記念カード発売の大混乱に、ふ~ん、鉄道マニアって多いんだ・・・・。
と思っていたら、はなから転売目的の人もいて、すぐに10倍、15倍の値がついていました。
世の中は金と女が仇なり・・・・というのは今も変わらないようで。
昔の駅舎の形に復元されるには、多くの人たちの努力があったようです。
変哲のない駅ビルに作り変えられるよりはよほどよかった、と思っています。
その新装なった佇まい、わざわざ写真を撮りに行ったほどでした。
開業100年というと、できたのは大正初期・・・・関東大震災でも壊れなかったようです。
それが空襲という人災で破壊されたというのも皮肉な話。
ともかく現代風のビルに作り変えられたら、興味も関心も湧かなかったことでしょう。
その東京駅からブルトレの一日運行もあったようです。
たぶん、わたしもブルトレには何度か、でも、40年以上昔のことでよく覚えていません。
たそがれ時の東京駅を出て、朝、広島に到着、サウナに駆け込んだ記憶が・・・・。
時代は寝台列車より、もはや新幹線になっていました。
最初が大阪、あとは、名古屋、広島、博多・・・・けっこう出張の多い現役でした。
あとは熊本、これはさすがに列車では時間がかかりすぎ、往復とも飛行機。
北の方面の札幌、仙台、これはまだ新幹線はなくいずれも飛行機でした。
飛行機に乗り始めると、新幹線では時間が長く感じられ、大阪でも飛行機を使うように。
伊丹から最終便で東京へ帰って来ることもよくありました。
一度、羽田空港に着陸できずに大阪に逆戻り、翌早朝の臨時便で帰京したことも。
小型飛行機が道?に迷って羽田上空をうろうろ・・・・たしかそんな理由でした。
高度成長期、羽田沖での墜落、御巣鷹山の事故などの大参事が起きた時代でもありました。
駅や交通機関には、旅と云うより仕事と密着した記憶がはるかに多く残っています。
でも、仕事でも息抜きの旅行でも、リニア新幹線には乗ることは確実にないでしょう。