”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第31回) 西アフリカのリベリアでお世話になった日本人

 1979年8月、西アフリカのコートジボアール(アイボリーコースト=象牙海岸)の次は「リベリア」だった。
 リベリア共和国、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。

 リベリアは日本の船の多くがリベリア船籍になっていることもあって何となく親しみのある国だった。 人口400万人の小奇麗な感じなとこで当時、治安も安定していた国の1つだった。

 リベリアでお世話になったのは首都モンロビアに滞在する日本の通信機メーカー出身のJICA専門家だった。現地で初めて会ったが彼とは同じ趣味の同好者で日本国内にいた時にそれぞれを認知していた。年齢も近く初対面でも旧知の仲間のように扱ってくれた。また、極短時間だったが趣味の運用もさせて貰った。
 彼は家族3人で赴任していて数日間彼のお宅でお世話になったが彼の奥さんの手料理で久しぶりの日本食の御馳走を頂いた。その彼は1980年代、日本に帰国数年後、病気で早世し、その時リベリアで会ったのが最後になった。

 あの時のリベリアは事実上、空港から彼の家の間しか見ておらず詳しい町の様子は殆ど見ていない。正にトランジットのリベリア滞在であった。
モンロビアの彼の家には2泊させて貰い、次の国ガンビアに向かった。
 途中、予定外のオートボルタ(アッパーボルタ=現ブッキナファソ)へ出かけたので旅程は1週間遅れていた。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「海外の旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事