宜野座村松田(旧古知屋村)には、「門屋前広場、カニペークガー、後ヌ御嶽、メーガー洞、坊主墓、松田鍾乳洞、神アサギ」など、松田の歴史を考える上で大切な、多くの遺跡が残されています。遺跡説明板が設置されている石柱装飾「シーサー」の鮮やかな色彩が印象的でした。
01-0610 門屋前広場
02-0610 門屋前広場
03-0610 門屋前広場
04-0610 松田鍾乳洞周辺案内
05-0610 松田鍾乳洞周辺案内
06-0610 カニペークガー
07-0610 鮮やかな色彩のシーサー
08-0610 カニペークガー
「カニペークガー…平地に穴を掘った昔の溜め池跡で、隣接する旧家のニーブ屋が管理する拝井(ウガミガー)となっています。その昔、後ヌ御嶽は火所(ヒードゥクル)で、その返しとしてカニペークガーが造られたという話が伝わっています。」
09-0610 カニペークガー
10-0610 カニペークガー
11-0610後ヌ御嶽
12-0610 後ヌ御嶽
13-0610 後ヌ御嶽
「後ヌ御嶽…後ヌ御嶽とは、古知屋(現:松田)の村の北側にある小高くなった森のことを指し、森の南面部に祠が建つ祖霊神御嶽で、旧家であるニーブ屋の授かりとなっています。琉球王府編纂の『琉球国由来記』には『カナヒヤゴ嶽』(神名ヨミチヨノ御イベ)と記載されており、同じく琉球王府編纂の『琉球国旧記』には『加那百嶽(かなひやごたき)』(神名 弓忠威都、よみちよのいべ)」と記載されています。なお、後ヌ御嶽は別名「カニマン御嶽」とも称され、御嶽の森の東側には鍛冶を営んだ跡が確認されています。」
14-0610 後ヌ御嶽
15-0610 メーガー洞
16-0610 メーガー遺跡
17-0610 メーガー遺跡
18-0610 メーガー遺跡
「メーガー遺跡(いせき)…メーガー遺跡(いせき)は、地下水(ちかすい)の流(なが)れる洞穴(どうけつ)が陥没(かんぼつ)してできた窪地(くぼち)につくられた遺跡(いせき)です。また、当地(とうち)は、松田(まつだ、旧古知屋村、きゅうこちやむら)に水道(すいどう)が普及(ふきゅう)するまで大切(たいせつ)な水場(みずば)でした。 メーガーの洞穴内(どうけつない)には、グスク時代(じだい)の土器(どき)、青磁(せいじ)、大型(おおがた)の巻き貝(まきがい)などが確認(かくにん)されている為(ため)、メーガーの周辺(しゅうへん)には、古(ふる)くから人々(ひとびと)の生活(せいかつ)があったようです。 また、松田(まつだ、旧古知屋村、きゅうこちやむら)には、メーガーに関(かん)する次(つぎ)のような伝説(でんせつ)が残(のこ)されています。 『その昔(むかし)、メーガーの洞穴(どうけつ)には大蛇(だいじゃ)が棲(す)み、村人(むらびと)から恐(おそ)れられていました。村人(むらびと)は、首里(しゅり)のお坊(ぼう)さんに大蛇(だいじゃ)の退治(たいじ)を頼(たの)み、お坊(ぼう)さんは御経(どきょう)を唱(とな)えて大蛇(だいじゃ)を退治(たいじ)しました。』 その後(ご)、お坊(ぼう)さんは村(むら)の娘(むすめ)を嫁(よめ)にもらい、松田(まつだ、旧古知屋村、きゅうこちやむら)で一生(いっしょう)を過(すご)ごしたそうです。メーガーの洞穴内(どうけつない)には、大蛇(だいじゃ)を退治(たいじ)したお坊(ぼう)さんの墓(はか)があり、現在(げんざい)も大切(たいせつ)に拝(おが)まれています。 また、沖縄戦時(おきなわせんじ)、メーガーの洞穴(どうけつ)には、古知屋村(こちやむら)や島尻(しまじり)から疎開(そかい)してきた人々(ひとびと)が避難(ひなん)していました。 メーガーの遺跡(いせき)は、松田(まつだ、旧古知屋村、きゅうこちやむら)の歴史(れきし)を考(かんが)える上(うえ)で大切(たいせつ)な場所(ばしょ、文化財、ぶんかざい)です。 2011年3月 宜野座村教育委員会」
19-0610
20-0610 メーガー洞入口
21-0610 メーガー洞入口
「メーカー洞入口…メーガーは、水道が普及するまで古知屋(現:松田)集落の大切な水場でした。現在は拝所泉として拝まれています。 メーガーの洞穴内は、地下を流れる川となっており、地下水はマンガー、メーガー、アシビナー、チブタ森を通り、クシ墓を経て太田原で湿地をつくり、潟原湾に流出します。なお、洞穴の長さは総延長が約800メートルとなっています。 また、メーガー洞穴内には、長い年月をかけて形成されたつらら石やフローストーン、洞穴サンゴ等の鍾乳石があります。」
22-0610 メーガー洞
23-0610 メーガー洞
24-0610 メーガー洞
25-0610 坊主墓
「坊主墓…村に伝わる伝承では、洞穴(メーガー)に大蛇が棲み人々を苦しめていたが、その大蛇を退治したのが、首里から金武を経て来たお坊さんであり、メーガーにはそのお坊さんの墓が残されています。坊主墓は、岩陰を利用した岩陰墓で、以前は粘土やシックイを用いずに、未加工の礫で墓口が密封されたものでした。 かつて、坊主墓の岩陰の上には祠が作られ、坊主御神として祀られていましたが、今は神屋の中に移され祠は残っていません。」
26-0610 坊主墓
27-0610 松田鍾乳洞たんけん
28-0610 松田鍾乳洞たんけん
29-0610 松田鍾乳洞たんけん
30-0610 松田鍾乳洞たんけん
31-0610 松田鍾乳洞たんけん
32-0610 松田鍾乳洞たんけん
33-0610 松田鍾乳洞たんけん
34-0610
35-0610
36-0610
37-0610 神アサギ
38-0610 神アサギ
39-0610 神アサギ
「神アサギ…神アサギとは、神を招請する村の祭祀場の事であり、壁がないのは神女だけの祭りではなく、村人全体の祭りであるが故に開け放した造りとなっています。また、軒が低く造られているのは不浄な家畜が入らぬように考えてのことと言われています。なお、松田の神アサギにおける二月ウマチー(麦穂花祭)、三月(熟麦穂祭)、五月ウマチー(稲穂祭)、六月ウマチー(熟穂祭)等の祭祀については、宜野座ノロが必ず臨席のもとに行われたと伝えられています。神アサギは、以前、ジョーヤ(門屋)の隣地にありましたが、昭和33年頃に現在の場所に移動しています。」
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