次も奈良県五條市観光の続きです。
次に紹介をするところは、五條市街からは少し離れたところにある、登録有形文化財「藤岡家住宅」です。
ここは、藤岡玉骨(ぎょっこつ)(1888~1966年)という俳人の生家です。
藤岡玉骨(本名:長和)という人は、佐賀県、和歌山県、熊本県の知事を歴任し、退官後に高浜虚子に師事して俳人となったそうです。
藤岡家は江戸時代からこの地域の庄屋で、染物屋・薬問屋・質屋・両替商も営んでいたほどの裕福な家柄だったそうです。
現在の藤岡家当主の方は茨城県に住んでおられ、このお屋敷は約30年間も無人で放置され、荒れ放題だったのを、修復して平成20年から一般に公開されています。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
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玄関・店の間のある「藤岡家住宅」の母屋です。
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母屋、店の間の内部。
当時の大福帳や算盤、天秤秤、箪笥、火鉢、煙管などがそのまま残されていて、展示されています。
古い建物なので、(後述の茶房以外は)冷房がなく、うちわを借りて扇ぎながら見学しました。
家の中へ上がって見学が出来、ここを運営管理されているNPO法人の方が案内や説明をして下さいます。
土間にはカマドがあったそうですが、今はカマドを撤去して土間がミュージアムショップになっています。
幕末の時代のアメリカ製のゼンマイ式振り子時計が今でも動いていました。
「玉骨句集」や俳句雑誌「ホトトギス」「かつらぎ」といった俳句の本を閲覧できるコーナーもありました。
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貴賓の間のある離れです。
この離れは、江戸時代末期の建物だそうで、上段の間、控えの間、座敷、茶室、専用の厠までありました。
離れの左手前にある木は、長兵衛梅といって、藤岡家初代の頃から樹齢250年も経っているそうです。「長兵衛」というのは藤岡家初代の方のお名前だとか。
この梅の幹に“こぶ”があって、そのこぶのことを玉骨といい、それを俳号にしたそうです。
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貴賓の間の座敷です。
藤岡家の前の道は、南大和から大坂への街道になっていたそうで、この離れは、高貴な方の休憩所にもなっていたとか。
火鉢や床の間に飾られている台には菊の御紋と葵の御紋が入っていました。
家紋入りの欄間や、近江八景や虎の絵が描かれた襖絵、金箔の装飾が施された襖もありました。
でも30年間も無人で放置され、壁も落ち、天井にも穴があき、雨漏りなど荒れ放題だったそうなので、襖絵にも雨の染みが付いてしまっていて、でもなるべく当時のまま残そうということで、貼り替えもせず、染みのついたまま展示してありました。
藤岡家の家紋は「五瓜に唐花」という紋だそうで、織田信長の紋と同じだそうです。
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貴賓の間の裏には茶室もありました。
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貴賓の間から見た庭と、茶房・大広間の有る建物。
この建物も江戸時代末期の築で、奥のすだれのかかっている窓のところが大広間、手前のガラス窓のところが茶房「梅が枝」です。和室のテーブルで食事や喫茶が楽しめるスペースになっています。
このガラス窓も、明治・大正時代のガラスで、まっ平らでなく、表面が少しでこぼこしている昔の時代のものです。
庭では、ホテイアオイと睡蓮が咲いていました。
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茶房の前の渡り廊下から見た貴賓の間。
この貴賓の間では、NHKの「万葉ラブストーリー」というドラマの撮影が行われたそうです。
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母屋から、離れや茶房・広間のある別棟への渡り廊下にある2階部屋。
この2階部屋が、藤岡玉骨の書斎だったそうです。
藤岡玉骨は、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、森鴎外、南方熊楠などとも交流があったそうで、与謝野晶子、南方熊楠、師の高浜虚子らの直筆の手紙や句なども展示されていました。
玉骨の書斎にあった机の引き出しから、それらの手紙がたくさん出てきたそうです。
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大広間です。ここでは、寄席や雅楽、ランチサロンなどのイベントも開催されているそうです。
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蔵と薬医門です。
この蔵が、寛政9年(1797)の建造ということが分かっていて、藤岡家住宅の建物の中で一番古い建物だそうです。
この蔵の中が展示室になっていて、1階はミシンや蓄音機や真空管ラジオ、アイロン、箱枕、アンカ、火鉢など昔の生活道具や、床下から出てきたという6世紀頃のものという瓦、光明皇后の筆と伝えられる書、昔の店の看板、日本各地の民芸品と思われる人形や昔のゲーム・玩具などの展示室で、2階は藤岡玉骨の展示コーナーになっています。
真空管ラジオは今でも電波の受信が出来て、音が鳴っていました。
上で書いた与謝野晶子や高浜虚子、南方熊楠らの手紙や句などは2階の展示室に展示してあります。
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大広間の縁側と庭。
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大広間専用の玄関から見た薬医門。
大広間でイベントが開催されるときは、この門が開かれ、直接大広間へ行くことができるようにするそうです。
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庭に大きなサルスベリの木があって満開の花が咲いていました。
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藤岡家住宅の道をはさんだ向かい側には明治25年に建てられた米蔵もあって、ここも無料休憩所として一般に開放されています。
また、母屋の隣には井戸もあって、その井戸のある建物も、金剛山登山者のための無料休憩所として開放されていました。
毎週月曜日が休館で、入館料は、大人300円。
無料駐車場有り。
車だと、南阪奈道路「葛城IC]で下り、県道30号線を南下、そのまま道なりに県道261号線を五條方面へ進むと、曲がり角ごとに案内看板が立っているので初めてでも迷いません。
毎年2月~3月の長兵衛梅の花が咲く頃には、ひな人形も飾られ、とても賑わうそうです。
↓詳しくはこちら
登録有形文化財「藤岡家住宅の公式サイトへリンク
次に紹介をするところは、五條市街からは少し離れたところにある、登録有形文化財「藤岡家住宅」です。
ここは、藤岡玉骨(ぎょっこつ)(1888~1966年)という俳人の生家です。
藤岡玉骨(本名:長和)という人は、佐賀県、和歌山県、熊本県の知事を歴任し、退官後に高浜虚子に師事して俳人となったそうです。
藤岡家は江戸時代からこの地域の庄屋で、染物屋・薬問屋・質屋・両替商も営んでいたほどの裕福な家柄だったそうです。
現在の藤岡家当主の方は茨城県に住んでおられ、このお屋敷は約30年間も無人で放置され、荒れ放題だったのを、修復して平成20年から一般に公開されています。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
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当時の大福帳や算盤、天秤秤、箪笥、火鉢、煙管などがそのまま残されていて、展示されています。
古い建物なので、(後述の茶房以外は)冷房がなく、うちわを借りて扇ぎながら見学しました。
家の中へ上がって見学が出来、ここを運営管理されているNPO法人の方が案内や説明をして下さいます。
土間にはカマドがあったそうですが、今はカマドを撤去して土間がミュージアムショップになっています。
幕末の時代のアメリカ製のゼンマイ式振り子時計が今でも動いていました。
「玉骨句集」や俳句雑誌「ホトトギス」「かつらぎ」といった俳句の本を閲覧できるコーナーもありました。
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この離れは、江戸時代末期の建物だそうで、上段の間、控えの間、座敷、茶室、専用の厠までありました。
離れの左手前にある木は、長兵衛梅といって、藤岡家初代の頃から樹齢250年も経っているそうです。「長兵衛」というのは藤岡家初代の方のお名前だとか。
この梅の幹に“こぶ”があって、そのこぶのことを玉骨といい、それを俳号にしたそうです。
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藤岡家の前の道は、南大和から大坂への街道になっていたそうで、この離れは、高貴な方の休憩所にもなっていたとか。
火鉢や床の間に飾られている台には菊の御紋と葵の御紋が入っていました。
家紋入りの欄間や、近江八景や虎の絵が描かれた襖絵、金箔の装飾が施された襖もありました。
でも30年間も無人で放置され、壁も落ち、天井にも穴があき、雨漏りなど荒れ放題だったそうなので、襖絵にも雨の染みが付いてしまっていて、でもなるべく当時のまま残そうということで、貼り替えもせず、染みのついたまま展示してありました。
藤岡家の家紋は「五瓜に唐花」という紋だそうで、織田信長の紋と同じだそうです。
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この建物も江戸時代末期の築で、奥のすだれのかかっている窓のところが大広間、手前のガラス窓のところが茶房「梅が枝」です。和室のテーブルで食事や喫茶が楽しめるスペースになっています。
このガラス窓も、明治・大正時代のガラスで、まっ平らでなく、表面が少しでこぼこしている昔の時代のものです。
庭では、ホテイアオイと睡蓮が咲いていました。
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この貴賓の間では、NHKの「万葉ラブストーリー」というドラマの撮影が行われたそうです。
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この2階部屋が、藤岡玉骨の書斎だったそうです。
藤岡玉骨は、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、森鴎外、南方熊楠などとも交流があったそうで、与謝野晶子、南方熊楠、師の高浜虚子らの直筆の手紙や句なども展示されていました。
玉骨の書斎にあった机の引き出しから、それらの手紙がたくさん出てきたそうです。
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真空管ラジオは今でも電波の受信が出来て、音が鳴っていました。
上で書いた与謝野晶子や高浜虚子、南方熊楠らの手紙や句などは2階の展示室に展示してあります。
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毎週月曜日が休館で、入館料は、大人300円。
無料駐車場有り。
車だと、南阪奈道路「葛城IC]で下り、県道30号線を南下、そのまま道なりに県道261号線を五條方面へ進むと、曲がり角ごとに案内看板が立っているので初めてでも迷いません。
毎年2月~3月の長兵衛梅の花が咲く頃には、ひな人形も飾られ、とても賑わうそうです。
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