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【滋賀・近江の先人第74回】駿河で酒蔵を起業した山中兵右衛門(万吉)家の分家・山中正吉(滋賀県日野町)

山中正吉 (やまなか-しょうき)、1809年(文化6年)-1896年(明治29年)88歳没。江戸後期-明治時代の近江日野商人山中兵右衛門(万吉)家の分家

1820年(文政年間)辺り(11歳)に、駿河国富士郡大宮町(現在の静岡県富士宮市)で創業。
山中正吉は文政年間に天間村(現・富士市)にて酒造業を始めるが失敗し、店舗を閉鎖していると言われている。
1831年(天保2年)22歳に、酒蔵の「山中正吉商店」(現在の富士高砂酒造)、屋号は「中屋」を構え酒造りを創め、嘉永の頃から栄えた。その後事業を広げ、大宮町周辺に4蔵(高砂、玉世界、松爵、田子浦)の他、横須賀(神苑、天職)にも蔵を構えた。

酒造りに関して、山中正吉が東海道を行商中に吉原宿にて助けた病人が能登杜氏であり、意気投合し天間に創業したという言い伝えがある。
それ以来能登杜氏との関係は続き、山中正吉商店は能登杜氏によって受け継がれていた。「能登杜氏四天王」と呼ばれる四者のうち、農口尚彦と中三郎氏が過去在籍していた。
現在はそれを受け継いだ地元の杜氏が活躍している。高砂酒造の建築でも薬師蔵と弐号蔵は古く、百数十年以上前の建築が残されている。

二代目以降
二代目正吉は明治26年(1893年)に大宮町阿幸地欠畑に欠畑酒店を創業し、サイダー・ラムネの飲料部を設けたという。二代目の時代に廃仏毀釈から逃れた富士山の下山仏を祀るようになったといい、その菩薩立像は現在も高砂酒造の薬師蔵にて保管されている。薬師蔵は元は壱号蔵と呼ばれていたが、菩薩立像が祀られていたことから薬師蔵と呼ぶようになった。この菩薩立像は薬師堂にあったと伝わるもので、銘文から享保4年(1719年)に江戸神田の鋳物師により制作され奉納されたものであることが分かっている。高砂酒造には菩薩像五体の他に薬師如来三躯が祀られている。

初代山中正吉は公益事業にも協力し、1896年(明治29年)1月28日死去。88歳。
1929年(昭和4年)、山中正吉商店から分家し、横須賀の蔵を「山中酒造合資会社」として独立した。
六代目・七代目山中正吉商店は、平成9年(1997年)に「富士高砂酒造(株)」となった。


山中本家
山中正吉家は山中兵右衛門(万吉)家(現近江日野商人館)の分家にあたる。
山中兵右衛門(万吉)本家は分家の正吉よりも100年早い、1718年に御殿場で酒造業を創業・大成功している。

 

分家の正吉が同じ駿府でそれも22歳と若くして酒蔵を持てたのには本家の山中兵右衛門家成功モデルが大いに寄与しているに違いない。
両家とも故郷の近江日野に豪邸を持てるほど酒造業で大成した。現近江日野商人館は、元山中兵右衛門(万吉)邸である。


分家の「山中正吉」が創業した「山中正吉商店」は、創業190年後の現在もなお静岡の地で、「富士高砂酒造(富士宮市)」と「山中酒造(掛川市)」として脈々と生きている。


富士高砂酒造
http://www.fuji-takasago.com/company/
山中酒造
http://www5a.biglobe.ne.jp/~yamanaka/f_rekisi.htm

↑近江日野商人ふるさと館」(旧山中正吉邸」

現在の「近江日野商人ふるさと館」は「旧山中正吉家の本宅」である。
広大な敷地は江戸時代に近江日野を治めた仁正寺藩主市橋氏から拝領したもの。江戸時代末期に建てられた主屋は、湖東地方の農家住宅の形式を踏襲した重厚な造りをしている。

<Wikipedia等引用>

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