南城市前川「前川樋川と前川民間防空壕」、八重瀬町新城「シーヤーマーの歌碑」「真嘉戸井」「新城・東の石獅子」「新城神宮」「新城・南の石獅子」を訪ねました。
01-1202-1545-0 南城市観光案内マップ
02-1202-1601-0 前川樋川と前川民間防空壕
03-1202-1546-0 前川樋川と前川民間防空壕
04-1202-1546-1 前川樋川と前川民間防空壕
「前川樋川と前川民間防空壕…琉球王府の史書である『球陽』(1745年)によると、前川区は1736年に糸数城跡南側の麓から現在地に移動している。この前川樋川も当時の絵図(琉球国惣絵図・1750年頃)にも記載されていることから、当時から住民の生活用水として利用していたと思われる。 急勾配の石階段は水運びが不便であったため、1932年に南側へゆるやかな道路を造り、水運びが楽になった。当初、樋川は簡易な水溜程度の施設だったが、1936年に現在の粟石貯水タンクと女性用の水浴場を建造して、日本本土復帰前(昭和40年代)まで貴重な水源として使われてきた。 同樋川を中心とした崖の中腹には、岩盤を掘り込んで築造された民間防空壕が40ヶ所、並んで存在している。 この民間防空壕は1944年10月10日の南西諸島大空襲(那覇市は9割の家屋が焼失した。)後、米軍の沖縄上陸が濃厚となったため、字民が2・3世帯ずつ一組になり避難壕として建設したものである。壕入口の多くはしゃがんで通れるくらいの高さで、広さは約4m2。隣り合う壕が内部で連結するという構造になっている。字前川近くに米軍が進攻してきた際には、多くの住民がこの壕の南部具志頭方面に避難した。なお、この壕では4ヶ所で集団死が起こっておりも20人余が死亡している。 旧玉城村内には自然の洞穴を利用した防空壕は多いがこのようにまとまって掘られた民間防空壕はここだけである。」
04-1202-1549-1 前川樋川
05-1202-1550-0 前川樋川
06-1202-1554-0 前川民間防空壕
07-1202-1548-1 前川民間防空壕
08-1202-1551-0 前川民間防空壕
09-1202-1554-1 前川民間防空壕
10-1202-1555-0 前川民間防空壕
11-1202-1556-1 前川民間防空壕
12-1203-1212-0 籠屋之跡
13-1202-1602-0 籠屋之跡
14-1203-1225-0 前川農村広場
15-1203-1223-1 前川農村広場の石獅子
16-1202-1608-0 シーヤーマーの歌
17-1202-1608-1 シーヤーマーの歌
「シーヤーマーの歌…一.シーヤーマーニ スリティヨー ウネクーネ ワミンヨー ドゥーシ スリティヨー ウネクーネ ウドゥティヨー ムードゥラ (ハーミースーラ サヌヨー) 二.イシナーグーヌー イシヌヨー ウネクーネ ウフーイシヨー ナールー マディンヨー ウネクーネ ウドゥティヨー ムードゥラ (ハーミースーラ サヌヨー) 三.シュイティンー ガナシーヨー ウネクーネ ウマンーヨー チューヌ タミニヨー ウネクーネ ウドゥティヨー ムードゥラ (ハーミースーラ サヌヨー)」
18-1203-1302-0 シーヤーマーの由来
19-1203-1302-1
20-1203-1302-2
21-1203-1316-0 真嘉戸井
22-1203-1316-3 真嘉戸井
23-1203-1316-1 真嘉戸井
24-1203-1316-2真嘉戸井
25-1203-1312-1 新城・東の石獅子
26-1203-1312-0 新城・東の石獅子
27-1203-1237-0 新城神宮
28-1203-1238-1 新城神宮
29-1203-1240-0 新城神宮
30-1203-1239-0 新城神宮五十周年記念
31-1203-1240-1
32-1203-1239-1 国火神
33-1203-1238-0
34-1203-1238-2
35-1203-1251-0
36-1203-1252-0 新城・南の石獅子
37-1203-1255-0 展望台
38-1203-1252-1 展望台
39-1203-1252-2 展望台
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