「奥武山公園」から那覇空港に向かう途中左手に、「那覇市山下町西公園」(山下町)があります。公園奥に、「住吉神社参道」がありました。長い階段が続く参道を登っていくと、開けた場所に、「シーサー」「三つの井」「垣花三町内各拝所合同神殿」「住吉神社社殿」などがありました。沖縄では、地域ごとに各種の拝所があったのですが、戦後、宅地増設のため、まとめて合祀されている箇所が増えているようです。それにしても、「儀間の井、湖城の井、親井」「田代の神、村代の神、土帝君、火之神、地頭火之神、龍宮神、国元森の神」とは……。
広場に、その経緯を記した「住吉神社並垣花各拝所復興記念碑」が建てられています。
参拝後、脇道を登っていくと、「大城の殿」があり、どんどん登っていくと、「がじゃんびら公園」に着きました。「住吉神社」は、「がじゃんびら公園」がある丘の中腹にあったのです。
01-0403 山下西児童公園
02-0403
03-0403 住吉神社参道
04-0403 住吉神社参道
05-0403 シーサー
06-0403 シーサー
07-0403 親井、湖城の井、儀間の井
08-0403 垣花三町内各拝所合同神殿
09-0403 祈願する方へ告ぐ
「祈願する方へ告ぐ…・この神域は1-垣花の各拝所の神様と住吉神社と垣花のお嶽です。・拝み後の供物(線香、銭紙、白紙)等は各自でお持ち帰り下さい。・絶対に境内や周辺に捨てない事。・清潔にしてこそ貴方の拝みは神様に通じます。 垣花神社管理者」
10-0403 湖城の殿、儀間の殿
11-0403 田代の神、村代の神、土帝君
12-0403 火之神、地頭火之神
13-0403 龍宮神、国元森の神
14-0403 住吉神社社殿
15-0403 住吉神社並垣花各拝所復興記念碑
「住吉神社並垣花各拝所復興記念碑…住吉神社は往昔儀間村の地頭で甘藷の伝播栽培法を木綿織および砂糖創製などで産業界の大恩人といわれている麻氏六世儀間真常公が西暦一六一一年慶長十六年に尚寧王の随員として薩摩から帰国のときに会場守護のとして請来し当初儀間村の自宅内に法案尊崇した 祭神は表筒男命 中筒男命 底筒男命の御三神である 神社は村人達の尊崇もあって間もなく那覇港南岸の末吉森に社殿を造営し爾来三百数十年にわたり垣花三町民および県民が尊崇して来たが昭和二十年初夏の沖縄戦において社殿は滅失し米軍の港湾工事で境内に末吉森とともに海没した 戦後は垣花三町民有志が山下町の東南の地に仮社殿を造営し尊崇して来たが近年にいたり腐朽甚だしくなり再建の運びにいたった 今ここに山下町西の殿の山中中腹に良地を選び工事費二千萬円也で昭和五十六年八月二十二日起工 昭和五十七年三月十五日町内の各拝所の合同社殿も併せて造営した 住吉 垣花 山下の三町民ならびに県民の心の拠り所として尊崇し社殿復興落成を記念してその経緯を碑に刻銘し永く後世に伝承するものである 昭和五十七年壬戌三月十五日」
16-0403 大城の殿
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