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鉄砲鍛冶「国友一貫斎」・日本初の飛行機の設計図発見

 近江国国友村(現・長浜市国友町)の科学技術者・「国友一貫斎」(1778-1840年)が考案した「鳥形飛行機の詳細図」が見つかった。

一貫斎が記し、1964年(昭和39年)に市指定文化財になった日本最古の飛行機図面「阿鼻機流(あびきる) 大鳥秘術(おおとりひじゅつ)」に描かれた機体の素材や作り方を示している。実際は飛べないとみられるが、詳細図からは飛行を真剣に検討したことがうかがえ、科学技術史上貴重な発見という。

 「国友一貫斎」の本職は鉄砲鍛冶だが、日本初の反射望遠鏡など多彩な機器の制作で知られる。



【滋賀・近江の先人第37回】鉄砲や望遠鏡を独創的に製作・一貫斎国友藤兵衛(長浜市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/175b3a93cad914d6fab6d9fb408c6ab0


 1816年(文化13年)から5年ほど江戸に滞在しており、この時に触れたオランダの書物や機器を参考にしたとみられる。

 「阿鼻機流」も小鳥を意味するラテン語「AVICULA(アヴィクラ)」が基とみられ、西洋飛行術の影響がうかがえる。1964年指定の図面では、機体は五角形の箱型胴体に主翼と尾翼を備え、幅約12m。胴体部分に人が入り、翼を羽ばたかせる仕様だった。

 詳細図では、ヒノキやなめし革などの材料が記され、「檜板を皮にて包也」など製法も明らかになった。現代の飛行機の翼断面に似た描写もある。1964年の図面では不明だった細部が判明し、一貫斎が実際に制作しようと考えたのが確実になった。

 飛行機を制作、飛行したという伝承は江戸時代に複数あるが、実際に飛んだかは不明。一貫斎が実物をつくった痕跡は見つかっていないが、一貫斎以外では図面が見つかっていない。

詳しくは下記の中日新聞サイトへ
https://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20200328/CK2020032802000016.html

<中日新聞より>
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