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仲泊の一里塚、フェーレー岩、真栄田の一里塚、歴史の道・国頭方西海道…恩納村の文化財

2014-10-11 | 歴史

 恩納村には、仲泊と真栄田に一里塚があります。仲泊の一里塚Aを観察していると、畑に肥料を散布している女性に出会いました。一里塚のことを尋ねると、「昔、王様を乗せたかごが、一定の時間ごとに休みを取り、その場所を一里塚と呼んでいたらしいよ。」と話してくれました。B地点は畑奥の木が茂った場所だと教えてくれました。

01-1006-1643-0 仲泊の一里塚

02-1006-1643-1 仲泊の一里塚

「仲泊の一里塚…琉球王府時代の主要道(宿道)には一里(約四km)ごとに塚が設置され、行き交う人々の目安とされました。仲泊の一里塚は自然の丘を利用した塚です。かつて恩納村には五箇所に一里塚がありましたが。現存しているのは仲泊と真栄田だけです。また、県内でも一里間を示す二箇所の一里塚が残っているのは唯一恩納村だけであり、貴重な文化財となっています。 恩納村教育委員会 平成七年二月三十一日」

03-1006-1649-0 仲泊の一里塚A

04-1006-1649-1 仲泊の一里塚B 畑奥の木が茂った所

 仲泊から真栄田に向かい、真栄田公民館を右手に見ながら進むと、漆喰シーサー製作・色つけ体験等ができる「フェーレー岩体験場」があり、さらに進むと、道路脇に「フェーレー岩」があります。

05-1006-1555-0 歴史の道、国頭方西海道

06-1006-1600-0 フェーレー岩

07-1006-1559-1 フェーレー岩

08-1006-1559-2 フェーレー岩

 「フェーレー岩…国頭方西海道(宿道)で最も難所であったのがここ多幸山山道であったことから度々金品を掠奪するフェーレー(おいはぎ)が出没したといわれている。特にここ周辺は立木が繁茂し昼でも薄暗いところであったところからフェーレーが頻繁にでて岩の上から婦人が頭部に載せた包みを吊り上げたりして金品を奪ったという伝説が残る場所です。この地では次のような歌が詠まれています。 多幸山やフェーレーでんどう、喜名番所に泊まらなやー/女子たるもの泊まゆみ急ぢすじ行き/島かから 『多幸山はフェーレーがでるそうだ喜名の番所に泊まろうか、いやいや女子の身で知らないところに泊まれるものではない。いまならまだ大丈夫いそいで自分の村までいったほうがよかろう』の歌意である。 恩納村教育委員会 平成六年三月三十一日」

参照(やんばる国道物語/やんばるの伝説をたずねて/多幸山のフェーレー、恩納村 http://www.dc.ogb.go.jp/hokkoku/yan_koku/07densetu/155.html

09-1006-1605-0 真栄田の一里塚、フェーレー岩

10-1006-1607-1 歴史の道とその周辺の文化財

11-1006-1608-3 歴史の道とその周辺の文化財

 「フェーレー岩」の先に、「真栄田の一里塚」がありました。

12-1006-1607-0 真栄田の一里塚

13-1006-1608-0 真栄田の一里塚

14-1006-1608-1 真栄田の一里塚

「恩納村指定史跡 真栄田の一里塚 平成三年十二月五日指定…琉球王府時代から明治に掛けて使用された主要道(宿道)に設置され、旅人の道程の目安とされた。恩納間切(今の恩納村)には五箇所に設置されていたが真栄田の一里塚は喜名番所から一里の距離に設置され、ここからさらに一里の距離に仲泊の一里塚が現存しています。真栄田の一里塚は土と炭を混ぜ合わせた土壌で、その上部には琉球松等が植栽されています。 一里塚は宿道の両端に対で設置されていたが一方の塚は畑地開墾により破壊され、緊急に復元したものです。 このような一里塚は県内でも少なく、沖縄の交通史を解明する貴重な文化財といえます。 恩納村教育委員会 平成六年三月三十一日」

 県内には、他に、「辺野古の一里塚(復元)」があります。

15-0901-1448-0 辺野古の一里塚

16-0901-1448-2 辺野古の一里塚

「辺野古の一里塚…一里塚は、街道の両側に一里(約 4㎞)ごとに土を盛り、木を植え、里程の目標にした塚のことです。本土では織田信長、豊臣秀吉の時代に築き始められ、徳川幕府に入って全国に普及したといいます。沖縄ではいつ頃から造られたかははっきりしませんが、「正保国絵図」(1646年)にはその記載があるといわれ、1609年の薩摩侵攻後からその頃までに設置されたのではないかと考えられています。 1702年の「元録国絵図」には、首里を起点にのびる宿道沿いに一里塚の印が見え、辺野古にもその印があるのがはっきりわかります。その一帯を地元では、「イキリヅカ」と称していることから、この塚が一里塚であることがわかりました。かつての宿道の両側に土を盛った塚があり、保存のいい塚には石積みも見えます。地図によると、市内の数カ所にあったようですが、現存するのはこの塚のみです。県内では恩納村真栄田の一里塚が恩納村の文化財に指定されています。」

引用(名護市の文化財と史跡>辺野古の一里塚 http://www.city.nago.okinawa.jp/1/163.html

17-0902-1227-0 辺野古の一里塚


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