↑サマ村までのトレッキングで訪れた、山々の麓に広がる豊かな自然環境
佐々木 司さん 寄稿
2024年8月28日11時30分 日本に接近中の大型台風の影響を避けて予定より早く日本を出国し、同日15時15分にカトマンズに到着した。空港には以前のヒマラヤ登山で一緒で今回もガイドを依頼をしているシェルパが迎えに来てくれていた。
カトマンズ市内のホテルに移動し、翌日以降の打合せをした。当初は、カトマンズからマナスルの麓にあるサマ村までヘリで飛び、そこから歩き始める計画だったが、予定より早くネパール入りして時間に余裕のあった私に、サマ村まで1週間ぐらいかけてトレッキングで行かないかと提案してきた。数日かけて標高4000m前後の村を通り、途中5200m程の峠も越えるので、高所順応になるとのこと。「高所順応」を上手くできるかどうかが、8000m峰登山の最大のポイントと考え、折角早く来たので、その提案に乗った。
↑高所順応で立ち寄った数々の峠
8月30日にカトマンズを車で出発し、8月31日ダラパニ(1900m)から6日間のトレッキングでマナスルの麓のサマ村(3520m)まで移動した。
「ヒマラヤ登山」と聞くと、生きるか死ぬかの世界、雪と氷の世界をイメージする人が多いかもしれないが、そびえ立つヒマラヤの高峰の山々にも麓があり、そこには山から流れる川、滝、湖など美しい自然環境があり、多くの花が咲いている。見渡せば6000mを越える山々がいくつも見える。そのような場所を日々歩いて行く旅は実に楽しかった。只、日に日に標高が上がっていく中で、高山病の症状が出ないようにも注意した。
↑ ↑広がる氷壁から望むマナスル
9月9日サマ村での十分な休養と高所順応を済ませ、標高4800mのマナスルBC(ベースキャンプ)に入った。世界各地からやってきた登山隊のテントが沢山並び、大きな村のような賑わいだった。今シーズンのマナスル登山の許可を申請したのは290人いたそうだ。
9月12日、登山の安全を祈願するプジャが行われた。このプジャが終わった翌日からいよいよ本格的なマナスル登山が始まった。
↑はしごを使いクレバスを通る
8000m峰登山は、山頂に向かって毎日少しずづ標高を上げ続けていくのではない。マナスルの場合だと標高4800mのBCから上にはC1からC4までのテント場を設営しながら登り下りを繰り返し、身体を高所に慣らしながら山頂を目指すことになる。同じ行程でも2度目3度目になると高所に順応し、行動時間が大幅に短縮されるから人間の身体は不思議だ。
氷河地帯を進む際のクレバス(氷の割れ目)を飛び越えたり、大きなクレバスに架けられたハシゴを渡ったりと、本や映画で見た世界が次々と目の前に現れることに多少の恐怖を感じながらも興奮した。高い氷壁や雪壁を登り下りする場面は、そのスケールの大きさに驚いたが、出国前に東近江市にある岩場のドラゴン道場で繰り返し練習を積んだ時と同じ道具を使い、同じ動作をするだけだったので落ち着いてできた。
山の天候は変わりやすく、昼間は雪が降り、視界が悪い中を行動していた日でも夜には満天の星空や綺麗な月明りの日もあった。晴天無風の日中は陽射しが強くて、標高6000m付近でも日本の夏山登山と変わらない服装に高所靴とアイゼンを履いて歩いていた。この標高まできて暑さで疲弊するとは思ってもいなかった。
↑頂上まで幾度と氷河地帯が続く
行動中に多少の頭痛を感じる時はあったものの、特に高山病に悩まされることもなく、毎日しっかりと眠れ、食欲もあった。尚、BCでは帯同するコックが美味しい料理を作ってくれたが、C1以上はラーメンやアルファ化米などを食べていた。
標高6000mでの酸素量は地上の半分を切るぐらいになる。行動中のSPO2(血中酸素濃度)は80%を下回るようになり、ゆっくり登っていても息が切れるし、体が重く力が入らない。酸素ボンベはC3(6600m)から使用した。するとSPO2は85~95%まで上昇。全身に力が漲(みなぎ)るのを感じた。酸素の力は偉大だ。
↑山頂直下での夜明け
9月24日18時30分、いよいよ山頂に向けての行動日。この日の予定行動時間は24時間。まだ見ぬ高所での長時間の行動で自分の身体がどうなってしまうのかと、不安と緊張を抱いて登り始めた。C3からの登りは氷壁の急登から始まり、その後も斜度60度以上はあるような急登が続いた。暗くて景色は見えないが自分の足元のすぐ横は暗闇に向かって氷と雪の斜面が続いていた。
標高7400mから山頂に向かっては広い尾根を黙々と登る。斜度も45度程度になった。胸元に装着していたゴープロは凍って使い物にならなかったが、風が弱かったこともあり、寒いとは感じなかった。途中星空が綺麗な時間もあったが、夜が明ける頃には周囲はガスに包まれ、景色は望めなかった。それでも夜が明け視界が広くなると体に力が入った。
↑マナスルC2からの満月。ヒマラヤの山々が広がる
9月25日9時10分、マナスル山頂。8000m峰の山頂に立った時にはどんな感動があるのだろうかと何度も考えてきたが、実際に登頂できた瞬間は大きな感動はなく、意外と冷静で、それまで応援、サポートしてくれた方々への感謝の気持ちが大きかった。次に自分が立っている場所から下を見て、なんて大きな山なんだ、これを下りていくのは大変だぞと思った。
(下)”東近江市とネパールのつながり”に続く。
【写真提供・佐々木司】
佐々木 司(ささき つかさ)さん 49歳
1975年 大阪府堺市生まれ
2012年 SEA TO SUMMIT大山(鳥取)大会出場
2017年 鈴鹿10座エコツアーガイドクラブ所属
2019年 ヒマラヤ・ヤラピーク(5732m)登頂
2022年 ヒマラヤ・アイランドピーク(6160m)登頂。会社員を経て滋賀県東近江市の布引の森に勤務
2024年 東近江市永源寺高野町に移住。ヒマラヤ・マナスル(8163m)登頂
<記事・写真: 滋賀報知新聞より>