どうも、blog初投稿のOか本です
先日の名古屋ウイメンズ&ハーフをレポートします。
記憶の糸を手繰り寄せながら…。
◆1日目
朝、男性陣は東京駅(tonoさんは品川)に集合、新幹線で名古屋を目指します
が、私Oか本はのっぴきならない事情により予定の新幹線に乗れず…10分後ののぞみに乗車。
車内では知人ランナーに邂逅、京都マラソンへ向かうとのこと。
この日は大勢のランナーが西へ向かった模様です
今回の男子パーティーは、tonoさん・マークさん・桂文珍さん・Oか本の4名。
名古屋駅から、電車とバスを乗り継いで宿へ移動
宿はネーミングにインパクトあるこちらの老舗ホテル。 ←巨岩が迎えてくれます。
温泉がプールのように広くて最高でした
tonoさんには宿の手配、お得感たっぷりなドニチエコキップ(←大活躍)の発見等、いつもながらにお世話になりました
どうも有難うございました!この場を借りて御礼を
荷物を置いて再出発、ナゴヤドーム前矢田駅へ。
受付を済ませて、明日のスタート地点兼エキスポ会場であるナゴヤドームへと移動。徒歩2分。
エキスポの各ブースを見てまわり、ちょっと遅めの昼食
ご当地(?)『横手焼きそば』を頂きました(…美味しそうだったので!)
その他、ビールと共に各種名古屋メシ(味噌カツや名古屋コーチンコロッケなど)も楽しんでご満悦
その後、安田美○子さんトークショーを見物
物凄い人気で、モノモノシイSPに囲まれてのブース間移動はまさに芸能人。
Oか本と文珍さんはTDLのベンチで休むお父さんさながらに人混みから離れ、しばし休憩
その他にも、エキスポでは様々な催し物が
ドーム内では、神戸アチーブRCから来られたT田さん&レース出走の美人ランナーお二人(←三人とも実力派ランナー)に会いました
そして、ドームを出てからは、ノミノ女性陣にも偶然会えました
思いがけずの再会はテンションも上がります
女性陣の名古屋ランチはかなり充実していた模様。 我々の横手焼そばも負けてはいませんが!
今夜の夕食を約束して、一時解散。
ナゴヤドームを後にした男性斥候部隊は中心街・栄へ 今夜の夕食会場を探し歩きます。
tonoさん&マークさんがこの辺りに詳しいようで、すんなり決定
こちらのお店→
名古屋料理を豊富に取り揃えていて、お味も素晴らしく、内装も素敵でございました
手羽先,ひつまぶし,味噌串かつ,きしめん,etc…。ここに来れば全名古屋メシを食べられる気がします
男性陣で盛り上がっていると、女性陣が到着!そして神戸T田さんも合流!
明日のレースについての意気込みなど、ひとしきり盛り上がって解散
男性陣は急ぎ宿へ戻り、自慢の温泉を堪能して怒涛の1日目を終えました
◆2日目
名古屋ウイメンズフル&ハーフ当日。
男性陣は早めにナゴヤドーム入り
スタートまでまだ2時間超あり、余裕の会場入りを果たした気でいましたが、何と荷物預けのトラックが今まさに出発するとのアナウンス。
そんな馬鹿なと訝りつつ、大慌てで荷物預け
ここで文珍さんなんと慌て過ぎてシューズもトラックに預けてしまい、裸足のまま必死の形相でトラックを猛追
…なんてことはなく、荷物預けも無事に終了。
先にスタートする女性陣の応援をするため、スタート地点へ移動。←クリスタル氏による国歌斉唱。
今回はオリンピック選考レース。
エリートの部でY田選手そしてH川選手が出走します。頑張って欲しいです
アップ会場はどこか張りつめた空気。
9:10 女子スタート。
トップ選手達の疾風の如き飛び出しに戦いていると、女性ランナーが続々と。いや、延々と。
女子だけの大規模レース、壮観です。
エントリー数は15,000人、つまりほぼ一個師団
見事ギネスブックにも認定されたようです
ノミノメンバーを見つけるのは至難の技でしたが、それでも何名か発見することができました!
気付いてくれた方が多かった気もしますが。
女子スタートを見届けたところで、tonoさん・マークさん・桂文珍さんはハーフスタート地点へ。
私Oか本は応援ポイントへ、それぞれ移動。
Oか本は3日前の木曜、自主練中に故障再発。。出走するかギリギリまで悩みましたが、今回は断念ながら残念しました。(え?)
スタート地点から応援ポイントの25km地点までは、直線で5~6kmの距離。
通行規制により人も車もない異様な静けさに包まれる名古屋の街をJOGで移動
25km地点は主要応援ポイントだったようで、物凄い人だかりでした
まずトップ集団が通過。
Y田選手&H川選手も通過
Y田選手はレース前から状態が良くなさそうでしたが、そういう中で積極的な走りを選択した勇気は凄いと思いました。
これは自分にはないものだと心の中で考えつつ、必死に応援
H川選手は淡々と走っているようにも見えましたが、決して楽なレースではないはず。
今日は思う通りに足を動かせているのだろうかと心の中で考えつつ、必死に応援
2人の走りを間近で見て、市民ランナーとの明確な違いを実感した次第。
強い思いをもって走る姿はとても格好良かったです
個人的に、2人とも少なくとも2時間25分は切れる力があるのは間違いないと思っています
ただマラソンはピーキングがとても難しい競技。何とかベストの状態で、一本でも走らせてあげたいものです。
これからの活躍に期待しながら、引き続き皆で応援していきましょう
25km地点から移動しようとしたら、T田さん(from神戸)と出会いました。
T田さんも今回は応援に専念。
道路を渡って、35km地点へ。折り返してくるランナーを待ちます。
と、目の前に女性2人がT田さんのワンセグに「トップどのあたりですか?」と話しかけてきます。
物怖じしない子だなと思っていたら、F士さんでした。(Wコール所属。落合監督の息子ではないほうです。)
もう1人も名前不明ながら(←失礼)明らかに速そう
2人はトップ集団のほぼ全員を、むせながら渾身の力で大応援
ユニークなキャラクターはTVそのまま、好感が持てました
トップ集団が過ぎて以降、サブ3ペースで走るAミノのメンバーも何人か発見
全然知らない人でも、必死で走っているランナーには応援したくなります。思いが伝わります。
こんな風に、知らない人からも応援をもらえるようなランナーに自分もなりたいものです。
その後、ノミノメンバーも続々とやってきました
今回は直前にフルを走ったためファンランという人が多かった様子。(写真ない方、すみません)
ハーフを終えた男性陣も合流。tonoさん、桂文珍さん、マークさん。そして、名古屋(正しくは四日市)在住のこん平さん。
今回が初レースという女性ランナーも何千人といたようですが、完走者のみ貰えるTファニーはモチベーションとなっていたようです
第1回大会でしたが、来年以降も名古屋ウィメンズは人気大会として定着しそうな予感
レースを終えて、名古屋駅近くのお店にて打ち上げ京都マラソンを走り終えたKゴさんも参戦!
打ち上げのお店はこん平さんが予約してくれました!有難うございました
女性陣はレースでお疲れのところでしたが、いつものように元気にお酒を飲まれていました
神戸アチーブRC女性陣もなかなかお酒好きなご様子
今日のレースを振り返りつつ、Tファニーを見せてもらいつつ、盛り上がっていると、ここでサプライズゲストが!
なんとN島コーチとレースを終えたばかりのY田選手が登場一同、驚嘆の巻。
大きなレースを終えても顔を出してくれて本当に嬉しいですね
その後も楽しい時間を過ごしました
打ち上げ終了後、新幹線で東京へ戻り、解散!
名古屋⇔東京はあっという間です。
充実の2日間、場所は変わってもいつもと同じメンバーで楽しめるのは素敵なことですね
またノミノ皆で遠征しましょう
※追加の写真頂ければ、随時アップ致します!
<追記> ~2012.3.11に寄せて~
名古屋ウィメンズマラソン&ハーフが行われた日は、3月11日。
目の前の、当たり前にあった日常が突然奪われたあの東日本大震災から、1年。
あの日、経験したことのない大きな揺れの中で、ここ(東京)が震源であってくれと願いながら情報を待っていました。
これが遠く離れた場所に届いた揺れであるならば、震源の街はきっと耐えきれない。
その街に、もしも知人がいたならば…。
震源地は東北。予想よりもずっと遠い場所で、そして、広範囲でした。
BUMP OF CHICKENという歌手(バンド)の「supernova」という歌があります。
震災発生よりもずっと前に作られた曲で、それ以前は違う捉え方をしていましたが、
去年の3月11日以降、何故かこの歌を聴くと震災を思い浮かべます。
supernova、日本語では超新星。
「星が寿命を終える際に大規模な爆発を起こし、その銀河全体の明るさにも匹敵するほど明るく輝いて見える現象」らしいです。
それまで認知されていなかった星が、その命を終える最後の大爆発で太陽よりも明るく光り、それによって存在を初めて認識されることもあるようです。
その星自体は、ずっと昔から存在していたにも関わらず。
今回の震災で大切な家族や友人など、掛け替えのない存在を失った人はどういう思いで過ごしてきたのでしょう。
掛け替えのない存在を、日々の生活の中で常に大事な存在と認識してきた人、震災で失ってみて初めて存在の大きさに気付いた人。
生まれてきたものは例外なく死を迎えます。本人や周りの人がどんなに願ったとしても。
それがいつ訪れるのかは誰にもわからないし、避けることはできません。
生と死が表裏一体のものであるならば、我々はいかなる死をも受け容れていくほかありません。
余りにも大きな喪失を経験した人の絶望や虚無感はその人にしかわからないことですが、震災で大切な存在を失った人達は、この1年ずっと戦ってきたのだと思います。
そして今後も受け容れて、乗り越えることができるまで、戦いは続いていくはずです。
街の復興や原発の収束とは別次元にある、心の再生。これは自分で乗り越えていくしかありません。
直接的に私ができることはないかもしれませんが、じっくり時間をかけて向き合っていく彼らの強さを信じたいし、その戦いを応援していきたいです。
1年経ったこの2012年3月11日という日も、前進するための何かのきっかけとなればと願います。
私個人にとって今回の震災は、大切なものが何かを確認するきっかけとなりました。
今でも地震が起きるその都度、瞬間的に考えます。
誰と話したいのか。やらずに後悔していることはないか。守るべきものは何か。
当たり前のようにくるであろう明日。
しかし、明日がくるという保証は何もない、ということは忘れないようにしたいです。
ずっとそう考えて日常を送るのは現実的ではありませんが、しかし少なくとも、失ってから大切さに気付くことのないように。
それが家族や友人・仲間・パートナーであれ、ペットであれ、大事にしている物であれ、何かに対する気持ちであれ。
震災が奪った命の分まで、という大それたことも言えませんが、今ここにある命に感謝をしながら、自分のやるべきことを信じて、また今日から明日へと繋げていきたいと思います。
皆様にも、良き明日が訪れますように。