兵庫県猪名川町を散策してきました。
今回訪問をしたのは、「多田銀銅山跡」「悠久の館」「ふるさと館」「静思館」「屏風岩」「東光寺」です。
なんと全て入館・入場・拝観無料! おまけに駐車場も無料!
すごいぞ!猪名川町!
今回もたくさん訪れたので、数回に分けてブログを書いていきます。
まずは、「多田銀銅山跡」と「悠久の館」です。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大します)
↑多田銀銅山跡の入り口にある「悠久の館」です。このあたりは、住所自体が「猪名川町銀山」というそうです。
「多田銀銅山跡」を散策するなら、まずは「悠久の館」で多田銀銅山についてお勉強をしてから行くといいです。
多田銀銅山の歴史や、鉱石、昔の絵図や古文書、昔の採掘道具や湧き水を汲み上げるための竹製のポンプ、丸太に切り込みを入れたはしご、さざえの貝殻の灯明皿、「ふいご」や「るつぼ」など精錬の道具、高札場に掲げられていたお触書、代官所跡遺跡の発掘調査の写真、代官所の復元模型などが展示してありました。
昔の鉱夫の人は、裕福な生活が出来たそうですが、今のようにマスクなどなく、粉塵を吸いこむので、肺病になりやすく、平均年齢が30歳くらいだったのですって。
多田銀銅山は、奈良時代の東大寺大仏の建立の際、ここで採掘した銅が使われたといわれているほど、歴史があるところだそうです。
悠久の館は、月曜日が休館で、入場無料。無料駐車場あり。
猪名川町の「悠久の館」のページへリンク
↑代官所跡の遺構
「悠久の館」のすぐ横には銀山川が流れており、その対岸が江戸時代の代官所跡の遺構です。
石垣がまだ残っていました。昔はここに橋がかかっていたそうです。
「悠久の館」からすぐのところにある、銀山川にかかる銀山橋。この橋のたもとに高札場跡があります。
↑お触書をを掲げていた高札場跡です。
お地蔵さまが祀られていました。
銀山橋から少し歩くと、元は代官所の門であったものを移築したと伝えられている門があります。
代官所にあった時は、馬に乗ったままでも通れるほど高い門であったのを、移築の際に足もとを切ったのでこの高さになったそうです。
代官所の門のすぐ手前に「甘露寺」というお寺がありました。
6世紀の開基と伝えられているそうですが、今は墓地と木造トタン張りの庫裡があるだけでした。
ここからがいよいよ銀銅山の昔の坑道跡へ進んでいくのですが、写真が多いので、続きは次回のブログで。
今回訪問をしたのは、「多田銀銅山跡」「悠久の館」「ふるさと館」「静思館」「屏風岩」「東光寺」です。
なんと全て入館・入場・拝観無料! おまけに駐車場も無料!
すごいぞ!猪名川町!
今回もたくさん訪れたので、数回に分けてブログを書いていきます。
まずは、「多田銀銅山跡」と「悠久の館」です。
(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大します)
↑多田銀銅山跡の入り口にある「悠久の館」です。このあたりは、住所自体が「猪名川町銀山」というそうです。
「多田銀銅山跡」を散策するなら、まずは「悠久の館」で多田銀銅山についてお勉強をしてから行くといいです。
多田銀銅山の歴史や、鉱石、昔の絵図や古文書、昔の採掘道具や湧き水を汲み上げるための竹製のポンプ、丸太に切り込みを入れたはしご、さざえの貝殻の灯明皿、「ふいご」や「るつぼ」など精錬の道具、高札場に掲げられていたお触書、代官所跡遺跡の発掘調査の写真、代官所の復元模型などが展示してありました。
昔の鉱夫の人は、裕福な生活が出来たそうですが、今のようにマスクなどなく、粉塵を吸いこむので、肺病になりやすく、平均年齢が30歳くらいだったのですって。
多田銀銅山は、奈良時代の東大寺大仏の建立の際、ここで採掘した銅が使われたといわれているほど、歴史があるところだそうです。
悠久の館は、月曜日が休館で、入場無料。無料駐車場あり。
猪名川町の「悠久の館」のページへリンク
↑代官所跡の遺構
「悠久の館」のすぐ横には銀山川が流れており、その対岸が江戸時代の代官所跡の遺構です。
石垣がまだ残っていました。昔はここに橋がかかっていたそうです。
「悠久の館」からすぐのところにある、銀山川にかかる銀山橋。この橋のたもとに高札場跡があります。
↑お触書をを掲げていた高札場跡です。
お地蔵さまが祀られていました。
銀山橋から少し歩くと、元は代官所の門であったものを移築したと伝えられている門があります。
代官所にあった時は、馬に乗ったままでも通れるほど高い門であったのを、移築の際に足もとを切ったのでこの高さになったそうです。
代官所の門のすぐ手前に「甘露寺」というお寺がありました。
6世紀の開基と伝えられているそうですが、今は墓地と木造トタン張りの庫裡があるだけでした。
ここからがいよいよ銀銅山の昔の坑道跡へ進んでいくのですが、写真が多いので、続きは次回のブログで。