和歌山県紀の川市にある医聖 華岡青洲の里へ行ってきました。
華岡青洲は、日本がまだ江戸時代の中頃(1804年)に、日本初だけでなく、西洋に先がけること約四十年も前に“世界で初めて”麻酔薬を開発し、全身麻酔による外科手術に成功した人で、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」でも有名だと思います。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
青洲の診療所と医学校と住居を兼ねた「春林軒」が再建されていて、見学が出来ます。
診療所と住居だった主屋。
この主屋は、青洲が活躍した当時の建物を移築したものだそうです。
主屋(左の建物)の横には、医学校(右の建物)と手術後の患者のための病室(奥の建物)が復元されていました。
その他、表門や看護婦棟、米蔵なども再建されていて、見学ができます。
主屋では、手術の様子(上)や青洲の母や妻による麻酔薬の人体実験の様子(下)などが人形で再現展示されていました。
主屋の横には「華岡家発祥の地」の碑が建っていました。
春林軒の横では、麻酔薬「通仙散」の原料の薬草が植えてありました。その向こうに見えるのは青洲先生の銅像です。
博物館とレストランと売店のあるフラワーヒルミュージアムです。
博物館では、当時の手術道具や青洲先生の手術着・老眼鏡・筆、杉田玄白からの手紙や、手術をした患者の名簿、医学校の名簿、医学校の卒業証書、薬草の標本、薬草を入れておく箪笥や、薬草の調合の道具、手術の手順を描いた図、手術で取り出した膀胱結石や鉄砲の弾などが展示されていました。
フラワーヒルミュージアムの横には「ふれあい公園」というところもありました。
桜の木もいっぱいあったし、芝生広場に子供用遊具、藤棚、ハーブガーデン、温室、大賀蓮の蓮池もありました。
ツツジの花もきれいに咲いていました。
そして、藤棚が満開。(ハチに注意!)
青洲の里のすぐ北側には、華岡青洲顕彰記念公園と華岡青洲のお墓もありました。
毎週火曜日が休館日、無料駐車場有り。
詳しくはコチラ
華岡青洲の里の公式サイトへリンク
華岡青洲は、日本がまだ江戸時代の中頃(1804年)に、日本初だけでなく、西洋に先がけること約四十年も前に“世界で初めて”麻酔薬を開発し、全身麻酔による外科手術に成功した人で、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」でも有名だと思います。
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青洲の診療所と医学校と住居を兼ねた「春林軒」が再建されていて、見学が出来ます。
診療所と住居だった主屋。
この主屋は、青洲が活躍した当時の建物を移築したものだそうです。
主屋(左の建物)の横には、医学校(右の建物)と手術後の患者のための病室(奥の建物)が復元されていました。
その他、表門や看護婦棟、米蔵なども再建されていて、見学ができます。
主屋では、手術の様子(上)や青洲の母や妻による麻酔薬の人体実験の様子(下)などが人形で再現展示されていました。
主屋の横には「華岡家発祥の地」の碑が建っていました。
春林軒の横では、麻酔薬「通仙散」の原料の薬草が植えてありました。その向こうに見えるのは青洲先生の銅像です。
博物館とレストランと売店のあるフラワーヒルミュージアムです。
博物館では、当時の手術道具や青洲先生の手術着・老眼鏡・筆、杉田玄白からの手紙や、手術をした患者の名簿、医学校の名簿、医学校の卒業証書、薬草の標本、薬草を入れておく箪笥や、薬草の調合の道具、手術の手順を描いた図、手術で取り出した膀胱結石や鉄砲の弾などが展示されていました。
フラワーヒルミュージアムの横には「ふれあい公園」というところもありました。
桜の木もいっぱいあったし、芝生広場に子供用遊具、藤棚、ハーブガーデン、温室、大賀蓮の蓮池もありました。
ツツジの花もきれいに咲いていました。
そして、藤棚が満開。(ハチに注意!)
青洲の里のすぐ北側には、華岡青洲顕彰記念公園と華岡青洲のお墓もありました。
毎週火曜日が休館日、無料駐車場有り。
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