
40キロまではほぼ計画どおり4時間55分できました。
歩かず休憩もほとんど取らず昨年より10分早いタイムです。
でも脚は一段と鉛のように重く、つらさが増してきました。
昨年はきれいな景色を見ながら、ほかのランナーとの会話を楽しみながら、
エイドではボランティアの方と話しながら楽しく走りましたが、
今年は対照的に身体がきつくて全然楽しくないというより辛いでした。
でも仲間から激励のメールを頂き元気がでました。
ビールの画像には思わずのどが鳴りました。
皆さんホントありがとうございました。
レストステーション
40から60キロまでに3時間2分で、
62キロのレストステーションに着いたのは関門55分前でした。
少しは休みたかったですが足の状態を考えると休憩時間はとれず、
プロティインだけ飲んですぐに出発です。
80キロ名物私設エイド
四万十川マラソンのエイドは充実していますが、
80キロにある私設エイドでは、
到着するなり、氷水で冷やしたタオルを出してくれて
なんとビールいかがですか?と勧めてくれます。
昨年は完走を目指して断りましたが、今年はビールを飲んで大丈夫なことが、
奥武蔵ウルトラマラソンでわかりましたから、なんの迷いも無く頂きました。
これがおいしいこと、ホント感動的でしたよ。
ビールを飲んだら、うそのように身体が軽くなりましたがそれも3キロぐらいで
また元に戻ってしまいました。
60から80キロまでは3時間13分で昨年より12分掛かっていました。
誘われて
85キロ過ぎに60歳くらいの男性にゴール目指して
一緒に走りましょうと声をかけていただきました。
若い女性と二人で走らいましたが、私を誘ってくれました。
その方が元気が出るからとポテトの棒状の揚げたお菓子を2つ下さって口にしました。
考えみたら今回のレース中に今まで何も固形物を口にしてないことに気つきました。
いつもウルトラはパワージェル中心ですが、
それでも少しは食べますが今回はその余裕すらなかったです。
その方たちについていけず先に行っていただきました。
93キロ地点
忘れもしない収容車に乗せられた地点に来ました。
真っ暗でしたがこの場所は忘れません。
昨年のあの瞬間がよみがえります。
悔しかったこと、情けなったこと、そして翌年には必ず完走しようと誓った場所です。
今年はまだ収容車は見えなかったです。
思わず後ろを向いて確認しました。
最終関門
今までの貯金をすべて使い果たして、
94.2キロの関門の通過は10秒前でした。
20秒前のカウントダウンが始まりなんとか通過できました。
ここを過ぎればゴールまで収容車に乗せらずにゴールまで行けます。
あとはメダルをいただけるかどうかです。
もう足は限界にきていました。
43分で5.8キロ、頭の中で計算しますが身体のことを考えるとかなり厳しいです。
その時最終関門を私の後ろで通過した方がまだ大丈夫、
頑張りましょうと声をかけられて気合が入りました。
この頃から沿道の声援が「お帰りなさい」に変わりました。
今頑張らなくていつ頑張るだと自分に言聞かせて最後のゴールめざしました。
ゴール
街中に入ると応援の方が増えてきて、
その「おかえり」「あとすこし」の声に一段と後押しされて元気になりました。
最後の上り坂はひたすら下を向いて走っていましたが、
ふと見るとかがり火がたかれランナーを迎えています。
ホントに暖かい大会で参加者名簿が配られナンバーで確認して名前で呼んでくれます。
今年もその声に何回も勇気と元気をいただきました。
13時間58分12秒でゴールをきることが出来ました。
80から100キロは2時間46分でした。
ゴールしてからイスに座ったら動けませんでした。
ボランティアの中学生がビニールに入った氷を持ってきてくれました。
周りを見ると同年代の方が完走の感動で泣いていて思わず声かけたくなりましたが、
脚が痛くて立つことが出来ず、そばに行けませんでした。
感謝です
四万十の神様が呼んでくれてありがたかったです。
そして辛かったですがいい経験になりました。
評判のいい大会ですが、その通りでした。
来年も是非参加したいと思っています。
四万十の神様が呼んでくれることを願います。
長文になってすみません
重ねて写真も絵文字も無くてすみません。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
追記
中村の街のスナックで飲んで歌って盛り上がり2時過ぎに帰りました。
内臓は日ごろの鍛錬でかなり丈夫です。