第二次世界大戦で国内最後の激戦地となり、「鉄の暴風」と呼ばれた「沖縄戦」では、軍民合わせて20万余の人命が失われました。母の故郷は南風原です。戦争当時、両親と祖母、10人兄弟に加え、他に数人の親族が同居していました。
戦況の悪化とともに、一同が身を寄せていた場所も激しい爆撃を受け、その後、火をつけられ、焼き払われたそうです。祖母(母の母)が、戦火の中を死にものぐるいで、がれきの中から子どもたちを引き出し、数人を救い出しました。しかし、親族10名の命が奪われ、「平和の礎」に刻銘されています。86歳の母の手足には、そのときの傷跡が残っており、寒くなると疼くと言います。
父や母は、戦争で、多くの命が失われたり、たった一度きりの人生を台無しにされた世代です。そして、戦後は、不自由な思いをしながら精一杯働き、私たちを育ててきました。当時の状況や父母たちの世代、そして沖縄の現状を考えると、怒りを覚えるとともに、何とも言い難い気持ちになります。
これまで、「平和祈念公園」には何度も来ているのですが、今回、ブログ記事を書くにあたり、14日、16日、18日と訪れ、いろいろ確かめました。失われた命は二度と戻らず、壊された物を再建するには、莫大なエネルギーを要します。グローバル化の流れは止めようもない状況ですが、長い時間をかけて築かれた、それぞれの国や地域の良さを壊してはいけません。「東日本大震災」やそれに伴う「原発事故」対策にも、長期的視点で取り組み、「まっとうなことがまっとうに評価される社会」を実現させたいものです。
摩文仁海岸(黎明の塔の南側)
黎明之塔
摩文仁海岸(平和の火の北東側)
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