豊臣秀吉の時代に造られたとみられる石垣が長浜城の跡地から見つかった。
専門家も、名前は知られていながらも「謎」が多い長浜城において、貴重な発見だとしている。
写真:京都新聞より
石垣は、長浜城の跡地となっている豊公園の再整備に伴う調査で発見された。
「根石」と呼ばれる石垣の一番下にあって基礎となった石や、石垣の裏側に敷き詰められた「栗石」などが、4.5mの長さで連なっている。
これらの石を見ると、「石材が統一されておらず大きさもバラバラであること」、「くさびを使い石を割る『矢穴技法』が用いられていないこと」から、石垣が造られた年代が、1600年以前であることが明らかとなった。
時代と照らし合わせると、秀吉か、山内一豊が城主であった1574年から1590年の間に造られたとみられ、秀吉が築城した際の石垣である可能性もある。
これまでの調査でも長浜城の石垣は発見されていたが、秀吉の時代のものか、江戸時代のものか、年代の特定には至っていなかった。更に、この石垣は本丸の石垣とみられているが、従来想定されていた本丸の石垣ラインより東におよそ50m外にあり、本丸の区画が、考えられていたより広かったことも分かりった。
なお、現地説明会が、8月17日(土)午前10時半から現地説明会を行う予定で、長浜市・歴史遺産課は、「発掘場所は埋め戻すため秀吉の時代の石垣を見る唯一の機会」と話している。
<BBCニュースより>