1979年8月、西アフリカのコートジボアール(アイボリーコースト=象牙海岸)の次は「リベリア」だった。
リベリア共和国、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。
リベリアは日本の船の多くがリベリア船籍になっていることもあって何となく親しみのある国だった。 人口400万人の小奇麗な感じなとこで当時、治安も安定していた国の1つだった。
リベリアでお世話になったのは首都モンロビアに滞在する日本の通信機メーカー出身のJICA専門家だった。現地で初めて会ったが彼とは同じ趣味の同好者で日本国内にいた時にそれぞれを認知していた。年齢も近く初対面でも旧知の仲間のように扱ってくれた。また、極短時間だったが趣味の運用もさせて貰った。
彼は家族3人で赴任していて数日間彼のお宅でお世話になったが彼の奥さんの手料理で久しぶりの日本食の御馳走を頂いた。その彼は1980年代、日本に帰国数年後、病気で早世し、その時リベリアで会ったのが最後になった。
あの時のリベリアは事実上、空港から彼の家の間しか見ておらず詳しい町の様子は殆ど見ていない。正にトランジットのリベリア滞在であった。
モンロビアの彼の家には2泊させて貰い、次の国ガンビアに向かった。
途中、予定外のオートボルタ(アッパーボルタ=現ブッキナファソ)へ出かけたので旅程は1週間遅れていた。