国道58号線、那覇市安謝から天久に至る一帯(現在、高架橋)には、かつて、「ナナユヒービラ」と呼ばれる坂がありました。その由来を記した説明板が設置されました。
高架の部分をくぐると、「安謝小学校入口」の表示があります。安謝小学校は、学校創立103年目を迎える歴史と伝統のある学校です。訪ねたのは土曜の午後でしたが、校舎の一角から器楽演奏の音が聞こえ、グラウンドでは、野球の練習をしているところでした。「ピッチングマシーン」を使った打撃練習のようです。
生徒用玄関までの通路には、「鉢植えの花」がきれいな花を咲かせていました。「あいさつ日本一の安謝小学校・幼稚園」の幟が立っています。
参照(安謝小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/aja-es/)
01-0607 ナナユヒービラ
02-0607 ナナユヒービラ
03-0607 ナナユヒービラ
04-0607 ナナユヒービラ
05-0607 ナナユヒービラ
06-0607 ナナユヒービラ
「ナナユヒービラ(那覇市字安謝234 )…安謝から天久に至る坂の名称。名前は、近接する「七与平利田」と称する田んぼに由来する。 かつて、広い田畑を有する者が天久村に居り、身売りした7人の主人として、彼らにその田畑を耕作させていた。ある時、主人は、安謝村にある私有の田んぼを7人に与えた。彼らは、これまでにも増して主人の仕事に精を出し、また、時間を作っては自らの田んぼを耕し、収益を上げ、ついには、借金を返済したという。近隣の人々は、大いに感心し、7人に与えられた田んぼを、「七与平利田」と称したという(『遺老説伝』)。 ナナユヒービラは、沖縄戦以前は、中・北部と那覇を結ぶ主要道の一部で、製糖期には、砂糖樽を積んだ馬車が、那覇の港に向かって列をなしていたという。
1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍により道幅が広げられ、軍道1号線となり、1972年(昭和47)の本土復帰後は、国道58号となった。1991年(平成3)に、坂の途中から浦添市勢理客にかけて、高架橋が開通した。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」
参照(地域 旧真和志 那覇市歴史博物館 http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site_tax02/former-mawashi)
07-0607 高架橋
08-0607 安謝小入口
09-0607 安謝小学校
10-0607 道路標示
11-0607 安謝小学校
12-0607 安謝小学校
13-0607 安謝小学校
14-0607 鉢植えの花
15-0607 鉢植えの花
16-0607 鉢植えの花
17-0607 鉢植えの花
18-0607 鉢植えの花
19-0607 安謝小学校
20-0607 安謝小学校
21-0607 安謝小学校
22-0607 安謝小学校
23-0607 安謝小学校
24-0607 安謝小学校
25-0607 安謝小学校
26-0607 野球
27-0607 野球
28-0607 野球
29-0607 野球
30-0607 野球
31-0607 安謝小学校
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