「平和祈念公園」を訪ねました。公園内に「那覇マラソン」の中継点があり、スタッフが準備をしており、中継車がカメラのチェックをしている様子も見られました。
沖縄県内の観光地は、この時期、修学旅行生でいっぱいです。「平和ゾーン」の「沖縄県平和祈念資料館」「沖縄平和祈念堂」「平和の礎」付近で、いくつかのグループが、ガイドの小旗に誘導され、説明を聞き、見学していました。
「霊域ゾーン」の「国立沖縄戦没者墓苑」では、東屋の修理工事をしていました。霊域参道を通り、丘の上の階段を上り、「黎明之塔」まで行きました。そこから、摩文仁の海岸を眺め、沖縄戦当時、追いつめられ海に身を投げた人々のことを考えていました。海を見渡していると、雲の間から、太陽の光がスジ状に漏れ、海面に反射しているキラキラ輝いていて、不思議な感じがしました。
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「『平和の礎(いしじ)』建設趣旨…私たち沖縄県民は、去る沖縄戦などで尊い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を後世に正しく継承するとともに、沖縄の歴史と風土の中で培われた『平和の心』を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して、ここに「平和の礎を建立する。1995年6月 沖縄県」
「平和の礎(いしじ)」案内板…「平和の礎」の概要 刻銘の対象 「平和の礎」には、国籍、軍人、民間人を問わず、沖縄戦で亡くなられた一人ひとりの氏名が刻銘されている。なお、次の戦没者についても刻銘の対象としている。沖縄県出身者については、昭和6年(1931年)9月の満州事変から、昭和20年(1945年)9月までに亡くなられた方(空襲や徴用船、疎開船、引揚げ船の遭難、退去命令や疎開によりマラリア又は栄養失調などにより亡くなられた方を含む)、戦争が原因で終戦後概ね1年いないに亡くなられた方(ただし、原爆被爆者は、期限を定めず刻銘する)も刻銘の対象となっている。また、県外及び外国出身者については、沖縄守備軍(第32軍)創設の昭和19年(1944年)3月から終戦後概ね1年以内において、沖縄戦に関連する戦闘等が原因で亡くなられた方も刻銘の対象としている。
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