那覇市字真嘉比、ユニオン真嘉比店に隣接した場所、真嘉比中央公園内に、「真嘉比村」の説明板が設置されています。それにより、かつて、この地域は真嘉比村と呼ばれ、首里と那覇を結ぶ真嘉比道があったこと、周辺の丘陵には、多くの墓があり、幽霊話の舞台となったことなどがわかります。一帯は、区画整理事業により、急激に都市化が進行しています。
01-0504 真嘉比中央公園
02-0504 真嘉比村
03-0504 真嘉比村
04-0504 真嘉比村
「真嘉比村(マカビムラ)…琉球王国時代、現在の真嘉比(まかび)・古島(ふるじま)地域は、真和志間切(まわしまぎり)真嘉比村と呼ばれ、小字(こあざ)真嘉比原(ばる、現)真嘉比自治会館周辺一帯に集落が形成されていました。 1879年の琉球処分(沖縄県設置)の後、真和志間切真嘉比村は1908年真和志村(そん)字真嘉比となり、1920年には字真嘉比の北東地域が字古島として分離しました。 古島を含むかつての真嘉比村は、首里・那覇に隣接する純農村地帯で、サトウキビや真嘉比川周辺の真嘉比川原(マカンジャーラ)の田芋(たいも)は特に有名でした。また、首里(儀保村、ぎぼむら)から那覇(崇元寺、そうげんじ)に至る真嘉比道(マカンミチ)と呼ばれる道が通っており、一部には石畳が敷かれていました。この道は、首里の人々が人目を避けて那覇の辻(つじ、遊郭、ゆうかく)に行くために通ったり、末吉(すえよし)・西原(にしはら)村辺りの人々が那覇の市(マチ)に荷を運ぶために利用しました。真嘉比道周辺の丘陵には数多くの墓が建立されており、幽霊話の舞台ともなりました。 沖縄戦の後、1957年に那覇市と真和志市(当時)が合併した際、那覇市字真嘉比、那覇市字古島の行政区域が誕生しました。2000年頃までは真嘉比地域でも集落の形態や真嘉比道、周辺の丘陵・墓などもかつての姿を残していましたが、土地区画整理事業が進展し、見違えるほど整備された街が誕生しました。」
参照(地域 旧真和志 那覇市歴史博物館 http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site_tax02/former-mawashi)
05-0504 整備計画図
真嘉比中央公園は、広々とした緑の芝生を敷き詰めた中に、「ゆらゆら」「ぶらんこ」「じゃんぐるじむ」「ひねりうんてい」「おおがたゆうぐ」「のぼりぼう」「自然浴さんぽ路」「腹筋ベンチ」などの遊具や運動用具がたくさんあります。
園内には、ウォーキングやジョギングをしている人、グランドゴルフをしている人、腹筋・背筋のばしなどの運動をしている人、子どもと一緒に遊んでいる人、子どもたちの遊ぶ様子を見守っている人など、いろいろな光景が見られました。
06-0504 あそぶ
07-0504 あそぶ
08-0504 あそぶ
09-0504 あそぶ
10-0504 あそぶ
11-0504 あそぶ
12-0504 あそぶ
13-0504 じゃんぐるじむ
14-0504 ぶらんこ
16-0504 ゆらゆら
17-0504 ゆらゆら
18-0504 おおがたゆうぐ
19-0504 おおがたゆうぐ
20-0504 おおがたゆうぐ
21-0504 おおがたゆうぐ
22-0504 おおがたゆうぐ
23-0504 見守る
公園は、「ゆいレール市立病院前駅」から歩いて15分ほどの所にあり、広々としたスペースがあり、よく整備され、きれいです。ベンチでくつろぐこともできます。近くには、「那覇市立真嘉比小学校・真嘉比幼稚園」「那覇市立松島中学校」などがあります。
24-0504 サンダンカ
「サンダンカ アカネ科…常緑低木(じょうりょくていぼく)で、花穂(かすい)は半球状(はんきゅうじょう)。江戸時代(えどじだい)に渡来(とらい)した熱帯性花木(ねったいせいかぼく)です。」
25-0504 あれナ~ニ?
26-0504 イヌマキ
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