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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

ナナユヒービラ、安謝小学校、鉢植えの花、野球…那覇市安謝

2014-06-07 | 歴史

 国道58号線、那覇市安謝から天久に至る一帯(現在、高架橋)には、かつて、「ナナユヒービラ」と呼ばれる坂がありました。その由来を記した説明板が設置されました。

 高架の部分をくぐると、「安謝小学校入口」の表示があります。安謝小学校は、学校創立103年目を迎える歴史と伝統のある学校です。訪ねたのは土曜の午後でしたが、校舎の一角から器楽演奏の音が聞こえ、グラウンドでは、野球の練習をしているところでした。「ピッチングマシーン」を使った打撃練習のようです。

 生徒用玄関までの通路には、「鉢植えの花」がきれいな花を咲かせていました。「あいさつ日本一の安謝小学校・幼稚園」の幟が立っています。

参照(安謝小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/aja-es/

01-0607 ナナユヒービラ

02-0607 ナナユヒービラ

03-0607 ナナユヒービラ

04-0607 ナナユヒービラ

05-0607 ナナユヒービラ

06-0607 ナナユヒービラ

「ナナユヒービラ(那覇市字安謝234 )…安謝から天久に至る坂の名称。名前は、近接する「七与平利田」と称する田んぼに由来する。 かつて、広い田畑を有する者が天久村に居り、身売りした7人の主人として、彼らにその田畑を耕作させていた。ある時、主人は、安謝村にある私有の田んぼを7人に与えた。彼らは、これまでにも増して主人の仕事に精を出し、また、時間を作っては自らの田んぼを耕し、収益を上げ、ついには、借金を返済したという。近隣の人々は、大いに感心し、7人に与えられた田んぼを、「七与平利田」と称したという(『遺老説伝』)。 ナナユヒービラは、沖縄戦以前は、中・北部と那覇を結ぶ主要道の一部で、製糖期には、砂糖樽を積んだ馬車が、那覇の港に向かって列をなしていたという。
  1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍により道幅が広げられ、軍道1号線となり、1972年(昭和47)の本土復帰後は、国道58号となった。1991年(平成3)に、坂の途中から浦添市勢理客にかけて、高架橋が開通した。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」

参照(地域 旧真和志  那覇市歴史博物館 http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site_tax02/former-mawashi

07-0607 高架橋

08-0607 安謝小入口

09-0607 安謝小学校

10-0607 道路標示

11-0607 安謝小学校

12-0607 安謝小学校

13-0607 安謝小学校

14-0607 鉢植えの花

15-0607 鉢植えの花

16-0607 鉢植えの花

17-0607 鉢植えの花

18-0607 鉢植えの花

19-0607 安謝小学校

20-0607 安謝小学校

21-0607 安謝小学校

22-0607 安謝小学校

23-0607 安謝小学校

24-0607 安謝小学校

25-0607 安謝小学校

26-0607 野球

27-0607 野球

28-0607 野球

29-0607 野球

30-0607 野球

31-0607 安謝小学校


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