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縄文時代の体験学習の場・「仲原遺跡」…うるま市与那城伊計

2014-03-12 | 文化

 うるま市与那城伊計の「仲原遺跡(なかばるいせき)」を訪ねました。同遺跡は、伊計島のほぼ中央に位置する、縄文時代晩期の遺跡で、学術的価値が高い遺跡として、国の史跡に指定されています。訪ねたときは、遺跡の環境整備工事中で、屋根の骨組み作成や、チガヤで屋根を葺く作業をしているところでした。近くには、復元作業に用いる材料が置かれていました。各住居址の説明板を読み、しばらくの間、縄文人の生活に思いをはせました。

参照(うるま市の文化財・国指定文化財 http://www.city.uruma.lg.jp/1/279.html

01-0306 仲原遺跡

02-0306 仲原遺跡

03-0306 仲原遺跡

「仲原(なかばる)遺跡の復元整備…仲原遺跡の復元整備は、訪れる方が古代の息吹を感じる学習の場として、またオアシス的憩いの場となるようにとの目的で整備されました。遺跡の上には、遺跡の保護を考えて全体に約70cmの厚さの土をかぶせてあります。復元建物は地下の遺構の位置や形を再現し、すでに壊れてなくなった壁や屋根部分については、建築史や民俗事例などを参考に復元しました。また建物の周辺の樹木は、自生するアダン林を中心に本来島にある種類を選び、自然の森になるように植えられています。

仲原(なかばる)遺跡の概要…仲原遺跡は、島のほぼ中央の平地に営まれた縄文時代のムラの跡です。北側海岸に近年まで利用されていた自然湧き水(インナガー)があり、縄文時代から使われていたものと考えられます。遺跡一帯はもとキビ畑で、土地改良事業の事前の発掘調査で竪穴住居址が発見されました。これにより不明であった沖縄県の縄文時代晩期(約2500~2000年前)のムラの広がりや住居の大きさ、造りなどが具体的に分かってきました。また遺物も土器の鉢、壷、石斧類、骨製の針、錐、他に当時の人が食べ残した獣・魚骨類、貝殻が出土しました。 遺跡は土地改良地内にありましたが、住民の協力により保護され、また学術上価値が極めて高いことから、昭和61年に国指定史跡になりました。所在地 与那城町字伊計1972番地 指定年月日 昭和61年(1986年)8月16日 指定面積 4758m2 整備期間 昭和62年~平成8年度(10年間) どうぞゆっくりと散策し縄文時代の集落をご満喫ください。」

04-0306 環境整備工事中

05-0306 環境整備工事中

06-0306 仲原遺跡

07-0306 第1号復元住居

08-0306 第1号復元住居

09-0306 第1号復元住居

10-0306 第11号復元住居

11-0306第11号復元住居

12-0306 第2b号復元住居

13-0306 第2b号復元住居

14-0306 第3号復元住居

15-0306 第3号復元住居

16-0306 第15号復元住居

17-0306 第15号復元住居

18-0306 第18号復元住居

19-0306 第19号復元住居

20-0306 環境整備工事中

21-0306 環境整備工事中

22-0306 環境整備工事中

23-0306 仲原遺跡

24-0306 仲原遺跡

25-10306 仲原遺跡

26-0306 竪穴住居址と復元

27-0306 竪穴住居址と復元

「竪穴住居址(たてあなじゅうきょし)と復元(ふくげん)…竪穴住居址は、建てかえられたものを含めて23棟発見されました。平面形はほぼ方形、大きいものは5×6m、小さいものは2×3mありました。住居址の軸、入口の向き、大きさ、造り、建物の新旧などから、大型の建物と、その周辺に小型の建物が数棟グループになっていたものと推定されます。建物の復元にあたって、入口は民俗事例や建物の造りから人が出入りできる程度の高さにして、竪穴をとりまく石積みは低くなっています。また石積みのすき間には赤土が埋めこまれています。柱や屋根組材は、古くからこの地域の民家で使われているヤラブをもちいました。柱や竹、カヤをしばるには、アダンの根を材料にした縄を使用しました。さらに屋根材には伊計島に自生したチガヤが使われています。」

28-0306 出土遺物

29-0306 仲原遺跡平面図

30-0306 仲原ムラの植物

31-0306 仲原遺跡


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