歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』の一部、「崎山馬場御桟敷跡」「御茶屋御殿石造獅子」「雨乞嶽」「儀間真常の墓」「国吉比屋の墓」「御茶屋御殿跡」を訪ねました。
崎山馬場御桟敷跡…崎山公民館となっています。
01-1206-1555-01
02-1206-1556-02
「崎山馬場御桟敷跡(さきやまばばウサンシチあと)…崎山村は、首里八景の中で『崎山竹籬(さきやまちくり)』と題して詠まれ、竹に囲まれた家々のたたずまいに、ひなびた村の趣がうかがえました。村の中には王家御用の馬場「崎山馬場」が東西に延び、馬術訓練が行われました。その様子をご覧になるため、王様がお出ましになるとき、この辺りが御桟敷(ウサンシチ)となりました。歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成6年(1994年)3月設置」
御茶屋御殿石造獅子、雨乞嶽
06-1206-1605-01
07-1206-1606-01
「御茶屋御殿石造獅子(ウチャヤウドゥンせきぞうしし)…那覇市指定文化財(有形民俗文化財)昭和61年(1986年)6月25日指定 1977年につくられた別邸御茶御殿にあった石造の獅子で、火難をもたらすと考えられた東風平町富森(こちんだちょうともり)の八重瀬岳(やえせだけ)に向けられていました。18世紀、文人として名高い程順則(ていじゅんそく)が、御茶屋御殿を詠んだ漢詩『東苑八景』に『石洞獅蹲』と記され、御殿を火災やその他の災厄から守る獅子が称えられています。もとは、現在の首里カトリック教会の敷地にありましたが、がけ崩れの恐れが生じたので、現在地に移しました。」
09-1206-1606-03
10-1206-1607-02
「雨乞嶽(あまごいタキ) …那覇市指定文化財(史跡) 昭和51年(1976年)4月16日指定 雨乞いの行われた御嶽(ウタキ)は沖縄各地にありますが、ここは俗にアマグイヌウタキと呼ばれ、干ばつの打ち続く時に王様が親(みずか)ら家臣たちを率いて、この御嶽で雨乞いの祈願をされました。マーニ(クロツグ)の生えた小さな丘を、低い石垣で囲んで聖域とし、石敷きの壇に香炉が設けられていました。また、ここから南西方向への眺望の広がりはみごとで、首里八景の一つとして『ウ壇春晴』(春雨の合間に雨乞いの丘からの眺望が素晴らしい)とうたわれています。歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置」
儀間真常の墓、国吉比屋の墓
12-1206-1612-01
13-1206-1611-05
「儀間真常の墓(ぎましんじょうのはか)…儀間真常は、1557年に垣花に生まれました。1593年に真和志間切儀間村の地頭に任じられ、1624年に親方に叙せられ、1644年88才で没しました。真常は、1605年に野国総官(のぐにそうかん)が中国からもたらした甘藷(サツマイモ)をもらいうけてその栽培普及に力を注ぎました。また1609年の島津侵入後、捕虜となった尚寧王につき随って鹿児島に赴いた際、木綿の種子を沖縄へもち帰って、その栽培方法と木綿布の織方を広め、さらに中国から砂糖製造の技術も導入して国中に広めました。これらの功績から、『沖縄の産業の恩人』と称されています。もとの墓は、住吉町にありましたが、戦後アメリカ軍の港湾施設として接収され、跡形もなく敷きならされたため、1959年この地に移転建立されました。現在の墓は1993年に建て替えられたものです。歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置」
15-1206-1616-01
16-1206-1619-01
「国吉比屋(クニシヌヒャ)の墓…国吉比屋は15世紀ごろの人で、査姓国吉家の始祖になっています。景泰年間(1450~56年)に真壁間切国吉(現在の糸満市国吉)の地頭職に任じられました。また、家譜に拠れば、中城按司護佐丸(なかぐすくあじごさまる)の子、盛親(せいしん)をかくまって養育したとも伝えられています。もとの墓は、住吉町(現在の那覇軍港)にあり、儀間真常の墓と隣り合っていましたが、戦後アメリカ軍によってその場所を接収されたため、新たに墓を現在地に建立しています。さて、国吉比屋は、18世紀の中頃、田里朝直(たざとちょうちょく)によって創作された組踊『義臣物語』に、主人公として登場します。お話では、国吉は自分の主人に忠節を尽くし、その仇鮫川按司(さめがわあじ)を狙いますが、失敗。ところが、かえって鮫川按司にその忠節を称えられ、ハッピー・エンドを迎えるというものです。歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置」
御茶屋御殿跡…沖縄戦の後、首里カトリック教会となり、苑内の菜園跡は城南小学校になっています。近くにあった石造の獅子は、雨乞嶽の近くに移設されています。
18-1206-1626-01
19-1206-1627-02
20-1206-1631-01
21-1206-1631-03
「御茶屋御殿跡(オチャヤウドゥンあと)…御茶屋御殿は、1677年につくられた王府の別邸で、国王が遊覧し、冊封使などを歓待したところです。また、1683年にやってきた冊封正使汪揖(おうしゅう)は、首里城の東にあるので『東苑』と名付けました。御茶屋御殿では、茶道、生花、武芸などの様々な芸能が行われました。さらに、ここに遊んだ文人遊客によって、程順則の『東苑八景』など、多くの詩や琉歌が残されています。沖縄戦の後、御殿跡は首里カトリック教会となり、苑内の菜園跡は城南小学校になっています。昔を偲ぶものとして、南側斜面の岩陰に石造の獅子(全長1.6m)が修復されて残っていましたが、がけ崩れの恐れが生じたため、現在は雨乞嶽の近くに移設されています。歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置」
23-1206-1635-01
25-1206-1646-01
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます