いばせんせいのブログ

愛車光岡ビュートのこと、趣味のドライブや博物館めぐりのこと、ネクタイのこと、などを書いていきます。

奈良県五條市を日帰り観光(その3) 藤岡家住宅

2010年08月29日 20時40分43秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
次も奈良県五條市観光の続きです。

次に紹介をするところは、五條市街からは少し離れたところにある、登録有形文化財「藤岡家住宅」です。

ここは、藤岡玉骨(ぎょっこつ)(1888~1966年)という俳人の生家です。
藤岡玉骨(本名:長和)という人は、佐賀県、和歌山県、熊本県の知事を歴任し、退官後に高浜虚子に師事して俳人となったそうです。

藤岡家は江戸時代からこの地域の庄屋で、染物屋・薬問屋・質屋・両替商も営んでいたほどの裕福な家柄だったそうです。

現在の藤岡家当主の方は茨城県に住んでおられ、このお屋敷は約30年間も無人で放置され、荒れ放題だったのを、修復して平成20年から一般に公開されています。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)

登録有形文化財「藤岡家住宅」の写真
玄関・店の間のある「藤岡家住宅」の母屋です。

藤岡家住宅の母屋・店の間の内部の写真
母屋、店の間の内部。
当時の大福帳や算盤、天秤秤、箪笥、火鉢、煙管などがそのまま残されていて、展示されています。

古い建物なので、(後述の茶房以外は)冷房がなく、うちわを借りて扇ぎながら見学しました。

家の中へ上がって見学が出来、ここを運営管理されているNPO法人の方が案内や説明をして下さいます。

土間にはカマドがあったそうですが、今はカマドを撤去して土間がミュージアムショップになっています。

幕末の時代のアメリカ製のゼンマイ式振り子時計が今でも動いていました。

「玉骨句集」や俳句雑誌「ホトトギス」「かつらぎ」といった俳句の本を閲覧できるコーナーもありました。

藤岡家住宅・貴賓の間のある離れの写真
貴賓の間のある離れです。
この離れは、江戸時代末期の建物だそうで、上段の間、控えの間、座敷、茶室、専用の厠までありました。

離れの左手前にある木は、長兵衛梅といって、藤岡家初代の頃から樹齢250年も経っているそうです。「長兵衛」というのは藤岡家初代の方のお名前だとか。

この梅の幹に“こぶ”があって、そのこぶのことを玉骨といい、それを俳号にしたそうです。

藤岡家住宅・貴賓の間の座敷の写真
貴賓の間の座敷です。
藤岡家の前の道は、南大和から大坂への街道になっていたそうで、この離れは、高貴な方の休憩所にもなっていたとか。
火鉢や床の間に飾られている台には菊の御紋と葵の御紋が入っていました。

家紋入りの欄間や、近江八景や虎の絵が描かれた襖絵、金箔の装飾が施された襖もありました。
でも30年間も無人で放置され、壁も落ち、天井にも穴があき、雨漏りなど荒れ放題だったそうなので、襖絵にも雨の染みが付いてしまっていて、でもなるべく当時のまま残そうということで、貼り替えもせず、染みのついたまま展示してありました。

藤岡家の家紋は「五瓜に唐花」という紋だそうで、織田信長の紋と同じだそうです。

藤岡家住宅・茶室の写真
貴賓の間の裏には茶室もありました。

藤岡家住宅・庭と、茶房・大広間の有る別棟の写真
貴賓の間から見た庭と、茶房・大広間の有る建物。

この建物も江戸時代末期の築で、奥のすだれのかかっている窓のところが大広間、手前のガラス窓のところが茶房「梅が枝」です。和室のテーブルで食事や喫茶が楽しめるスペースになっています。

このガラス窓も、明治・大正時代のガラスで、まっ平らでなく、表面が少しでこぼこしている昔の時代のものです。

庭では、ホテイアオイと睡蓮が咲いていました。

藤岡家住宅・庭越し見た貴賓の間の写真
茶房の前の渡り廊下から見た貴賓の間。

この貴賓の間では、NHKの「万葉ラブストーリー」というドラマの撮影が行われたそうです。

藤岡家住宅・藤岡玉骨の書斎の写真
母屋から、離れや茶房・広間のある別棟への渡り廊下にある2階部屋。
この2階部屋が、藤岡玉骨の書斎だったそうです。

藤岡玉骨は、与謝野鉄幹・晶子、石川啄木、森鴎外、南方熊楠などとも交流があったそうで、与謝野晶子、南方熊楠、師の高浜虚子らの直筆の手紙や句なども展示されていました。

玉骨の書斎にあった机の引き出しから、それらの手紙がたくさん出てきたそうです。

藤岡家住宅・大広間の写真
大広間です。ここでは、寄席や雅楽、ランチサロンなどのイベントも開催されているそうです。

藤岡家住宅・蔵と薬医門の写真
蔵と薬医門です。
この蔵が、寛政9年(1797)の建造ということが分かっていて、藤岡家住宅の建物の中で一番古い建物だそうです。

この蔵の中が展示室になっていて、1階はミシンや蓄音機や真空管ラジオ、アイロン、箱枕、アンカ、火鉢など昔の生活道具や、床下から出てきたという6世紀頃のものという瓦、光明皇后の筆と伝えられる書、昔の店の看板、日本各地の民芸品と思われる人形や昔のゲーム・玩具などの展示室で、2階は藤岡玉骨の展示コーナーになっています。

真空管ラジオは今でも電波の受信が出来て、音が鳴っていました。

上で書いた与謝野晶子や高浜虚子、南方熊楠らの手紙や句などは2階の展示室に展示してあります。

藤岡家住宅・大広間の縁側と庭の写真
大広間の縁側と庭。

藤岡家住宅・大広間専用の玄関から見た薬医門の写真
大広間専用の玄関から見た薬医門。

大広間でイベントが開催されるときは、この門が開かれ、直接大広間へ行くことができるようにするそうです。

藤岡家住宅・満開のサルスベリの花の写真
庭に大きなサルスベリの木があって満開の花が咲いていました。

藤岡家住宅・旧米蔵無料休憩所の写真
藤岡家住宅の道をはさんだ向かい側には明治25年に建てられた米蔵もあって、ここも無料休憩所として一般に開放されています。

また、母屋の隣には井戸もあって、その井戸のある建物も、金剛山登山者のための無料休憩所として開放されていました。

毎週月曜日が休館で、入館料は、大人300円。
無料駐車場有り。
車だと、南阪奈道路「葛城IC]で下り、県道30号線を南下、そのまま道なりに県道261号線を五條方面へ進むと、曲がり角ごとに案内看板が立っているので初めてでも迷いません。

毎年2月~3月の長兵衛梅の花が咲く頃には、ひな人形も飾られ、とても賑わうそうです。

↓詳しくはこちら
登録有形文化財「藤岡家住宅の公式サイトへリンク

奈良県五條市を日帰り観光(その2) 史跡公園 民俗資料館(長屋門)

2010年08月27日 08時06分24秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
前のブログの続きで今回も奈良県五條市街の観光スポットを紹介。

次は新町通りから国道24号線を渡ったところにある、史跡公園と民俗資料館(長屋門)です。

史跡公園は、前のブログで書いた幕末の尊王攘夷派の天誅組が、当時幕府直轄領だった五條地区の代官所を焼き討ちしたので、その無くなった代官所を幕府が後年建築しなおしたところです。

代官所の建物はその後奈良地方裁判所五條支部となって、既に建て替えられたようで当時の建物は残っていませんが、代官所の門(長屋門)が残っており、その中が民俗資料館として一般に公開されています。

そして長屋門の前の広場が、史跡公園となっています。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)

史跡公園駐車場にある五條代官所の看板の写真
史跡公園駐車場から見た民俗資料館(長屋門)です。長屋門の周りに見える大きな木は桜の木なので、春はきれいでしょうね。

長屋門と石垣の写真
長屋門と石垣です。周りは桜並木でした。

史跡公園から見た長屋門の遠景の写真
史跡公園から見た長屋門です。“長屋”というだけあって、とても横に細長~い建物です。

民俗資料館(長屋門)の写真
長屋門のアップです。この中が民俗資料館になっています。

天誅組のことや五條代官所のことなどを写真や実物の遺物・パネル・年表・ビデオなどで展示してあるほか、五條市の史跡やお祭りの山車なども展示してありました。

建物の真ん中が門(入口)になっていて、向かって左側が展示室、向かって右側は事務室と貸しギャラリーになっています。

史跡公園の入り口にあった石碑の写真
史跡公園の入り口には、「明治維新発祥地」の石碑がありました。

史跡公園のSLの写真
史跡公園内にはSLも保存してありました。

栴檀の写真
樹齢200年の栴檀(せんだん)の木もありました。

↓天誅組のことや、どうしてここが明治維新発祥地なのか、など詳しくは以下のサイト内のページをお読みください。
五條市の民俗資料館のサイトへリンク

↓五條市にある旅館「藤井館」のサイト内に五條市の詳しい観光案内が載っているページを見つけたので、リンクを貼っておきます。
藤井館の観光案内ページにリンク

史跡公園、民俗資料館(長屋門)とも入場無料。
JR和歌山線五条駅から徒歩約15分。
国道24号線沿いに無料駐車場有り。
民俗資料館は、毎週月曜日が休館日です。

奈良県五條市を日帰り観光(その1) 新町通り まちや館 まちなみ伝承館

2010年08月26日 07時46分06秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
前のブログでも奈良県五條市観光のことを書きましたが、あのあと別の日に今度は五條市街を観光してきました。
(前に書いたのは合併前は吉野郡大塔村・西吉野村だったところ、今回行ったのは前から「五條市」だったところです)

まず行ったのは「新町通り」と呼ばれているエリアです。
旧紀州街道だった通りで、江戸時代から明治時代にかけて建てられた建物がたくさん残っているところです。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)

↓ 五條市新町通りの風景
五條新町通りの写真
五條新町通りの写真
五條新町通りの写真
五條新町通りの写真
ここで映画の撮影が行われたこともあったそうです。

新町通りにあった郵便ポストの写真
新町通りにあった郵便ポスト。
ノスタルジックな通りに合わせて、明治時代の初め、郵便事業の創業時の「書状集箱」という当時の“ポスト”と同じ型にデザインされてありました。

五條市の「新町通」の紹介サイトへリンク

ほとんどの家は今でも住まわれていて、家の中までは見学が出来ませんが、「まちなみ伝承館」と「まちや館」というところは、一般に開放され、中を見学することが出来ます。

まちや館の写真
江戸時代の伝統的な町屋建築の「まちや館」。
ここは、戦後まもなく吉田茂内閣の時に大臣を歴任された木村篤太郎という方の生家だそうです。

和室が展示室になっていて、木村篤太郎直筆の手紙や、吉田茂内閣の写真、大臣の任命書、日本剣道連合会会長も勤めておられたそうで、その写真や資料なども展示してありました。

建物としても、土間やかまど、離れ、井戸、蔵、縁側、渡り廊下など、昔の家屋の様子が見学できます。

離れには、たった2畳の広さの篤太郎の勉強部屋も見学できるようになっています。

見学をしたときに、館の方が、お茶とお菓子をごちそうしてくださって、廊下からきれいな庭を眺めながら、静かな時間を過ごせました。庭では百合の花が咲いていました。

毎週月・木曜日が休館日で、入館料:大人200円です。
無料駐車場有り。

↓ 詳しくはコチラ
五條市の「まちや館」のサイトへリンク

まちなみ伝承館の写真
明治時代の医院の建物跡を利用した「まちなみ伝承館」です。

ここは無料休憩所・観光案内所的なところで、古いひな人形や籠、おもちゃ、写真やパネルなど新町通の資料の展示のほか、文化や観光を紹介したビデオを見たり、観光案内地図やパンフレットも入手できます。

和室やギャラリーの貸室もしているそうです。

毎週水曜日が休館。入場無料(貸室は有料)。
無料駐車場有り。

↓ 詳しくはコチラ
五條市の「まちなみ伝承館」のサイトへリンク

吉野川の写真
まちなみ伝承館のすぐ裏が吉野川です。(和歌山県に入ると「紀ノ川」と名前を変えるのですが、奈良県を流れている間は「吉野川」といいます。)

五條市の吉野川では毎年9月から10月にかけて「やな漁」が体験できるそうです。

五條市観光協会のやな漁のページへリンク
(↑去年の情報から更新されていないようですが...)

兵庫県たつの市御津町室津を日帰り観光(その4) 室津町内のお寺と室津の海

2010年08月25日 19時57分13秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
前のブログの続き、最後は室津町内のお寺と海です。

室津の町は狭いのですが、歩いているとお寺がたくさんありました。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
見性寺の写真
↑室津民俗館の隣にある見性寺。
平安後期の作と伝えられている国指定重要文化財の「毘沙門天立象」があるそうです。
3月17日から21日の間だけ公開されるそうです。

浄運寺の写真
↑賀茂神社の先の細い路地の更に奥にある浄運寺。門の2階に梵鐘が吊られています。

寂静寺の写真
↑室津民俗館の逆隣にある寂静寺。

徳乗寺の写真
↑寂静寺と賀茂神社の間にある徳乗寺。

大坂城石の写真
↑賀茂神社の北側の駐車場にある大坂城石。
豊臣秀吉の大坂城築城の際、西国大名が運ぶ途中にここで海中に落としたものと伝えられているそうです。
今は引き上げられて、賀茂神社北側の駐車場脇に展示してありました。

法然上人、貝堀の井戸の写真
↑法然上人 貝堀の井戸。浄運寺の海側に下りた道路沿いにあります。
浄土宗の開祖、法然上人が室津を訪れた際、飲み水に困っていた室津の人々のために海辺に貝で掘った井戸と伝えられているそうです。
昔は道路がなく本当に海の横にあったそうです。海の横なのに淡水がちゃんと沸いていたそうです。

室津の海の写真
↑賀茂神社裏参道から、室津漁港の防波堤、国道250号、友君橋方面を見た写真。

室津の海の写真
↑藻振鼻から賀茂神社の方を見た写真。

室津の海の写真
↑藻振鼻(室津半島の先端)から見た瀬戸内海(播磨灘)の写真。
藻振鼻は梅の名所だそうです。

藻振鼻には駐車場(無料)があり、ベンチや東屋、海辺まで下りていく階段も整備されています。

室津のブログはここまで。

兵庫県たつの市御津町室津を日帰り観光(その3) 賀茂神社

2010年08月24日 23時20分11秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
前のブログの続き、室津漁港の南岸の小高い山の上にある賀茂神社です。

江戸時代には、シーボルトも、オランダ商館長の江戸参府に随行して室津に立ち寄ったそうです。
その時にこの神社の境内を描いた絵も残されていました。
絵は室津海駅館に展示してありました。
神社の境内にもその絵の複製や説明の書いた看板が立ててありました。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
賀茂神社の写真
↑賀茂神社の鳥居。
山の上なので、参道は階段をかなり登っていきます。

賀茂神社の写真
↑鳥居から見た門。

賀茂神社の写真
↑参道の横に蘇鉄の群生があります。自然群生している北限地ということで、兵庫県の天然記念物になっています。

賀茂神社の写真
↑賀茂神社の境内。

賀茂神社の写真
↑5つの本殿と回廊、そして回廊の真ん中に唐門がある立派な神社です。建物は国の重要文化財だそうです。

賀茂神社の写真
↑賀茂神社の拝殿。この神社は本殿の向かい側に拝殿がある珍しい作りだそうです。

賀茂神社の写真
↑賀茂神社の絵馬堂。絵馬だけじゃなくて木馬も奉納されていました。

賀茂神社の写真
↑賀茂神社の裏参道脇からみた藻振鼻(室津半島の先端)。

賀茂神社の裏参道を下りていくと、室津漁港の南防波堤脇に出ます。

境内自由拝観。
駐車場は、室津漁港南防波堤前に無料駐車場有り。
ただし、室津漁港南防波堤前の駐車場までは道幅がかなり細いです。
室津民俗館から町並みを見ながら賀茂神社まで歩くのもお勧め。

嶋屋友の会のサイトの賀茂神社の説明ページへリンク
(※「嶋屋友の会」というのは、室津海駅館内に拠点を置く文化活動や町づくりの会です。海駅館の建物が、「嶋屋」という豪商の屋敷跡なので、その屋号から名前を付けたようです。)

兵庫県たつの市御津町室津を日帰り観光(その2) 室津海駅館・室津民俗館

2010年08月23日 14時04分52秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
前のブログの続き、いよいよ目的地の室津です。

室津港は、奈良時代から約1300年の歴史がある港だそうですが、江戸時代の参勤交代で、西国からの大名は船で室津港まで来、ここから陸路江戸へ向かったのだとか。江戸時代が一番栄えていたそうです。

普通、宿場町に本陣は原則1軒だそうですが、ここ室津には本陣が4軒もあったそうです。
今は4軒とも現存しておらず、「本陣○○屋跡」の碑が建っているだけでした。

その頃を偲ばせるノスタルジックな町並みが今も残っています。

前のブログの道の駅を出、国道250号を少し進むと室津へ下りていく「友君橋」という陸橋があります。その橋を降りると「友君橋下駐車場(駐車無料)」があり、ここに車を停めて、まずは室津海駅館と室津民俗館へ行きました。

ただ、駐車場から少し離れているので、しばらく歩かないといけませんが...。

今は室津港は普通の漁港なので、沿道には鮮魚や貝(牡蠣)などの販売所が並んでいました。
訪れたのが平日で、観光客もおらず、お店は閉まっているようでしたが、休日はお店も賑わっていると思います。

室津港から見た室津の町の写真
↑室津港ごしに見た室津の町。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)

↓ノスタルジックな室津の町並み。電柱・電線は余計ですが、アスファルトでなく、石畳みなのがいいです。
ノスタルジックな室津の町並みの写真ノスタルジックな室津の町並みの写真
ノスタルジックな室津の町並みの写真ノスタルジックな室津の町並みの写真

室津診療所の写真
↑たつの市立室津診療所です。こう見えて現役の医院だそうです。

室津海駅館の写真
↑室津海駅館。江戸時代の廻船問屋「嶋屋」という豪商だったところです。

廻船の模型や航路など廻船について、船の積荷のこと、江戸時代の参勤交代と室津についてのことや、本陣の模型や資料(宿帳の展示も)、本陣での大名料理(これは写真や絵ではなく碗に食品サンプルを盛り付けて膳に乗せ実物のように展示してありました)、シーボルトや朝鮮通信使も江戸への途中に船で室津を経由したそうで、シーボルトが室津について書いた本や絵、朝鮮通信使のことや、朝鮮通信使に出した料理も展示してありました。

室津海駅館は2階建てで、2階にも部屋が有り、見学順路になっています。軒が低いので、船底天井になっている部屋もありました。

室津海駅館の写真
海駅館のすぐ裏が室津漁港なので、2階から海が見えます。

喫茶室になっている部屋もあって、座敷で冷たい飲み物が注文出来たり、予約をしておけば大名料理も味わうことができるそうです。

室津民俗館の写真
↑海駅館から歩いてすぐのところにある「室津民俗館」。
ここも江戸時代に海産物問屋「魚屋」という豪商だったところです。

古い家具や衣装、ひな人形が展示してありました。

こちらも2階がありますが、2階へ上がる階段が、隠し階段になっていて、狭くて、1段1段が高くて、急です。

室津では、8月29日まで、町中で、「八朔のひな祭り」というイベントをやっています。

室津民俗館の写真室津民俗館の写真
↑室津民俗館の裏にある庭。

室津民俗館の写真
民俗館の2階から見た裏庭。サルスベリがきれいに咲いていました。
奥に見える建物は「見性寺」というお寺です。

室津民俗館の写真
↑裏庭から見た室津民俗館。

海駅館、民俗館とも、月曜日が休館で、ともに入館料:大人200円。ただし、共通券があって、こちらの方が大人300円で、別々に払うより100円お得です。
館自体に駐車場は無し。友君橋下駐車場(無料)から徒歩。

↓詳しくはコチラ
たつの市観光協会の室津海駅館民俗館のページへリンク

兵庫県たつの市御津町室津を日帰り観光(その1) 道の駅みつ

2010年08月20日 19時51分23秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
兵庫県たつの市御津町室津を日帰り観光してきました。

室津へ向かう途中に、国道250号線にある“道の駅みつ”へ立ち寄りました。

初めて立ち寄ったのですが、なかなかのお勧めスポットなので、室津のブログを書く前にここも紹介をしたいと思います。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
「道の駅みつ」の建物の写真
↑海側から見た道の駅みつの建物。

ここには、海が展望できるシーサイドレストラン、地元産の魚介類・干物・野菜類・加工品・菓子等が販売されている特産品直販店(宅急便で配達もして下さるそうです)、情報コーナー、授乳室に、体験学習室までありました。“夏休み親子体験教室”などイベントも行っているそうです。

建物の内外にたくさん休憩コーナー(ベンチ)もありました。
「授乳室」のある道の駅は珍しいと思います。

「道の駅みつ」から見た海の景色の写真
↑道の駅からの景色。
道の駅の建物の目の前が、海~!

「道の駅みつ」から見た海の景色の写真
↑海に向いたベンチがたくさん置いてありました。
真夏の炎天下なので、座っている人はいませんでしたが、夕暮れや夜は気持ちいいでしょうねぇ~。
(“真夏の炎天下”用に、きちんと建物の庇の下にも海に向いたベンチがありました。)

元々は石ころの浜だったようです。そこに砂を敷いて、親水公園になっていました。足洗い場まで用意されてあります。
ただし、遊泳禁止です。

「道の駅みつ」の屋上展望デッキの写真
↑道の駅の建物の屋上は展望デッキになっています。夜はイルミネーションツリーが点灯されるみたいでした。

道の駅みつの写真
9月30日まで予約制の「トワイライトバーベキュー」を開催しているそうです(16:00~21:00)。
屋上や海側の屋外にバーベキューテラスもありました。

毎週水曜日が定休日。道の駅なので、もちろん駐車場は無料。
↓体験学習会やイベント、トワイライトバーベキューの予約など詳しくはこちら
道の駅みつの公式サイトへリンク

国土交通省近畿地方整備局 近畿道の駅のサイトの「道の駅 みつ」のページへリンク

奈良県五條市西吉野町を日帰り観光(その3) 柿博物館 一の木ダム

2010年08月17日 22時20分32秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
次も五條市西吉野町観光の続きです。

次は、国道168号線から少し東に行ったところにある“一の木ダム”と“柿博物館”です。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
一の木ダムの写真
↑一の木ダム。

柿博物館へ行くには、このダムの上の道路を渡って行きます。
一の木ダム湖の写真
ダム湖の外周道路のあちこちに駐車スペースや芝生広場が整備してありました。
一の木ダム湖畔広場の写真
五條市外からも近く、センターラインのある走りやすい道でダムまで行けるので、都会から訪問しやすいダムです。

柿博物館の写真
↑柿博物館
一の木ダムを渡って、しばらく狭い道を進むと奈良県果樹振興センターというところに着きます。その敷地の中に柿博物館があります。

建物が柿の形をしています。右側の芝生側にあるのは「葉っぱ」の形をしたベンチだそうです。「葉っぱ」ベンチは反対側にもありました。
「上から建物を見てみたい」と思いました。

五條市には柿の果樹園が広がっていて、日本有数の柿の産地だそうです。この辺りでは、鯖や鮭の押し寿司を柿の葉っぱで包んだ「柿の葉すし」というのも名物になっています。

ここでは、柿の品種や産地、柿の加工品、柿の歴史や食べ方(渋味の抜き方)から、柿渋染めの作品、柿の栽培のときに使う道具なども展示されていました。

完全甘柿とか不完全渋柿などと分類されるそうです。柿にこんなに種類があることを知りませんでした。
柿博物館の写真
柿博物館の後ろには芝生広場や東屋、そして、もちろん柿の木も植わっていました。
柿博物館の写真
芝生広場には池もありました。
柿博物館の写真
柿博物館は、山の上の方にあるので、芝生広場にはベンチのある展望台もあり、遠くの山まで見渡せました。
柿博物館の写真
桜の木も何本も植わっていたので、春はきれいでしょうね。
↑サルスベリがきれいに咲いていました。

柿博物館は、毎週月曜日が休館日。入館料は無料!
駐車場も無料!
↓詳しくはこちら
五條市観光協会の柿博物館のページへリンク

奈良県果樹振興センターの柿博物館のページへリンク

五條市大塔町・西吉野町観光のブログはここまで。

奈良県五條市西吉野町を日帰り観光(その2) 南朝の隠れ郷 賀名生の里 賀名生皇居跡

2010年08月16日 09時59分20秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
前のブログの続き、次は大塔町のお隣、五條市西吉野町です。(合併前は奈良県吉野郡西吉野村だったところです)

次に訪問したところも、同じく国道168号線沿いにある“賀名生(あのう)の里”です。

賀名生(あのう)というのは、ここの地名です。

ここは、今から六百数十年前の南北朝時代、後醍醐天皇の建武の新政の後、天皇家が、京都の北朝と、奈良・吉野の南朝に分裂をした頃、この地はその南朝の後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の行宮となったところだそうで、賀名生皇居跡、歴史民俗資料館、伝承館、北畠親房公之墓があります。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大表示できます。)
賀名生(あのう)の里歴史民俗資料館の写真
↑左の細長い建物が歴史民俗資料館で、右の建物は伝承館です。

伝承館は、公民館的な役割のようで、俳句会や生け花などの催しや講演会の会場として貸室をしているところです。

賀名生(あのう)の里歴史民俗資料館の写真
↑歴史民俗資料館は、南朝の宝物や西吉野のくらしの道具(山の中なので田畑が無く、林業や養蚕でくらしていた時の道具)から、直木賞の直木三十五の直筆の履歴書や、昭和初期にアメリカから送られた青い目の人形「パトリ」なども展示されていました。

直木三十五の直筆の履歴書がここに展示してあるのは、直木三十五が、この旧西吉野村の白銀尋常小学校というところの代用教員をしていたことがあったからだそうです。

また、後醍醐天皇から賜ったという、「駅鈴」や「天目台」“日本最古”と伝えられている「日の丸御旗」も展示されています。

そして、特別展示として「孝明天皇(明治天皇のお父様)御使用の御机」が展示されていました。

こんな山の中なのに、珍しい貴重なお宝がいっぱいでした。

賀名生(あのう)皇居跡堀家住宅の写真
↑歴史民俗資料館のすぐ目の前にある堀家住宅
ここが賀名生皇居跡です。

後醍醐天皇が吉野山に向かう途中、この西吉野にも寄られ、この地の郷士 堀家の先祖、「堀孫太郎」という人の邸宅に迎えられたそうです。

その後の南朝の天皇たちもこの堀家邸宅を行宮としたので、「賀名生皇居跡」と呼ばれているそうです。

今もその子孫の方が住んでおられ、一般公開はしていませんが、予約をすれば、中を見せて下さるそうです(有料:300円)。

国の重要文化財に指定されています。

↑門の前の大木は枝垂れ桜で、他にも梅や柿の木もたくさんあり、花の咲く頃に再訪してみたいと思いました。

賀名生皇居跡堀家住宅の写真
↑堀家邸宅の門には“賀名生皇居”の額がかかっていました。

前のブログで書いた幕末の「天誅組」が反幕府軍として追われることになり、天誅組とも関わったこの堀家が戦いに巻き込まれ、家が焼かれることのないよう、天誅組の吉村寅太郎という人が“皇居”と書き、門に掲げてくれたそうです。

門に掲げてある扁額は複製のようで、これの本物も歴史民俗資料館に展示してありました。

賀名生(あのう)の里の写真
堀家住宅の横には川が流れており、そこに架かっていた橋には“皇居前橋”という名前が付いていました。

賀名生の里石碑の写真
↑歴史民俗資料館から400mほど山を登っていくと北畠親房公之墓があります。その墓の前に「南朝三帝賀名生皇居址」の石碑が建っていました。

北畠親房公之墳墓の写真
↑南北朝時代、南朝の指導者役だった北畠親房の墓。
もみじの大木があり、秋は紅葉がきれいでしょうね。

歴史民俗資料館は、毎週月曜日と祝日の翌日が休館日で、入館料は大人:300円です。
無料駐車場有り。
五條市の賀名生の里歴史民俗資料館のサイトへリンク
↑リンク先には、地名の「賀名生」をどうして「あのう」と読むか、も書いてあります。
五條市街から国道168号線を十津川方面へ、2つ目のトンネルを抜けたところ、大きな看板が有り、すぐに分かります。

奈良県五條市大塔町を日帰り観光(その1) 大塔コスミックパーク星のくに

2010年08月14日 13時21分16秒 | 旅・ドライブ(奈良県)
奈良県五條市大塔町・西吉野町を日帰り観光してきました。(平成の大合併をする前は、奈良県吉野郡大塔村・西吉野村だったところです。)

まず、訪れたのは、国道168号線沿いにある“大塔コスミックパーク星のくに”です。

ここは、天辻峠という山の中のかなり高台にあり、周りに民家や明かりもなく、夜、星を観察するのに適しているらしく「星のふるさと」として、天文台(450ミリ望遠鏡があるそうです)や星見台、プラネタリウム館もあります。

「ロッジ 星のくに」という宿泊施設(ロッジ館内には展望温泉「星の湯」という大浴場もあるそうです)から、天体観測ドーム付きのバンガロー、バーベキューハウスに、こちらも宿泊ができるログキャビンまであり、宿泊をすると天文台で天体観測会に参加できたり、望遠鏡の貸出しサービスもしているそうです。

その他、道の駅やお食事処、郷土資料館、ちびっこゲレンデ(芝生広場)も併設されており、宿泊をしなくても楽しめます。

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大塔コスミックパーク星のくにの写真
↑大塔プラネタリウム館(遠景)
プラネタリウム館前にも駐車場(無料)があります。

大塔コスミックパーク星のくにの写真
↑プラネタリウム館の入り口にある看板
と~っても大~きなパラボラアンテナに絵が描いてあって、遠くからも目立ちます。

大塔コスミックパーク星のくにの写真
↑プラネタリウム館(近景)
100席くらいの大きさですが、プラネタリウムの機械や上映番組は本格的でした。

ロビーには、星の写真や星座の絵、宇宙船の模型などが展示してありました。

また、江戸の花火屋「鍵屋」の初代 鍵屋弥兵衛という人が、この奈良県五條市大塔町篠原というところの出身だそうで、鍵屋弥兵衛さんのことや花火の歴史年表も展示されていました。

道の駅吉野路大塔の写真
↑道の駅吉野路大塔
建物は「宇宙」に因んで「UFO」をモチーフにしてあるそうです。
2階にレストランと、物産館があり、この日は2階の入口前で、鮎の塩焼きを販売していました。

大塔郷土館の写真
↑大塔郷土館

この旧大塔村も幕末の動乱の舞台になっていて、(大河ドラマ「龍馬伝」でも出てくる“土佐脱藩浪士”“尊王攘夷”というキーワードがありますが)この郷土館のすぐ上の方に、大政奉還のわずか4年前に土佐脱藩浪士らで構成された尊王攘夷派の「天誅組」という武装集団の本陣跡があります。(石碑が建っているだけだそうですが)

↑だからここに「維新胎動の地」の碑が建っています。

大塔郷土館の写真
↑茅葺き民家を再現した建物は、お食事処になっていて畳の部屋に上がって囲炉裏端で食事ができます。
また、土間やかまども再現してあって土間ではお土産や昔の玩具などの販売をしていました。

もちろん食事やお土産は有料ですが、大塔郷土館への入場は無料です。

大塔郷土館歴史の蔵の写真
↑茅葺き民家の隣にある「歴史の蔵」です。
ここが、歴史資料館になっています。この蔵の見学は有料(中学生以上200円)です。

その天誅組についての資料や、ビデオ映像、旧大塔村の民俗芸能について、昔の仕事道具や生活道具の展示、そして、後醍醐天皇から始まる南北朝時代の南朝ともこの地は所縁があるそうで、南朝についての展示もありました。

大塔郷土館護良親王像の写真
↑郷土館の前にある後醍醐天皇第三皇子大塔宮護良(もりなが)親王の像です。

鎌倉幕府軍と戦ったそうで、その追手から逃れてこの地にもしばらく暮らしておられたそうです。

大塔村という地名は、明治時代にその護良親王の宮家の名前から取ったそうです。
(それまでは“十津川郷”と呼ばれていたとか)

大塔郷土館ちびっこゲレンデの写真
↑郷土館のすぐ上には芝生広場があり、その一角にはソリ遊びが楽しめるゲレンデもありました。

ソリは郷土館で借りることが出来ます。

大塔郷土館からの眺めの写真
↑郷土館(天辻峠)からの吉野山地の眺望

道の駅と大塔郷土館は、毎週水曜日が休館日。
プラネタリウム館は、春休み・夏休み期間と、土・日・祝日のみ一般上映。
大塔郷土館の歴史の蔵は、入館料:大人200円。
プラネタリウム館は、入館料:大人500円。
道の駅はもちろん、大塔郷土館・プラネタリウム館それぞれに無料駐車場有り。

↓プラネタリウムの上映時間や地図、星空観測や宿泊、郷土館、道の駅のことなど詳しくはこちら
大塔コスミックパーク星のくに のサイトへリンク

お盆の渋滞を避け、近場の安価観光 茨木市立文化財資料館

2010年08月13日 19時34分34秒 | 旅・ドライブ(大阪府)
近場の安価観光シリーズの続きです。

次は、大阪府茨木市 阪急電車・大阪モノレール南茨木駅周辺を散策、茨木市立文化財資料館です。

南茨木駅周辺は、東奈良遺跡という弥生時代の遺跡があったところで、茨木市立文化財資料館はその遺跡の真上に建っています。

茨木市立文化財資料館の写真
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茨木市内の古墳・遺跡から発掘された石器、土器、稲作の石包丁、勾玉、銅鏡、銅鐸から、古墳や墳墓、隠れキリシタンの資料、江戸時代の西国街道、近世の民俗資料、戦争に関することまで、旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代~明治・大正・昭和初期まで各時代ごとに実物やパネル、模型などで展示されていました。

館内も広くて、展示数も多く、充実していました。「もっと市外の人にも宣伝すればいいのに」と、ちょっと思いました。

東奈良遺跡から銅鐸と銅鐸の鋳型が発見されたそうで、ここには鋳造の工房があったようです。
その展示は興味深かったです。

この夏休みの期間中、資料館のロビーで、企画展「茨木遺跡発掘調査展」を開催していました。

茨木遺跡は茨木城(1428~1617年にこの地にあった城)の堀とみられているところで、瓦や陶磁器、古銭から、引戸・障子・欄間などの建具も出土し、それらも復元展示されていました。

銅鐸の鋳型(複製)の碑の写真
文化財資料館のすぐ裏手が、東奈良史跡公園で、ここには、銅鐸の鋳型をかたどった碑や、はにわの複製がたくさん並べられてありました。
東奈良史跡公園の写真

史跡公園にある土蔵の写真
↑また、史跡公園の一角には、江戸時代(1789年)に建てられた米蔵が移築されてありました。

文化財資料館の脇にある道標の写真
米蔵の手前(資料館の脇)には(もともとこの地にあったのか移設したのかは分かりませんが)明治時代の道標も建ってありました。

阪急南茨木駅の東口から東へ300mほど。
駐車場は無し。
歩いてすぐのところに、南茨木駅前東駐車場(有料)があります。
毎週火曜日と祝日の翌日が休館日で、茨木市内在住の方は入館無料ですが、市外在住の方が見学をする場合は、入館料:大人200円です。

↓詳しくはこちら
茨木市立文化財資料館のサイトへリンク

お盆の渋滞を避け、近場の安価観光 枚方市 淀川資料館 枚方宿鍵屋資料館

2010年08月12日 13時07分50秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
道路交通情報センターの渋滞予測で、「中国自動車道 宝塚トンネル先頭 渋滞20km」なんていうのを見たら高速道路での遠出は避けたくなります。

ゴールデンウィークに引き続き、近場の安価観光シリーズ。

今回は、京阪電車枚方市駅周辺を散策、淀川資料館と枚方宿鍵屋資料館です。

まずは、淀川資料館です。ここも入館料無料の博物館です。
淀川資料館の写真
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淀川に生息している外来種の魚や、天然記念物で国内希少野生動植物種のイタセンパラなどの解説や、実際に水槽で飼育されている魚もたくさん展示されていたし、河川敷の動植物など、淀川の環境についての展示室と、昔から淀川は京の都と大坂を舟で結ぶ水運に利用されてきたそうで、その歴史について展示してあるコーナーもありました。

また、土砂が堆積して水深が浅くなると船が通れなくなるし、昔はたびたび氾濫して洪水も起こしたので、浚渫や治水の工事についての展示室もあり、歴史年表に、淀川の航空写真、明治時代の工事図面や観測器具、映像展示もしてありました。

企画展も年数回開催されているそうで、この日は、淀川上流の木津川流域の絶滅危惧植物の標本や流れ橋(上津屋橋)の紹介展が開催中でした(8月23日まで)。

この展示ボリュームで入館無料はお得!

夏休みということで、近くの小学生が何人も来ていて絵日記を書いていました。

淀川河川公園枚方地区の写真
淀川資料館のすぐ北側が河川公園です。

毎週火曜日が休館。入館無料。
京阪電車枚方市駅から北西に徒歩7分くらい。
無料駐車場有り(3台)。
日曜・祝日のみ利用できる淀川河川公園枚方地区の北の方にある臨時駐車場からもすぐです。

↓詳しくはこちら
淀川資料館の公式サイトへリンク

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淀川資料館から枚方宿鍵屋資料館までは(徒歩15分くらい)、旧東海道(京街道)を通って歩いて行くと、古い町屋もところどころ残っていて風情があります。
旧東海道(京街道)沿いの古い町屋の写真
旧京街道の途中には道標が何本も建っていました。また、今は建物は無く公園になっていましたが、本陣跡もありました。

枚方市立枚方宿鍵屋資料館の写真
↑枚方市立枚方宿鍵屋資料館です。

ここは、江戸時代には川原がなく、すぐ裏まで淀川が流れていたそうで、三十石舟の船待ちの宿として栄え、平成9年まで料理旅館「鍵屋」として続いていた建物です。

枚方市立枚方宿鍵屋資料館の写真
主屋と別棟の二棟があり、別棟は昭和3年の建築だそうで、京街道枚方宿の資料や古陶器、大名行列や“くらわんか舟(三十石舟の乗客に食べ物や飲み物を売っていた小舟)”の模型、書画や古道具、映像展示もありました。

枚方市立枚方宿鍵屋資料館の中庭の写真
四名以上で予約をすれば、別棟2階の大広間で料亭の和風弁当をいただけるそうです。

枚方市立枚方宿鍵屋資料館の主屋内部の写真
主屋は1811年(江戸時代11代将軍徳川家斉の頃)の築というのが分かっているそうで、土間のかまどに、板張りの店の間、そして奥には畳敷きの客間が7部屋もあります。

昔の火鉢や籠、箪笥や小道具、解体修理をした時の古い壁の一部なども展示してありました。

主屋の裏手には小さな中庭や蔵もあります。

毎週火曜日が休館。入館料:大人200円。
京阪電車枚方公園駅から西北西に徒歩5分くらい。
駐車場無し。少し西隣にコインパーキング有り。ただ、このコインパーキングへは一方通行の細い道を通ります。
枚方地区淀川河川公園の南側にある有料駐車場からも徒歩すぐです。こちらは入庫出庫しやすいです。

↓詳しくはこちら
枚方市立枚方宿鍵屋資料館の公式サイトへリンク

兵庫県猪名川町を“無料で”日帰り観光(その5)旧冨田邸静思館

2010年08月04日 15時16分01秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
前のブログからの続き、猪名川町を『無料』で日帰り観光の紹介、第5段!

今回紹介をするのは、「旧冨田邸 猪名川町立静思館」です。
(※このブログ中の写真は全てクリックをすると拡大します)
旧冨田邸 猪名川町立静思館の写真
ここは、明治5年に猪名川町で生まれた資産家 冨田熊作氏(1872~1953)が、昭和7年から3年かけて建てたお屋敷で、猪名川町が譲り受け、一般に公開しているところです。
母屋、蔵、門、塀など全てが国登録有形文化財になっているそうです。

冨田熊作氏は、東洋古美術を扱う商社のロンドン支店長を勤めていたほどの方で、自身も古美術をコレクションされていたそうです。

そのコレクションの一部は、前のブログで書いた「ふるさと館」に展示してありました。
ふるさと館ではこの冨田熊作氏のこともパネルで紹介してありました。

静思館入口の門の写真
↑静思館入口の門

静思館の門へと続く道の写真
↑門へと続く道

静思館の母屋妻面と離れの写真
茅葺き、総檜造りの母屋には、7部屋と土間の台所、離れには茶室もありました。

静思館の土間とかまどの写真
↑土間の台所のかまど

静思館の母屋の室内の写真
↑部屋の様子
部屋の中に上がって見学が出来ます。

静思館の内庭と茶室の写真
↑内庭と茶室

静思館の道具部屋、炭部屋、味噌部屋と土蔵の写真
↑道具部屋、炭部屋、味噌部屋と、一番奥は二階建ての蔵

静思館の土蔵の写真
↑母屋の裏には瓦葺き二階建ての蔵が三棟も建っています。

静思館の井戸と給水塔の写真
↑母屋と蔵の間にある井戸と、その上にある櫓は給水塔です

高いところから水が落ちる力を使って、当時としては大変珍しい水洗式トイレだったそうです。


↓詳しくはこちら
静思館(猪名川町文化協会)のサイト

猪名川町の静思館のページ

猪名川町観光協会の静思館のページ

毎週月曜日が休館で、入館料は無料。
駐車場は、すぐ隣の猪名川町役場の駐車場を利用(無料)
役場の駐車場脇には静思館の裏門があります。

猪名川町のブログはとりあえずここまで。

兵庫県猪名川町を“無料で”日帰り観光(その4)木喰仏と屏風岩

2010年08月03日 11時35分14秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
今回も引き続き猪名川町日帰り観光、第4段です。

次は「東光寺」と「屏風岩」です。

東光寺山門の写真
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大します)

奈良時代に行基上人が開いたといわれているそうです。

山門への階段の両側にあじさいが植わっていたので、梅雨の時期はきれいでしょうね。

東光寺本堂の写真
東光寺境内の写真
本堂の前には蓮の鉢植えもありました。

ここは、江戸時代の遊行僧木喰上人が、90歳の晩年に立ち寄ったところだそうで、15体の木喰仏が奉納され、14体が現存しているそうです。そのすべてが兵庫県指定文化財になっているそうです。

東光寺子安観音の写真
↑境内にある木喰仏のひとつ「子安観音」
元々は生い茂っていた椎の大木に木喰上人が鑿をふるい、この観音像を彫ったそうですが、明治時代初期に落雷により椎の木が枯れ、その後お堂が作られ、今はその中にお祀りされていました。
安産や育児に御利益があるそうです。

境内と子安観音の拝観は無料(自由拝観)。ただ、ご本尊やそのほかの木喰仏などの拝観は要予約(無料)とのこと。
無料駐車場あり。

↓詳しくはこちら。予約のための電話番号も載っています。
猪名川町の東光寺の紹介ページへリンク

猪名川町観光協会の東光寺の紹介ページへリンク

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屏風岩の写真
↑「屏風岩」
猪名川が、この岩壁のせいで、ここで90度曲がって流れています。

春は桜、夏の夜は蛍、秋は紅葉、と四季折々の景観美の景勝地で、夜間ライトアップもしているそうなのですが、対岸にはホテルや建設会社の資材置き場が立ち並び、ホテルの部屋からは景色を間近に眺められるようです。
でも、一般観光客用の遊歩道などはいっさい無く、県道が猪名川を渡る橋からの眺めや、猪名川横の田んぼの畦道からの眺めを見るだけしかできません。

屏風岩の写真
また、この橋も、屏風岩側に歩道がなく、交通量も多いので少し危険です。

「遊歩道や駐車場を整備すればいいのに」と思いました。

駐車場が無いので(ホテルの宿泊客用の駐車場はあるのですけれどねぇ)、「道の駅いながわ」に車を停め、歩いて500mくらいです。(こちらのルートは歩道が整備されています)
もしくは、阪急バス・ふれあいバス:屏風岩バス停下車すぐ。

東光寺の駐車場からの方が近いのですが、こちらは歩道が無く、交通量も多いので、少し危険です。

猪名川町の屏風岩の紹介ページへリンク

猪名川町観光協会の屏風岩の紹介ページへリンク

屏風岩の対岸にあるホテルのページへリンク(夏は川床もやっているそうです)

兵庫県猪名川町を“無料で”日帰り観光(その3)ふるさと館

2010年08月02日 19時49分19秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
今回も猪名川町散策の続きです。
次は「猪名川町立ふるさと館」です。

ここは、歴史民俗資料館のほか、催し物や講座が開かれる催し会場、陶芸窯もある創作室、木製遊具や野外ステージもある芝生広場、猪名川の親水公園、ゲートボール場などもある複合施設です。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大します)
ふるさと館本館の写真
↑歴史資料・民俗資料の展示室と事務室のある“ふるさと館”本館です。

昔の仕事道具(例えば機織り機や糸紡ぎ機、分銅秤や大八車の車輪、農具・工具など)の展示から、昔の住まい(土間、かまど、囲炉裏端の居間)が復元してあって、昔の生活道具(行燈、提灯、火のし(昔のアイロン)、箪笥や食器、桶、樽など)が展示してあったり、昔の貨幣・紙幣、昔の教科書、戦時中の時の資料、猪名川町の文化財のパネル展示、農村歌舞伎や浄瑠璃の資料も展示してありました。

本や資料の閲覧コーナーもあり、刊行物の販売もしていました。

屋外にも、昔の手押し式消化ポンプや、米の選別をする“とうみ”という道具や、水を田んぼに汲み上げていた足踏み水車なども展示されていました。

ふるさと館芝生広場の写真
↑ふるさと館の裏を流れる猪名川の河川敷にある芝生広場です。

遊具や野外ステージもあり、ここでコンサートが開かれることもあるそうです。

ふるさと館芝生広場親水公園の写真
↑猪名川の本流。

対岸に見える岩肌は、猪名川町にある“屏風岩”という景勝地に似ていることから“孫屏風”と呼ばれているそうです。

ふるさと館芝生広場親水公園の写真
↑猪名川の水を芝生広場に引き込んできている水路。

とても浅く、流れもゆるいので、小さなお子さんでも遊べる親水公園になっていました。

毎週月曜日が休館。入場無料。無料駐車場あり。
↓詳しくはコチラ
猪名川町のふるさと館のサイト