1980年代、ボーイング747ジャンボが登場前のヨーロッパ及び北米各地への直通便が出現する前はアラスカのアンカレッジ空港経由だった。
また、ソ連(ロシア)のシベリア上空経由が開ける以前のヨーロッパ便はアジア、中近東経由の南ルート便で2日は掛る長旅だったのである。
ヨーロッパ南ルートは日本からだと長距離便で、まずインドのカルカッタ(カルカタ)かボンベイ(ムンバイ)、そしてその次はベイルート(レバノン)かカラチ(トルコ)を経由してヨーロッパに入って行くのが一般的だった。勿論、香港、バンコクなどの経由便もあった、
各航空会社の長距離便の機材の1つであったダグラスDC-8は1970-1980年代まだ華やかな時代だった。
1980年になりボーイング747が出現するや一気に長時間フライトが可能となり、トランジット(経由)フライトからダイレクトフライト(直通便)の時代になったのだ。
日本からロンドン、ニューヨーク、ハワイなど最高10-12時間位までの飛行距離の対地まで直行便で行けるとになったのである。
直行便が生まれるまではアラスカのアンカレッジ空港はトランジット地として重要な空港で大変賑わっていた。私も1-2時間程度の給油時間にアンカレッジ空港で食べた暖かい「天ぷらうどん」のことを覚えている。また、アンカレッジ空港の免税店では日本と海外の免税品が買えて重宝していた人も多数いた。
そんな時代もあったがボーイング747出現以降、航空機の長距離化に伴い、アンカレッジ空港の重要性は急速に薄れ、アラスカに行く人以外訪れることはなくなった。
現に私も1991年の湾岸戦争の時、アメリカのポートランドへ出張したことがあったその時以降、アンカレッジの利用はなくなった。その時はアメリカ行きのフライトがテロに狙われるかもしれないと米国系以外の航空会社の便でアンカレッジまで飛び、アンカレッジでアラスカ航空に乗り換えポートランドに入国したことがあった。
これがアンカレッジ空港利用の最後だったが最盛期からはさびれていた。新しい航空機の発達によるアンカレッジ空港の栄枯盛衰である。