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自然岩をくりぬいた城門-玉城城跡…東御廻り(4)

2014-01-04 | 文化

 「玉城城跡」(南城市玉城)を訪ねました。坂(階段が設置されている)を上ると、自然岩をくりぬいた城門があります。城門前でカメラを構えている浦添市のMさんに会いました。夕日の撮影に来たそうです。何度か、朝日や夕日を撮りに来たといい、前日撮った写真を見せてくれました。水平線から上ってきた朝日が見事です。「夏至の日に会いましょう」といっていました。その日は、訪問時刻が遅く、急いでいたので、翌日、再度訪れました。

 城内には『天つぎあまつぎの御嶽』(神名『アガル御イベ、ツレル御イベ』)が祀られています。「二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。」という説明文に、愕然としました。当時は、文化財の価値に配慮する余裕がなかったのかも知れません。

 城壁は、自然の岩石と石積みをうまく組み合わせてあります。城内には、いくつか拝所があり、燃え残りの線香が残っており、「うちかびなどは持ち帰ってください」という表示がありました。

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「玉城城跡…この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。『島尻郡誌』では、『アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫即ち、天孫子であったという』と記述している。城跡は、一の郭。二の郭、三の郭の三つの郭からなる段階上の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。一の郭は、東北東に自然岩をくりぬいた城門を構え、城内には『天つぎあまつぎの御嶽』(神名『アガル御イベ、ツレル御イベ』)が祀られている。◎なおこの地域において許可なく現状を変更することは、県条例で禁じられています。昭和60年3月25日 玉城村教育委員会 沖縄県教育委員会 県指定史跡 昭和36年6月15日指定」

参照(玉城城跡 http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-37.html#sthash.6sBs3gds.dpuf

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城門

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城郭内

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門外-階段の最上部からの眺望

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城外から

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